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アポ エル ニッコール 105mm F5.6N ● 北の国で眠っていたアポエルニッコール すでにはるか昔は2005年の話である。2005年(平成17年)初夏の候だった。 北海道にお住まいの当サイトを応援いただいている方から、 レンズの検査合格証(通称サガワカード)について問合せを受けた。 アポエルニッコール 105mm F5.6Nに付いていたという検査合格証のサインのことなど、 そんな内容だったと思う。 ご縁はスピードが命。 この小さなご縁がきっかけとなり、2日後には事態が急速に展開し、 なんとレンズをお譲りいただくことになった。 最初の問合せをいただいた日からじつに 5日後。 レンズを梱包したゆうパックの箱が手元に届いた。 ずっと探し続けていたレンズがストンとやって来たのである。 ご縁はスピードが命である。 「北海道は全体が防湿庫みたいなところですから」とのお話をくださった。 たしかに、レンズは未使用の新品、デッドストック、天然防湿庫で完璧な保存状態だった。 もちろん、元箱、検査合格証、Nikon シリカゲル、プラスチック製収納ケース、 キャップではなくフタ、フタ押さえのスポンジまで揃いの欠品無しの完品である。 北の国で眠っていたアポエルニッコール 105mm F5.6Nはミュージアムコンディションだった。
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元祖「レンズポエム」 ● どこに行くにも 私が初めてデジタル一眼レフを購入したのは2005年の1月のことだった。 普及機としての位置付けの機種であったと思うが、ニコン D70である。 さっそく、アポエルニッコール 105mm F5.6Nをニコン D70に装着して撮影する日々が続いた。 シンプルなセットで広義の無限遠も出るし、 もちろん接写撮影では優れた絵が出てくる万能レンズだった。 小さく軽い超高性能レンズということで、どこに行くにも持って行ったものだ。
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アポ エル ニッコール 105mm F5.6N
![]() ニコン D70の絵(撮影年は2005年12月) この時代なのでフィルムで撮影したような雰囲気がほしくて、 カメラはマニュアルモードに設定し、ホワイトバランスを晴天、 露出は 0.7段から 1段ほどアンダーに切り詰めて撮影した。 CCDの特性というよりも、画像処理ソフトウエアのコンセプトなのだろう。 かなり落ち着いたトーンの絵が出てきた。
![]() ニコン D70の絵(撮影年は2005年12月)
![]() ニコン D70の絵(撮影年は2009年10月)
![]() ニコン D70の絵(撮影年は2009年10月) スマホの彩度の高いメリハリのある絵がよい写真と一般ピープルに認識されているのは承知しているが、 実際に肉眼で見た風景の印象(色彩)はこのとおりだった。 ● 数学的無限遠の世界
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アポ エル ニッコール 105mm F5.6N
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アポ エル ニッコール 105mm F5.6N 2009年の夏に開催された 特別展「小穴純とレンズの世界」展 。 上の画像は、会場となった東京大学駒場キャンパスで撮影した。 会期中「小穴純とレンズの世界」展には、 おかしなレンズを持ったおかしな人たちが多数集まったと当時話題になったものだ。 2012年になると、本格的天体写真をアポエルニッコール 105mm F5.6Nで撮影する方が出現した。 日本の天体写真愛好家の方であるが、星雲を工業用ニッコールレンズで撮影するとは思いもしなかった。 それも極めてクオリティの高い美しい星野写真である。 「Star Cloud Apo-EL-Nikkor 105mm F5.6」で検索していただけると、 flickr に投稿された画像を見ることができる。 よく無限遠撮影が可能と言うが、たかが 134キロメートル程度で無限と言われても困る。 こちらは 253万光年とか距離のスケールから言って格が違う。 最高の性能を求めた結果としてのアポエルニッコール 105mm F5.6Nだったのである。 このいわば事件をきっかけに、 急激に市場でこのレンズの人気が高まり、再評価が始まった印象と記憶がある。
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アポ エル ニッコール 105mm F5.6N ● 記事のご案内 → 次のお話です。 第 2 章 ニコン Z 写真帖 ショートカットはこちらからです。
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