Nikon Binoculars 100     Chapter 3

ニコン双眼鏡 100年の歴史

25センチ 双眼望遠鏡

大日本帝國陸軍 二十五糎 双眼望遠鏡 昭和十四年製

いきなりこれである。今回の企画展の目玉中の目玉。 大日本帝國陸軍二十五糎双眼望遠鏡。昭和十四年製。 会場の中央に王者の風格で降臨していた。

私がこの大型双眼望遠鏡の存在を強く記憶に残したのは、斯界の世界的な第一人者、 ドイツのハンス・シーガー博士が執筆しドイツで 1996年に出版された大冊を入手した時だ。 2001年に送料込み 48,071円で購入した。私にとっては高価な本だった。

Militärische Ferngläser und Fernrohre in Heer, Luftwaffe und Marine
Dr. Hans T. Seeger

「陸・空・海 軍用双眼鏡と望遠鏡」。 本書 277 ページに 25センチ 双眼望遠鏡の 3枚の写真が掲載されている。 フタが付いていて倉庫の片隅の地べたに置かれている雰囲気。 世間から忘れられたようにひっそりと佇んでいるその姿が強く印象に残った。 25センチの存在は、後述するニコン75年史で知っていたが、 なんとも寂しそうに写っている写真は衝撃だった。

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

その後、ご縁があってハンス・シーガー博士からメールが届いた。 25センチ 双眼望遠鏡が日本の国立科学博物館に収蔵されているが現物を見てみたい。 日本に問合せたが回答がない。貴殿から問い合わせてもらえないか、 とかの話だった。 私は、てっきり上野にある国立科学博物館に収蔵されているものと思っていた。 ところが実際は、筑波にある同博物館の倉庫だと言う。 しかも公開はしていないとのことだった。 そんなやりとりをしたこともあり、幻の双眼望遠鏡伝説は確固たるものになったのである。

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

説明パネルを読めばいい話だが、 事情により文字読み上げソフトの使用にたよる方もおいでだろうから、文字に起こした。

25 センチ双眼望遠鏡

対物レンズ径 25cm は、可搬式で実用された双眼鏡として世界最大。 接眼レンズの交換により最大 250倍に可変。 視野が良ければ、70km遠方の集団行動、20km遠方の個人行動の観察や確認が可能である。 大口径の双眼鏡の製作には、光学ガラスの製造からレンズ研磨、組み立て調整まで、 想像を超える困難があり、コストや製作期間がかかることから製造はこの 1台だけとなった。 接眼レンズは紛失のため、戦後に再製作。 なお、1967年(昭和42年)に日本光学創立 50周年記念「ニコンフェアー」にて展示して以来、 約 50年ぶりの一般公開となる。 (国立科学博物館所蔵)

1939年(昭和14年)

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

日本の光学工業史を読む

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

ここで、最も頼りになる文献に向かってみた。 前の章でも説明しているが、 昭和30年(1955年)に刊行された大冊「光学兵器を中心とした日本の光学工業史」。 第 2 篇 陸軍光学兵器 をひも解く。 224から 225ページ。以下に引用させていただいた。

九八式 15 糎双眼鏡・カ鏡

海岸要地では斯くの如き状態であつたが一方、国境地帯には陸地要塞が設けられており、 昭和 13 年には張鼓峯事件、昭和 14 年にはノモンハン事件、 其の他局地に生ずる紛争は絶えなかつた。 されば国境の要地には関東軍直轄の監視哨戒は守備隊が駐屯していた。 偵察の為に不可欠なものは、何と言っても光学兵器であつた。

そこで関東軍はドイツより直接に高倍率の双眼鏡或いは単眼鏡類を購入し、 各重要なる監視哨に配置したが、之が効果甚だ顕著であつたので、 関東軍は此の目的用途に適する国産品の整備方を陸軍省に要求し、 昭和 13 年 11 月これが実情調査の為め、 且つ光学兵器の耐寒試験を兼ね陸軍技術本部より小池(国英)砲兵大佐・門脇(三郎)技師石田陸軍曹長、 陸軍科学研究所より野田工兵大尉、丸山陸軍技手等の一行 7 名にて試験隊を編成し、 国境各地を視察し、資料を収集した結果、急迫せる情況下、 差し当り海軍制式の 15 糎双眼鏡を装備することが最適ときまり、 さっそく海軍艦政本部に製造許可方を願い出で、其の承認を得たので、 「日本光学」に命じ約 10 台製造して関東軍に急送したところ、之も亦た成績良好、 従つて関東軍から夥しい整備数の要求に接し、到底要求数に応じ難きため、 改めて製作容易且つ現地の取扱に適する構造並びに光学的性能を具備したものを研究し、 対物レンズ有効径 12 糎乃至 15 糎級の双眼鏡を「日本光学」に試作せしめ、 昭和 14 年 8 月(ノモンハン事変勃発した月)に、 続いて口径 18 糎級・20 糎級及び 25 糎級のもの数台を「日本光学」に製作せしめ、 是等を試験兵器として、北満の東部・北部の国境監視哨に備え付け、 再び試験隊を編成して現地の実地試験を行つた。
(原文ママ)つづく

昭和30年に刊行された本なのに、時局軍事美文調か文語調。 そこで関東軍は・・で始まる文章。 とにかく読点ばかりで句点がなく、一つのセンテンスが異様に長い。 この文章はダメだ。このまま続けると緊張がゆるむので、いったんここで切る。 画像を 2枚はさんで、以下に続ける。

