Nikon F2 50th Anniversary    1

ニコンミュージアム

いつもながら、この瞬間はワクワクします。 ミュージアムの入口から遥か企画展の景色を眺めます。 いきなり北極圏はオレンジ色の極地探検用テントですからテンションが上がります。 プレゼンテーションの予期せぬツカミが素晴らしい。

ニコンミュージアム企画展

企画展の全景

冒険家のニコンF2

植村直己(うえむら なおみ)。日本で最も有名な冒険家・登山家だ。 植村は日本人として初めてエベレスト登頂に成功し、 さらには世界初の五大陸最高峰登頂者となった。 1984年に彼は数々の功績により国民栄誉賞を受賞している。

ニコンF2チタンウエムラスペシャル

1977年6月。 植村は北極点への犬ぞりによる単独走破の記録に用いるカメラを日本光学に要望した。 植村との窓口になったのが報道機材課の鈴木章夫氏だった。 植村は大井製作所 101号館でニコンの技術者たちと要求仕様および品質について何度も打合せを行った。 氷塊の上を犬ぞりでガタガタと突き進む冒険行。 コンクリートのガレキの山を駆け降りる感じだと植村は言う。

植村の話から、カメラがすさまじい振動と衝撃に耐えることに加えて、 マイナス50度にもなる極低温下でも問題なく動作することが必須条件となった。 ニコンの技術者たちは、この過酷な環境下で完璧に機能するカメラを目指して、動いた。

F2ウエムラ

1977年12月。 特別に製作された 3台の極地仕様カメラが完成した。 ニコンF2チタンウエムラスペシャルである。 外装がチタニウム製の特装機だ。 チタニウムと言えば、超音速高高度戦略偵察機 SR-71ブラックバードの外装とか、 旧ソビエト連邦の原子力潜水艦の船体構造材に使われているとかの、 キナ臭い話位しか当時は認識されていなかったのである。 チタン側の腕時計 18,480円など最近の話だ。

翌1978年1月。植村はそのうち 2台のカメラを携えて極地に向かった。 北極点への犬ぞりによる単独走破行とグリーンランドを南北に横断するトレッキングに成功した。 1978年9月。無事に植村は日本に帰国。6か月の冒険行で約 180本のフィルムを撮影したと言う。 日本人として初めて「ナショナルジオグラフィック」誌の表紙を飾ったのは有名な話。1978年9月号。

ニコンF2チタンウエムラスペシャル

1984年2月。植村は冬期厳寒のマッキンリー山の単独登頂に挑んだ。 2月12日。ついに頂上に立つことに成功した。 冬期の単独登頂。世界で初の快挙だった。

ニコンF2チタンウエムラスペシャル

しかし2月13日。下山中の植村から無線通信が行われた後、冒険者からの連絡は二度となかったのである。 登頂の記録のために植村はニコンF2ウエムラ極地仕様カメラを持っていたと推定される。

F2ウエムラの主な変更点

常設展示

ニコンミュージアムでの常設展示の様子
撮影年は2018年7月

31コマ以降赤色のフィルムカウンターに注目
撮影年は2018年6月

ニコンF2チタンウエムラスペシャルの 1台は、現在ニコンミュージアムに常設展示されている。 このF2はずっとワーキングコンディションに保たれている。 冒険者が帰って来るのを待っているのである。

3台のF2ウエムラの行方

極地仕様カメラ、ニコンF2チタンウエムラスペシャルは 3台製作された。 植村さんはそのうち 2台をニコンから貸与され、1979年1月に北極点へ向かった。 探検行は無事成功に終わり1979年9月に植村さんは元気に帰国した。 そして 2台のF2ウエムラはニコンに返却された。

帰国後の植村さんは時代の人となりテレビ出演に講演が続いた。 ニコン社内でも植村さんの講演会が開催された。 謝礼を申し入れると、植村さんはF2ウエムラを希望したと言う。 ニコンはF2ウエムラを贈呈した。 植村さんの手元にはF2ウエムラがあった。 この経緯は前述したニコン報道機材課の鈴木章夫氏の説明による。

1984年2月。 植村さんは冬期厳寒のマッキンリー山の単独登頂に挑んだ。 登頂にはこのニコンから贈呈されたF2ウエムラを携行していたと言われる。

3台のF2ウエムラは現在どこにいるのか整理してみた。

(1)東京都

製造シリアル番号 F2 7733398

東京都板橋区「植村冒険館」に展示してあった機体。 この機体は現在、東京都港区のニコンミュージアムで常設展示中。 「植村冒険館」は 2021年12月に「板橋区立植村記念加賀スポーツセンター」に移転しリニューアルオープンした。

(2)兵庫県

製造シリアル番号 F2 7733380

兵庫県豊岡市「植村直己冒険館」にて展示中。 この機体はアイレベルファインダー部に大きな傷があり、 さらにはレンズの前枠がガタガタ。いかに過酷な冒険行だったか想像できる。 なおこの機体は、2017年1月から4月までニコンミュージアムで開催された 企画展「植村直己 極地の撮影術」で展示され話題を呼んだ。

(3)マッキンリー山

製造シリアル番号 不明(公開されていないが F2 77333xxの可能性大)

アメリカ合衆国アラスカ州。標高 6,190メートル。 マッキンリー山は2015年よりデナリが正式な呼称となった。 なじまない気もするがデナリに変更となった経緯を知るとしかたない。 いまでもF2ウエムラはかの地で植村さんを護っている。

F2初号機

ニコンF2は1971年(昭和46年)に発売され、現在もメカニカルカメラの最高峰と評されている。 今年2021年(令和3年)はF2誕生から 50年目にあたる。 本企画展はニコンF2の特長である信頼性やシステム性を感じられるような展示となっている。

ニコンF2誕生50周年展示

ニコンF2勢揃い

F2初号機 1971年

F2初号機

F2初号機 シルアル番号 F2 7100001

F2の最初の製品番号である 7100001 が刻印されている。 ニコンFの信頼性、システム性などの設計思想を受け継ぎながら、 新開発されたフラッグシップ一眼レフカメラである。

F2初号機

F2初号機

F2初号機

EEコントロールユニット DS-1

EEコントロールユニット

EEコントロールユニット DS-1

ベローズ装置

ニコンコピースタンド

ベローズユニット

ベローズアタッチメント PB-5

スライド複写装置 PS-4

ベローズユニット PB-6

ベローズユニット PB-4

DC 電源 LD-1

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 次の展示コーナーを見てみましょう。   第 2 章  報道写真家のニコンF2

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第 0 章      トップページ
第 1 章      冒険家のニコンF2
第 2 章      報道写真家のニコンF2
第 3 章      幻のニコンF2白チタン
第 4 章      シネニッコールの歴史
第 5 章      シネニッコール図鑑

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