Dr. Zyun Koana Special Exhibition, The University of Tokyo

東京大学駒場キャンパス

東京大学駒場博物館(内覧会当日の夕刻)

夏の東京大学駒場キャンパス。
正門を入って右手に歩き、クラシックな建物が見えてくるのが、東京大学駒場博物館。
重厚なアプローチをくぐり、館内に入ると、 博物館独特の涼しげな空気が漂っている。

関係者でにぎわう内覧会のようす

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光学研究者の方やスーパーマニヤの方々のために、 細部までを確認したり、説明文のオリジナルを読む場合には、 どうぞ拡大してご覧ください。

研究者としてのスタート

小穴純(こあな じゅん、Zyun Koana)博士は、明治40年(1907年)12月2日東京生まれである。
東京府立第一中学校(現在の都立日比谷高校)、第一高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科に進学。
展示では、在学中の非常に几帳面なノートが際立つ。
小穴先生は、大学院に進み研究者としてのスタートを切る。
大学院で師事した田中務先生の分光学の研究を手伝うようになり、 次第に光学関連の実験機器の詳細に関心を抱くようになったという。
戦前には、日食の機会を捉えてコロナスペクトルの観測を行うため、 南洋のローソップ島(1934年)、北海道(1936年、1937年)、 台湾・石垣島(1940年)、中国の賀勝橋(1941年)に遠征している。
観測を実現するには陸海軍の援助を受けることが多く、こうしたつながりから、 小穴先生は軍に光学の知識を提供するようになっていく。

小穴先生と日食観測のこと

南洋諸島における日食観測についての辞令 昭和8年(1933年)12月26日

列強による植民地支配が進められていた昭和初期。
当時日本が統治していた、南洋委任統治領東カロリン諸島ローソップ島。
トラック島の南東約60海里に位置する珊瑚礁の環礁である。
ローソップ島への日食観測隊は、東京帝国大学から田中務博士、 若手の小穴先生のほか、京都帝国大学、東京天文台、海軍技術研究所、 逓信省電気試験所、上海自然科学研究所などの当時一流の天文学者、宇宙物理学者らにより構成された。
数トンにもおよぶ観測機材を運び込むために、日本とローソップ島の往復には、 大日本帝国海軍より元一等巡洋艦(装甲巡洋艦)だった海防艦「春日」が支援した。

南洋ローソップ島にて島の子供たちと 昭和9年(1934年)

日食観測隊は昭和9年(1934年)1月15日横浜から出航。
軍艦による観測行は、たんなるObservation(観測)ではなく、 Expedition(探検)であった。
1月23日午後8時にはローソップ島沖4海里に碇泊。
南洋庁水産調査船瑞鳳丸、南洋貿易船第六平栄丸を介して まる1日をかけて24日には器機類全部を荷上げ。

ローソップ島だけでは手狭なこともあり、観測隊は大きく2グループに分かれて行動。 東京帝国大学、東京天文台、逓信省電気試験所はローソップ島、 京都帝国大学、海軍技術研究所、アメリカからの観測隊はレオール島で観測を行なったという。
京都帝国大学からは、天文学者の荒木俊馬博士、上田穣博士が参加。 アインシュタイン効果の観測のためにアスカニア社製の口径14インチ、 焦点距離5メートルもの巨大望遠鏡を運び込んでいる。 英国型赤道儀据付のため高さ6メートルのコンクリート柱2本を急造したようすが記録に残っている。
海軍技術研究所からは、電探兵器(レーダー)の開発で有名な 大日本帝国海軍伊藤庸二技術大佐(当時は少佐)が参加している。 皆既日食時間中における無線電波伝搬の状況調査を行なっていることから、 日食観測も軍事目的の一部だったようだ。
そうそうたるメンバーが集結した観測隊、 小穴先生はエキサイティングな日々を送ったことだろう。
2月14日。皆既日食の当日。快晴の天候にも恵まれ、観測は大成功となった。

大学での月食観測の際に 昭和11年(1936年)1月8日

観測準備のようすが読み取れる当時の記録 昭和11年(1936年)1月8日

中国における日食観測に使用したレンズ(Aero-Nikkor 700mm F5)の図

エーロ・ニッコール 700mm F5である。この、小穴先生のイラストは素晴らしい。
赤瀬川原平画伯の画風を思わせる精密描写、そのすじのレンズ好きでないと、 こういう絵を描くことは絶対にできない。
小穴先生のドキュメントの特徴は、なんといっても作成した日付がきちんと入っていることだ。 これは研究者にとって、非常にありがたい。
16.1.14は当然ながら昭和16年1月14日である。

昭和16年(1941年)。
1月には時の東條英機首相が戦陣訓発布。
2月に日劇の李香蘭ショーで群衆が暴徒化したり。
10月にゾルゲ事件。そして、12月は真珠湾攻撃から大東亜戦争に突入する。
考えてみると、 大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍の 航空写真偵察用に開発された光学兵器であるエーロ・ニッコール700mm F5を使って 日食観測をするという、いわば「暴挙」は、小穴先生だからできたのではないか。 小穴先生だから許されたのではないか。 なお、エーロ・ニッコール(Aero-Nikkor)700mm F5は、 すでに昭和7年(1932年)に日本光学で完成していて軍に出荷されている。

小穴先生の几帳面なイラスト 昭和16年(1941年)1月14日

北海道斜里で観測したコロナのスペクトル 昭和11年(1936年)

磨きガラス製の日食観測用乾板と小穴先生の几帳面な手書き文字の入った紙箱。
内覧会の日には、乾板と説明用のラベルが逆に展示されていたが、 そこはお許しいただきたい。
昭和11年(1936年)の観測にはドイツのアグファ社製イゾパン、 そして昭和16年(1941年)の観測では、国産の富士フイルム社製を使ったようだ。

中国賀勝橋(湖北省)で観測したコロナのスペクトル 昭和16年(1941年)

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