Dr. Zyun Koana    3

小穴先生とウルトラ・マイクロ・ニッコール

冷房のよく効いている博物館内の会場において、雰囲気が一気に熱くなるコーナーがあった。 きわめて高い解像力を持つ、日本工学工業株式会社のウルトラ・マイクロ・ニッコールと、 小穴先生の想いが詰まった開発物語がそこにあった。

解説「ウルトラ・マイクロ・ニッコールの開発」

初代ウルトラ・マイクロ・ニッコール

超マイクロ写真の撮影に使われた超高解像力レンズの現物を見てみよう。 初代 ウルトラ・マイクロ・ニッコール 105mm F2.8 が展示されている。 開発当初は、ウルトラが付かず、マイクロ・ニッコール 105mm F2.8 と表記していた。 レンズ前面の化粧リングを見て欲しい。 まず、Micro-NIKKOR 1:2.8 f=105mm と白い文字が刻印された。 後からウルトラの追加が決まったので、製造シリアル番号との間に赤い文字で、Ultraが後から彫り込まれたのだ。 赤い Ultraが、バランスのとれない位置に入っているのが分かる。 木製収納箱の金属プレートには、Micro NIKKOR 1:2.8 f=105mm とだけ印刷されている。

光学技術者で工学博士の鶴田匡夫氏の大作シリーズである、「光の鉛筆」第7巻、632ページには、 「105mm/2.8 のマイクロレンズを設計、約半年の試作期間を経て 1962年 8月に完成した。 新レンズはウルトラマイクロニッコールと名付けられた」とある。

初代ウルトラ・マイクロ・ニッコール105mm F2.8 No. 182532
昭和37年(1962年)株式会社ニコン蔵

後から赤い文字で Ultraを追加した化粧リングの刻印
株式会社ニコン蔵

マイクロ・ニッコール 105mm F2.8の表記のみの木製収納箱
株式会社ニコン蔵

伝説の極超高解像力レンズ

小穴先生を一躍有名にした仕事とレンズの話をしよう。 ウルトラ・マイクロ・ニッコールの存在を世に知らしめ、 常識を超えた要求仕様で日本光学を牽引した科学者が、当時、東京大学理学部教授だった小穴純先生だ。 小穴先生は、超マイクロ写真用として解像力 1,000本/mm以上のレンズを要望した。 日本光学は、顕微鏡の 40倍対物レンズをもとに、撮影倍率 1/25倍、 e線単色の仕様 、そして初めて多層膜コーティング(多層反射防止膜)を使った超高解像力レンズの開発に取り組んだ。

1964年 8月。 伝説の壮絶的ハイエンドレンズ、ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 の開発は成功した。 当時世界最高の 1,260本/mm の解像力を持つ、モンスターレンズが完成した。 レンズは 6群 9枚構成、歪曲収差 -1.3%。重量は 800gである。 もちろんこのレンズを設計したのは、小穴先生の愛弟子であり門下生である、 日本光学工業株式会社の天才レンズ設計技師・脇本善司氏だった。

ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 No. 5403
昭和39年(1964年)株式会社ニコン蔵

小穴先生は、このレンズを使って英語の小説全ページを普通切手サイズのなかに縮小複写した。 全ページといっても数ページではない。原文で 330ページもある。 これを 12.5mm四方に収めたのである。 さらに同じレンズを使って原本同様に復元拡大してみせている。

小穴先生は茶目っ気たっぷりだ。 標本である英語の小説に選んだのは、デイヴィッド・ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」。 こういうセンス・ユーモアは、やはり科学者ならではのものである。 英文といってもシェークスピアでは、床屋で平家物語を読んでいるようなものだ。しぶすぎる。 極小にして顕微鏡で読む。これは、かなりストイックな愉悦ではないか。

「チャタレイ夫人の恋人」超マイクロ写真撮影用のカメラ
ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 を装着 昭和39年(1964年)

「チャタレィ夫人の恋人」の超マイクロ写真
左は旧50円普通切手 昭和39年(1964年)

「チャタレィ夫人の恋人」の超マイクロ写真サンプル
ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 を使用 1964年

