Nikon Binoculars 100     Chapter 2

大日本帝國海軍 水防式 十二糎 双眼望遠鏡 昭和十二年製

水防式 12センチ 双眼望遠鏡

12 cm Waterproof Binocular Telescope

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年

説明パネルを読めばいい話だが、重要なことなので文字に起こした。

水防式 12センチ 双眼望遠鏡

潜水艦の甲板に設置するため、潜水航行に備えて防水・耐圧設計を施し、水深100メートルにも耐える。 本体を厚い鋳物に収め、 対物レンズ側には水圧に耐えるための厚いガラス板があり、接眼部は潜水前に蓋を閉じる。 本品は修理のために船体から外され、弊社内にて長期間保管されていた。 倍率は20倍。

1937年(昭和12年)

もうすでに珠玉の短編小説になっている。 なにがすごいかって、 時局は1945年(昭和20年)かせいぜい1年前の1944年(昭和19年)に日本光学社内に搬入されたのだろう。 爾来それから約80年間、人の目に触れないところで幽閉されていたのかもしれない。 占領軍配下の時代が時代ならば、隠し持っていることさえ覚悟がいる物件を、 80年近く護り持ち続けたことは驚異的であり、関係者みな様の仕事に敬意を表したい。

潜水艦図鑑

ほんらいならば、このクラスの重要文化財は、ご神体として神社に祀られる対象となる。 現物を目にすることは今後もなかなかないことだろう。 写真史料として後世に残すために、撮影した画像はできるだけ多く掲載することにした。 やはり専門家を含め多くの方々が見ることによって、新しい発見が期待できる。

画像上でクリックするとオリジナルサイズの大き目の画像が表示できる。 本記事では、撮影時の雰囲気と撮影データを残すために、撮影原板をダイレクトに掲載している。 しかしながら、この水防式双眼望遠鏡の画像だけはレタッチした。 というのは、背景の黒いボードに白いキズが4か所も写り込み、うっとおしいからである。 こんなかんじ。 もちろん、標本そのもの本体の画像には一切手を加えていない。

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年

接眼部の潜水ハッチを開ける

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年

接眼レンズ(アイピース)の部分。 水深100メートルにも耐える潜水艦のハッチのような耐圧蓋。 潜水時には蓋をしてロックしハンドルを廻して締めたのだろう。 はて、蓋の裏側になにか文字の書かれた銘板が貼ってある。 会場の照明の具合だと影となりうまく写せない。

ニコンミュージアムの担当者様の立ち合いの元、 特別に許可をいただきフラッシュ撮影させていただいた。 会場に見学者がいないことを確認し、20秒間だけ時間をもらい 3枚撮影した。

銘板には、九七式・・・双眼望遠鏡と書かれているようだ。 一部の文字は薄くて読み取れない。 マルの中に漢字の航が入っている刻印がわかる。 マルの中にカタカナのイが入っている刻印がわかる。 イ号のイなのかよくわからない。 お詳しい方ならば、これだけの情報でも解読する技術をお持ちだろうから調査に期待したい。

九七式の九七は、二千五百九十七年の九七。制式採用された時期だろうか。 昭和12年(1937年)であるから、説明パネルにある製造時期と一致する。 製造会社名として、日本光学工業株式会社製造とか入っているはずだが確認できない。

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年

別な角度から撮影した画像

銘板には何と書いてあるのだろうか。接眼部がもう少し読み取れる画像はないだろか。 関係者に聞いたところ、浅野正美さんがこのあたりを撮影されていたので、 画像を 3枚使わせていただくことにした。 画像をクリックして拡大すると銘板が読み取れる。

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年
Photo: Copyright (c) 2018, Masami Asano, All Rights Reserved.

銘板には、九七式十二糎双眼望遠鏡と書かれているように読める。 接眼部の周りも正確に撮影されている。 眼幅(右と左の瞳間の距離)調整機構のようなノブが見える。 びっしりと打たれた耐圧仕様のボルトネジが美しい。

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年
Photo: Copyright (c) 2018, Masami Asano, All Rights Reserved.

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年
Photo: Copyright (c) 2018, Masami Asano, All Rights Reserved.

文献調査で知るその性能

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年

12 cm Waterproof Binocular Telescope, 1937

水防式 12センチ 双眼望遠鏡にかんするもうすこし詳しい情報がほしく、 ニコン(日本光学)の社史を調べてみた。40年史、50年史、75年史、100年史。 40年史に簡単な説明が出ているが、ほかには詳しい記述は見つからなかった。

ならばと、詳しく出ている可能性のある文献を調べてみた。 昭和30年(1955年)に刊行された大冊「光学兵器を中心とした日本の光学工業史」。 さすがである。ちゃんと出ている。20ページ。以下に引用させていただいた。

