![]() ● マイクロ写真から超マイクロ写真へ 小穴先生の活躍は戦後に本格化する。 戦前の日食観測から、戦後はより産業的な、写真工業の分野での活躍が目立つ。 特に戦後に着手したマイクロ写真から、超マイクロ写真の世界に到達し、小穴先生の研究成果が輝き出す。 写真乾板をX軸とY軸に微小に移動させ、画像を写し込んでいくステップ・アンド・リピート法、 つまり現代の半導体露光装置であるステッパーの原理が、すでに手動で実現されていたことに驚く。
![]() 会場の展示のようす
![]() 解説「超マイクロ写真」
![]() 超マイクロ写真のテストチャートと撮影装置
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小穴先生が製作した超マイクロ写真
![]() 樋口一葉「たけくらべ」のマイクロ写真 1955年11月 ● マイクロ・ニッコールの原点 この展示会で、 秋山満夫が見たとたんひっくり返りそうになった1枚の資料がある。 下の画像に示すが、日本光学工業試作 Rニッコール 50mm F3.5 の説明文書だ。 ごく少数の極超高解像力レンズマニヤの方だったら、やはり驚くだろう。 Rニッコール 50mm F3.5 とは、小穴先生の依頼を受けて、 日本光学工業株式会社の東秀夫氏と脇本善司氏が設計した マイクロ・ニッコール 5cm F3.5 の試作レンズなのだ。 このレンズは、レンジファインダーニコンの複写用・接写用レンズとして市場に出た。 この資料が作られた半年後、昭和31年(1956年)10月のことである。 ニコンSマウントのものが中心であるが、少数ながらライカL39スクリューマウントのレンズも供給された。 東秀夫氏からみると小穴先生は同窓。 そして、脇本善司氏からみると小穴先生は恩師の関係である。 この紙1枚の資料は、小穴先生と東秀夫氏、脇本善司氏の関係、 同窓にたいする信頼感、 そして弟子の仕事に協力的な小穴先生の心づかいがよく分かる きわめて歴史的価値の高い古文書と言えるだろう。 また撮影に使った撮影レンズ、ネガ材料、照明、露出時間、印画紙に至るまで、 各種の製作データが詳細に説明されている点が注目される。 きわめて重要な内容が読み解ける貴重な紙1枚なのである。
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日本光学工業試作 Rニッコール 50mm F3.5 性能見本のための説明書
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日本光学工業試作 Rニッコール 50mm F3.5 によるマイクロ写真 この機会に再度文献を精査してみた。 医師であり、ニコン研究会の会員でもあった、久野幹雄先生の名著 「レンジファインダーニコンのすべて」朝日ソノラマ刊のページを追ってみた。 発表当初は、R-ニッコールと呼ばれ、 Reproduction(複写)を意味するR文字を冠していたが、 レントゲン(Roentgen)撮影用レンズと間違えられる恐れがあったためか、 発売時には Micro-NIKKOR C と改められたという。 展示では、マイクロ・ニッコール 5cm F3.5 の現物を見ることができなかったので、 参考のためにレンズ外観の画像を掲載しておきたい。 2009年 5月のニコン研究会は、マイクロニッコール特別研究だった。 市販モデルではあるが、 少数しか生産されたなかったライカL39スクリューマウントと、 ニコンSマウントのレンズを並べてみた。 東秀夫氏と脇本善司氏が設計に従事し、 小穴先生が実証実験を行なった世紀の銘レンズは、 とても小粒の可愛いレンズでありながら、 今なお鮮鋭な目を保つ古武士のような存在なのである。
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美しいマイクロニッコール 5cm F3.5 の姿
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「マイクロ写真情報」J.M.A ニュース特集号
![]() マイクロイメージの撮影について 昭和38年(1963年)2月
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「電子計算機で光学設計 世界に誇る日本のレンズ」
![]() 「電子計算機で光学設計 世界に誇る日本のレンズ」原稿
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「マイクロ写真」原稿 ● 記事のご案内 すべての場面において、画像の上で左クリックすると、大きいサイズの画像を表示できます。 細部までを確認したい方はどうぞ拡大してご覧ください。 → 次に行きます。 第 3 章 小穴先生とウルトラ・マイクロ・ニッコール ショートカットはこちらからです。
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