マイクロドット 昭和39年(1964年) 寄贈:上智大学理工学部
作成:小穴純教授、石川和枝共同研究員

マイクロドットの展示パネル。 パネルには 1961(昭和36年)と記載されているが、これは 1964(昭和39年)の明らかな誤り。 「ウルトラマイクロニッコールレンズを使って」と説明されているが、 そもそも 1961年(昭和36年)だと、まだウルトラマイクロニッコールは存在していない。

原稿を 1/250に縮小して写真原版(マイクロドット)を製作し、 さらにその写真原版を 250倍に引伸ばしてオリジナル原稿とほぼ同じ画像品質で復元できるのは、 1964年(昭和39年)8月に完成したウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2を使うしか手段はない。

展示の中に、 ”「チャタレイ夫人の恋人」超マイクロ写真撮影用のカメラ (29.5mmのウルトラ・マイクロ・ニッコールを装着) 昭和39年(1964年)” との説明が見られることから、 パネルにある 1961(昭和36年)との記載は誤りであって、1964(昭和39年)が正しい。

なお、左にはめこまれている撮影原稿は、 英国の作家 D. H. Lawrence の小説「Lady Chatterley's Lover」。 その第 5章(Chapter 5)である。

ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2

会場で、ひときわ精彩を放っていたのが、伝説のウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 だ。 レンズ前面の化粧リングには、焦点距離の 29.5mmと、製造番号シリアルが No. 5403と刻印されている。 木製収納箱の金属プレートには、焦点距離が 30mmと印刷されている。 木箱は少し後の時代のものだろうか。

伝説のウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 No. 5403
昭和39年(1964年)株式会社ニコン蔵

史上最も美しいウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 No. 5403
株式会社ニコン蔵

テクニカルデータ

ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2の力強い性能をみてみよう。

−焦点距離: 29.5mm
−最大絞り: F1.2
−最小絞り: F8
−レンズ構成: 6群9枚
−基準倍率: 1/25X
−画角: 3.8°
−色収差補正: 546nm (e-line)
−口径蝕: 0% (F1.2にて)
−歪曲収差: -1.3%
−解像力: 1260本/mm
−画像サイズ: 2mm⌀
−原稿サイズ: 50mm⌀
−基準倍率における原稿から画像までの距離: 810mm
−フィルター径: 40.5mm P=0.5mm
−マウント: ライカL39スクリューマウント
−全長: 230mm
−最大径: 60mm
−重量: 800g
−付属品: 前後キャップ、木製収納箱

−発売時期: 1964年
−当時の価格:
   1,040,000円(1969年 1月)
   1,250,000円(1974年 6月)
   1,250,000円(1976年 4月)
   1,250,000円(1977年12月)

レンズ前面のアタッチメント径、いわゆるフィルター径は標準の 40.5m P=0.5。 マウントは 39mmのライカL39スクリューマウント。

ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 のレンズ構成図

このレンズは蛍石が使われていることで有名である。 文献(吉田正太郎「カメラマンのための写真レンズの科学」地人書館) によると 6群9枚構成 15面で L8は蛍石との説明から、 左から数えて 8枚目のレンズ、つまり最後尾のレンズの左トナリ直径 20mmくらいのレンズが蛍石である。 手持ちの資料にマークしてみた。

当時は、一眼レフ用交換レンズで蛍石(人工結晶)を使った製品が登場していない時代、 天然の蛍石か人工結晶の蛍石かの議論もあった。 しかしながら、当時すでに人工結晶蛍石の技術は確立されており、 顕微鏡の対物レンズ程度の微小レンズならともかく、 なんといってもそのサイズと安定した供給量を確保する観点から、 後者であるとの見解に落ち着く。

人工結晶蛍石製造の量産技術へのチャレンジであって、価格とか歩留まりは度外視だったのだろう。 ちなみに、レンズの価格は破格の 104万円。1969年(昭和44年)の話である。 1969年当時の大卒の初任給は 34,000円程度の時代。 現在の貨幣価値に換算しても、レンズ 1本がいかに高額だったかが理解できる。 1969年当時でも、カタログに明記されて市販された、 当時のすべてのニッコールレンズの中で、最も高額なレンズだったことを付け加えておく。