水防式 12 糎双眼望遠鏡

此の望遠鏡は潜水艦の甲板上に装備し、その儘潜航しても爾後の使用に差支えないようにしたものである。 構造は、普通の 12 糎双眼望遠鏡の対物鏡の前方に、 水圧 150 ポンドに耐える厚い平行平面硝子があり、接眼部は潜航直前に蓋をする様になつて居る。 此蓋をすると水圧 150 ポンドの外圧を受けても、接眼部には何等異状を生じない如く水密にしたものである。 又鏡体も水圧に耐え得る為に、厚い砲銅鋳物を使用した。
(原文ママ)

原文ママは、銀座10丁目の文壇バー「スナック原文」のママではない。 中学高校生の読者の方はさくっと意味を検索していただきたい。

水防式 12センチ 双眼望遠鏡 1937年

大日本帝國海軍 水防式 十二糎 双眼望遠鏡 昭和十二年製

ニコン神話の誕生

先に示した「光学兵器を中心とした日本の光学工業史」の24ページに、 ニコン神話が誕生したくだりが述べられていたので、以下に引用させていただいた。

伊 33 号潜水艦の双眼鏡

本艦は昭和19年 6月13日伊豫灘の由利島沖で急速潜航訓練中、艤装・訓練等の不備に因つて水深 65米の海底に沈沒し、 約 10年後の昭和28年 7月23日、呉市の北星船舶工業 (株) の手により漸く浮揚せしめた。

浮揚後搭載光学兵器を検するに、軽合金製の手持双眼鏡・魚雷発射指揮盤は形もなく溶解し去り、 水防 15 糎双眼鏡と潜望鏡とは原形を存し、殊に前者は第 20図の如く藤壺が外部全面に附着したが、 接眼分のゴムやパッキングが良好なりしためと、対物鏡外窓硝子の水防完全なりし為め、少しの損傷もなく、 見えも作動も良好であつた。

即ち眼幅・dip の調整・俯仰転把の作動は良好で眼鏡の見えも僅に曇りのある程度で、 内部乾燥度検査紙も青色で乾燥度は良態、窓硝子内にも水滴なく 水深 65米の水圧に対してパッキングは完全であつたわけである。

接眼部側の蓋内部も異状なく、パッキングは良好であつた。 頭部・旋回部・鏡胴・接眼部蓋・旋回転輪は藤壺が全部附着しているが、 銹はないらしく塗具が一部着いている。 この要目は次の通り。

九三式 15 糎双眼望遠鏡(潜水艦用)
昭和19年 1月「日本光学」製 第 42 号 22×2°50′
重量 502 瓩 マル航 マル規 マルト(注) 俯仰目盛 +40°〜ー30°
(原文ママ)

(注)マル航 マル規 マルトについて。
マル1 、マル2 が@、Aで示されるように、マルの中に文字「航」「規」「ト」が入っていることを表す。

それにしてもである。 水深 65メートルの海底に 10年間沈んだまま、 フジツボだらけとなった日本光学製水防 15 センチ双眼望遠鏡を海底から引き揚げたところ、 防水は完璧でなんら問題なく動作したとの言説には、ニコン神話の神髄を見た気がする。

この伊 33 号潜水艦の話は、日本光学40年史にも出ている。453ページだ。 さらには、454ページにイ 179 号の話が出ている。以下に引用させていただいた。

また、其の後ち昭和 19年 7月、豊後水道で沈没した潜水艦イ 179 号には、 直立式 12 糎双眼望遠鏡が取付けてあったが、約 13 年後の昭和 32年 3月 25日に、 北星船舶工業(株)の手で浮揚した(第V-34 図)。 これは水深 75米 の所に沈没していたが見え作動は良好で、 前者と共に当時の技術水準を示す良い証拠となった。
(原文ママ)

伊號第三十三潜水艦慰霊碑

海底に沈んだ水防双眼望遠鏡のことのみに着目し、淡々と書いてしまつた。 全長100メートルを超える超大型潜水艦である。無人で沈んだわけではない。 艦に残ることを選んだ和田睦雄艦長以下102人の乗員が亡くなっている。 艦長は司令塔にいた者にハッチを開けて脱出するよう命令したが生存者は2人のみ。

愛媛県松山市の興居島(ごごしま)。 昭和29年 6月に「伊號第三十三潜水艦慰霊碑」が建てられた。 それ以降、毎年 6月13日に地元の人たちの手によって、手厚い慰霊追悼式が行われてきた。 70年後の現在も続いている。 この記事を書いている時に慰霊追悼式のニュースが目に留まった。

2022年6月22日/産経新聞ニュースより。
瀬戸内に沈んだ伊号第33潜水艦 乗組員へのレクイエム

昭和47年(1972年)。 文藝春秋から刊行された吉村 昭の著書「総員起シ」により広く知られるようになった。 現在、ネット上には写真画像を含め、ご遺体にかんする伝聞に基づく話が多く言及されているが、 本記事では採用しない。 読者各位の自己責任において参照いただきたい。 なお、ニュース記事は時間が経つと削除されるので、 その時はリンクを外します。

記事のご案内

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 さらにすごい話いきます。   第 3 章  25センチ 双眼望遠鏡

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