ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g
● はじめに 「博物館級レンズ」というカテゴリがあるが、まさに博物館でしか見ることができないレンズの物語。 スロバキアのマーチンさんのコレクションから。 記事のオリジナルは、マーチンさんから届いた原稿をまとめた 英語版の記事 をご覧いただきたい。 この日本語版記事は、英語版のオリジナルを忠実に翻訳したものではない。 ざっくりと雰囲気は出ている。 ● 木箱に入ったレンズ さすがに箱も大きく重たい。木箱のサイズは、19×34.5×17cm。 レンズを収納した重量は14キロ超。
重厚な極め箱
木箱の表面には無数の傷跡。 この貴重なニコンのオプチカル・ダイヤモンドが、1970年代初頭に誕生して以来、 どれほどの旅をしてきたかを物語っている。
重要文化財の銘板
NIPPON KOGAKU MADE IN JAPAN
レンズ自体の重量は11.5kg(25.4ポンド)。ガラス(レンズ)がぎっしり詰まっている。 木箱からレンズを取り出すのさえ容易ではない。 貴重な重要文化財級レンズをゴロンと床に落とすわけにはいかないので、 取扱いは二人で慎重に行いたい。 ● ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g 美しいレンズ前玉のコーティング。 ずっと眺めていると、スウィート・シックスティーン、美しい十代、よき時代が浮かび上がってくる。 特殊用途ニッコールレンズ愛好家はぜひ手元に置きたい逸品である。
スウィート・シックスティーン
しかしその風貌は、まさに光学兵器である。 ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g は、レンズ構成 12群16枚。 すべてのレンズに多層膜コーティングを施し、内面反射による迷光を防ぎ、画像のコントラストを高めている。 このコーティングにより、各レンズ面での有害な反射光の量は e線、g線ともに約0.1%に低減。 単層コートのレンズに比べて、画像の明るさが約30%向上し、コントラストも大幅に改善されたと言う。
オプチカル・ウエポン
このレンズは、 基準倍率における原板から画像までの距離が通常のレンズの約半分で、画角も小さい。 この 2点の利点は、コサイン4乗則によるフィールドの中心と周辺の画像の明るさの差が小さくなり、 ウェーハの表面が平らでない場合でも拡大誤差を最小限に抑えることができる。 1:1 で使用する場合、有効口径比が公称値の半分になる。 高解像力を得るためには非常に明るいレンズが必要となる。 そのために、日本光学は非常に光学性能に優れた ウルトラマイクロニッコール 250mm F1.0g とウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g を開発した。 1:1 の場合、対称形のレンズには歪みがないという理論的な利点があるので、 中央に絞りを置き、両側にレンズ群を対称形に配置している。
ヘビー・メタル・ニッコールレンズ
サイズ比較のために左下に置かれた小さなレンズ。 とんでもない激レアレンズがさりげなく。困ったものである。 クリックして画像を拡大しないようにお願いします。 そもそも誰も現物を見たことがないレンズなので、サイズの比較にならないのが素晴らしい。 ● ゴージャスでラグジュアリーなレンズ すでに現代では「観賞用レンズ」との立ち位置なのだろうか。 およそレンズに対する表現ではないような気がするが、 ゴージャス・アンド・ラグジュアリー。 レンズポエム全開のこの高貴な美しさ。
ゴージャスでラグジュアリーなレンズ
レンズ前玉から中を覗いてみよう。 12群16枚のレンズに施された多層膜コーティング。精緻で深い色彩の闇が隠れている。
NIKKOR 1 : 1.4 f = 300 mm
レンズ前玉は世界を反映して色調が大胆に変化する。実に美しい。 M = 1/1 g の赤い刻印が鋭い。 この種のニッコールレンズだけに入れられた特別な存在の証。
M = 1/1 g
の赤い刻印
前後のレンズキャップは重たい削り出しの金属製。 使用しない場合には必ずキャップを装着するようにしたい。 厳重にレンズを外敵から保護できる。
Nippon Kogaku Japan
ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g
● 検査合格証 このレンズは英国から来た。 長い間探していたが、14年前に見つけた。 検査合格証には有名な佐川剛氏のサインが入っている。 しかし、検査合格証の製造シリアル番号と、レンズ現物のそれとは番号が異なる。 どこかで、誤って入れ違ったものと思われる。 今のところ判明している製造シリアル番号は次のとおり。
No. 103381 ( 本レンズ )
T. Sagawa (Takeshi Sagawa、佐川 剛氏) の直筆サイン入り
LENS DATA
● レンズの使い方 ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g は、 主に、フォトマスクから投影撮影によりマスクの複製を行うことを目的として造られた 1 : 1 投影焼付け用超高解像力レンズである。 投影倍率を 1 : 1 (原寸)基準に設計されているので、投影焼付け方式自体の利点のほかに、 現在のマスターマスクおよびマスク製作設備がそのまま使用できる利点がある。 画像サイズは 60mm⌀ と広くとられ、その範囲で 400本/mm 以上の解像力を持っている。 このレンズの使用波長は g線(435.8nm)と指定されている。