小穴純語録「ウルトラ・マイクロ・ニッコール誕生のいきさつ」

ウルトラ・マイクロ・ニッコール 説明書
原稿の写し 昭和40年(1965年)3月10日

解説「IC用フォトマスク」

日刊工業新聞社十大新製品賞

日刊工業新聞社の1964年度十大新製品賞に、 日本光学工業株式会社のウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2が選定された。 展覧会会場には、かなり大型の美しい受賞盾が展示されていた。 今まで写真画像すらも見ることができなかったものだが、初公開された貴重なものである。

日刊工業新聞社 1964年度十大新製品賞
ウルトラ・マイクロ・ニッコール 29.5mm F1.2 株式会社ニコン蔵

重量感のある大きく美しい受賞盾
株式会社ニコン蔵

動画クリップ

小さいコンデジ(Nikon Coolpix P5100)で内覧会会場の様子を動画で撮影した。 本レポートの最初のリリース時から長きにわたり公開を見送っていたが、 当時の動画映像が残っていないので記録として残すためにアップした。 会場の照度が低いため画像品質は十分でないが、 グリーンノイズを含め会場の雰囲気をお伝えするのが目的なのでご容赦いただきたい。

2009年 7月17日(金)内覧会の様子
(MP4形式、94MB、2分21秒)

撮影装置

小穴先生手作りの超マイクロ写真撮影装置について、その後新しい展開があったのでまとめてみよう。 小穴先生のイラストによる装置概念図が興味深い。 一般のカメラのフィルムが収まるスペースは真空ポンプで空気を抜く方式。 写真原板をプレートに密着させて平坦性を極限まで追求したようだ。

超マイクロ写真撮影装置概念図

装置の現物は現存せず(と思われていたので)、 当時研究室の一角で簡単に撮影した実験装置の図的な写真だけが展示されていた。 写真だけでも十分に貴重なものであることは確かだ。

超マイクロ写真撮影装置

説明パネル

2018年ニコンミュージアム

2009年夏の小穴純展の開催から 9年後のことだった。 2018年春。東京・品川のニコンミュージアム。 もうすでに廃棄され、この世にカタチとして存在していないと思われていた歴史的工業文化遺産が、突然無言で姿を現した。 なんと小穴先生が使用した撮影装置そのもの現物が、株式会社ニコンで保護・保存されていたのである。

超マイクロ写真撮影装置の現物

超マイクロ写真撮影装置
2018年 ニコンミュージアムにて

企画展
「世界最高解像力レンズの系譜 ウルトラマイクロニッコール」

展示期間: 2018年 4月 3日(火)〜 6月30日(土)
開催場所: ニコンミュージアム(品川インターシティC棟、東京都港区)
展示内容: ウルトラマイクロニッコールなどのレンズ約 40本、電子機器など約 40点

詳細レポートはこちら。 →  ニコンミュージアムUMN展レポート

カメラとレンズ部分

X軸 Y軸 微動機構
ウルトラマイクロニッコール 29.5mm F1.2 製造番号 5043

写真原板固定用の金属プレート

台座部分

東大理学部の管理番号
昭和38年(1963年) 5月14日

説明パネル

世界最高解像力を実証した撮影装置

小穴純教授が「ウルトラマイクロ ニッコール」 をはじめとす高解像力レンズを撮影評価するために使用したマイクロイメージ撮影用装置。 アダプターを交換することで、さまざまなレンズが装着できるように工夫されている。 本装置に装着されているレンズは、1964(昭和39)年に 「ウルトラマイクロ ニッコール 29.5mm F1.2」用の試作品として作られた 3本の中で一番性能がよく、 数々の実験に使用された製造番号 5043 である。 実験の結果を得て、量産へと移行した。 「ウルトラマイクロ ニッコール 29.5mm F1.2」は、 直径 2mm の撮影範囲で 1,260本/mm という、当時の世界最高解像力を達成している。

なおこの説明パネルには 2か所誤りがあるので本記事では直した。 高解像力レンズなど、(誤) 高解像度 → (正) 高解像力。 特に小穴先生のアルファベット表記には注意が必要である。 (誤) Jun Koana → (正) Zyun Koana。

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 次に行きます。   第 4 章    小穴純レンズコレクション

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第 0 章      トップページ
第 1 章      研究者としてのスタートと観測記録
第 2 章      マイクロ写真から超マイクロ写真へ
第 3 章      小穴先生とウルトラ・マイクロ・ニッコール
第 4 章      小穴純レンズコレクション
第 5 章      高校生のための金曜特別講座

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