25 cm Binocular Telescope

つづき
試験員は第二陸軍技術研究所の門脇陸軍技師・坂野陸軍技師、 第七陸軍技術研究所の倉橋(四郎)工兵中佐・竹下俊雄陸軍技師等にして、 満州 63 部隊(満州に於ける兵器及び器材の試験・研究する舞台)の協力・援助により、 東部国境の東寧・虎頭等に於いて四六時中の見え試験を実施した結果、 天気晴朗にして順光線の場合は 70 粁以上でも軍隊の集団行動は極めて鮮明に認めることが出来、 20 粁程度に在りては単独兵の行動も十分認知可能であつた。

この種の眼鏡は軍事秘密兵器なるがため、関東軍の「カ」を冠して称呼名称としていた。 15 糎級は九八式 15 糎双眼鏡とし制式上申された。 是等の双眼鏡は終戦時いかなる運命になつたか不明である。 此の内の 25 糎双眼鏡は僅かに 1 台だけであって、現地試験終了後内地に持ち帰り、 第二陸軍技術研究所に保管、光学兵器の性能向上の研究資料とし、 機会ある度に野外の実目標の試験に供した。

終戦時に第二陸軍技術研究所の門脇技術中佐が 直ちに三鷹の天文台に保転したから、今尚お天文台に保管してあると思う。 これは多分世界最大の地上双眼鏡であつて、 倍率は最大 250 倍・最小 10 倍位いまで各種の接眼レンズの転換によつて、 倍率を変更することの出来るものであつた。

最大口径双眼鏡の野外実目標に対する見え試験は機会のある度に実施したが、 就中内地に於ける主なる試験を挙げると、 @神奈川県大山山頂から富士山麓偵察、 A神奈川県根府川 2 等三角点から東方相模湾沿岸縁偵察、 B茨城県筑波山頂から東京・千葉方面の偵察、 C静岡県沼津市香貫山頂から遠州灘沿岸線偵察等であつた。
(原文ママ)

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

続けて同書 225ページには、大口径双眼鏡の開発関係者が示されている。

陸軍
小池(国英)砲兵大佐 倉橋(四郎)工兵中佐 竹下(俊雄)技師
坂野(久重郎)技師 門脇(三郎)技師 兜木(勝四郎)技手
石田曹長 奥瀬(喜一)技衛軍曹 中村(清太郎)嘱託

「日本光学」
八木(貫之)設計部長
(原文ママ)

ニコン75年史

私が本企画展の初日に行って驚いたのがこのレンズキャップだった。 京都は一保堂の極上ほうじ茶手付き塗り缶箱のフタと同じ形状で、 大きな錻力缶には取っ手がついている。 ニコン75年史には、この取っ手付きレンズキャップの姿が掲載されている。 現在でも当時のまま残っているとは思わなかった。

平成5年(1993年)6月に発行された「ニコン75年史」の 80ページより、 大型双眼望遠鏡の説明と写真を以下に引用させていただいた。 説明文中の年はすべて昭和。11年とあるのは昭和11年である。

11年には最大の 25cm双眼望遠鏡(50×、83倍の変倍)を設計、 14年に満州北部の国境監視哨に備えて試験を行い、 社内では関東軍の「カ」を付けて「カ眼鏡」と称した。 直視型双眼鏡で、レボルバー式接眼レンズで変倍を行った。 対物レンズのガラス材料にクラウン(直径 27cm・厚さ 3.3cm・重量 4.8kg)、 フリント(直径 27cm・厚さ 3.5cm・重量 7.4kg)の大塊を使用したもので、 硝子製造部の努力の結晶であった。 25cm双眼望遠鏡は、現在も国立科学博物館に保管されている。
(原文ママ)

25cm 双眼望遠鏡と対物レンズキャップ
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大日本帝國陸軍 25糎 双眼望遠鏡 昭和十四年

御神体とはいえ品格を備えた神々しいお姿だ。 博物館の中というのに背後には、音しずかに煌々と旭日がのぼってきた。

25 cm Binocular Telescope, 1939

25センチ 双眼望遠鏡図鑑

この機体の重量は公表されていない。 先に示したドイツの本には鏡胴だけで 300ポンド(約 140キロ)を超えると説明されている。 マウント部ほか設置用装備一式を含めたらかなりの重量級標本となる。 現物を目にすることは今後もなかなかないことだろう。 写真史料として後世に残すために、撮影した画像はできるだけ多く掲載することにした。 やはり専門家を含め多くの方々が見ることによって、新しい発見が期待できる。

画像上でクリックするとオリジナルサイズの大き目の画像が表示できる。 本記事では、撮影時の雰囲気と撮影データを残すために、撮影原板をダイレクトに掲載している。

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

貴重な歴史遺産

ニコンミュージアムの方とお話をしたのだが、 重量級の双眼鏡本体鏡胴と頑強なマウント部にくらべて、 オリジナルの台座というのか三脚はややスリムなような気がする。 可搬式としたので軽量化も重要な要素だったのだろう。

おそらくは展示における安全性を考慮して、 今回の展示のために台座を鉄工所に特注して用意したと思われる。 スパルタンな鋼鉄製の台座にサポートされ、1939年(昭和14年)生まれ、 時代のスタアが毅然と立ちスポットライトを浴びているように見えた。

25センチ 双眼望遠鏡 1939年

大日本帝國陸軍 二十五糎 双眼望遠鏡 昭和十四年製

大日本帝國陸軍の塗装色も原型の風景を保つ国宝級の逸品。 全世界に1台のみ現存する。 いまこの重要文化財を「双眼鏡世界の大魔神」であることを宣言する。

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 さて次もすごい。   第 4 章  ミクロン大図鑑

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