Copyright (c) Nippon Kogaku K.K. 日本光学は、ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g のレンズ構成に合わせて、 部分的コヒーレント照明の方式を採った専用のイルミネーターを開発した。 イルミネーターは、球面ミラー、防熱フィルター、ディフューザー、 コンデンサーレンズによって構成されている。 また、このイルミネーターは、ディフューザーの散光性を加減することにより、 レジストの性質や画像の最小線巾に応じて、コヒーレント、 インコヒーレント照明光の割合を変更することも可能になっている。 光源はウシオ電機株式会社製の超高圧水銀ランプ(Ultra-high-pressure mercury lamp)を使用した。 図上で左クリックすると拡大表示可。
テスト装置
ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g の投影レンズとしての性能検証は、 他のウルトラマイクロニッコールと同様に、東京大学理学部教授の小穴純博士に託された。 当時先生はすでに上智大学に移られおり、この性能検証テストは実際には先生の研究室のスタッフが行なった。 テスト装置の構成や詳細のテスト結果は、 本記事末尾にリストした資料 「1 : 1 PROJECTION SYSTEM FOR PRINTING ON PHOTORESIST」(著者は有名な脇本善司氏) に詳しく述べられているが、ここでは省略する。 ● テクニカルデータ ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g の超弩級な性能をみてみよう。 もちろんデータは信頼できると思われる一次資料を参照することにした。 当時の日本光学が最先端企業や研究機関、大学の研究室向けに発行した 「産業用レンズ・ ニコンセールスマニュアル」(LENS DATA 1970. 7)を確認した。 さすが玄人向けの資料である。詳しく出ている。 掲載されているレンズの性能諸元よりデータを以下に引用させていただいた。 なお、1つの資料だけですべての情報が得られるわけではなく、 末尾にリストした 3つの資料に加えて価格表を総動員して以下の性能諸元にまとめた。 ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g
−焦点距離(設計値): 299.1 mm 当時の価格を読み解く ニコンの社史によると1969年に世に出た(販売開始された)ようだ。 1969年1月版のNikkorカタログ(産業用レンズを含む)にはまだ登場していない。 ウルトラマイクロニッコール 155mm F4までしか掲載されていないのだ。 1976年4月の価格表には既に無く、カタログ落ちしているので、販売期間は短かったと思われる。 ところで、1974年(昭和49年)6月の時点で260万円とは破格の高額レンズだ。 当時の国鉄(あえて国鉄と言う。JRは知らない)の初乗り運賃が30円。 国鉄といえば首都圏では国電。山の手線の一駅が30円だった時代だ。 つまり原宿で乗って渋谷で降りると30円だったのである。 現在の価値に換算するには5倍するのが実勢に合う。 1300万円くらいだろうか。 レンズ寸法図 1970年に入ると、この頃は諸般の事情なのかレンズ構成図が非公開になっており、 レンズ外観の各部寸法図ということで理解していただきたい。 実は各部の寸法(サイズ)だけでも読み取れる情報は多い。 一部の識者には有効な情報なのでここに置いておく。 図面の画像上でクリックするとやや大きめの画像が表示されます。
UMN 300mm F1.4g レンズ寸法図 ● ニコンミュージアム
企画展「世界最高解像度レンズの系譜 ウルトラマイクロ ニッコール」。
東京・品川のニコンミュージアムで、歴史に残る企画展が開催されたのは2018年のことだった。
会場には、マーチンさんが所有するレンズと同じ大型のウルトラマイクロニッコールが展示されていた。 参考のために、この場でその時の様子を再現してみた。 画像はすべてニコンミュージアムで企画展の会期中に撮影させていただいた。
ニコンミュージアム 東京・品川
ウルトラマイクロニッコールと投影レンズ
大型ウルトラマイクロニッコール・ファミリー
ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g(1969年)
工業用ニッコールレンズの美
チャーミングなレンズコーティング
ローズ・レッド・ルビーコーティング
ウルトラマイクロニッコール 300mm F1.4g
参照文献(出典) 技術的な数値データ等は以下の一次資料を参照し、引用させていただいた。
1 : 1 PROJECTION SYSTEM FOR PRINTING ON PHOTORESIST
産業用レンズ・ ニコンセールスマニュアル
Nikon ウルトラ・マイクロ・ニッコール 謝辞 本記事を製作するにあたり、たくさんの貴重な画像を本記事のために撮影し提供いただいた、 スロバキア共和国のマルティン・モラオツィーク(Mr. Martin Moravcik)氏に感謝申し上げます。 まことにありがとうございました。 ● 記事のご案内 → 最初の入口ページに戻ります。 第 0 章 トップページ ショートカットはこちらからです。
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第 1 話
ニコン AS-1 マーチンコレクション
● あとがき 本記事の初稿は2021年6月にリリースしました。
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2021
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