Beautiful Grace Röntgen Xebec 5cm F1.5 Lens

Vintage and Historical Legacy Lenses

ニコン・ゼットにレントゲン・ジーベック 5cm F1.5

ニコン Z 写真帖

ニコン Z 6 にレントゲン・ジーベック 5cm F1.5を装着した。 このレンズはライカL39スクリューマウントよりごくわずかに細い特殊なネジマウントを持つ。 ネジの外径はノギスで測ってみると35.7mm。 専用のマウントアダプターを専門業者さんに特注すれば精度を出せるしスマートでよいのだが、 ここは手持ちの資源を使って簡単に実現することにした。

まずレンズのスクリュー部分に黒のパーマセルテープをぐるりと貼り、 テープの厚みを加減しながらL39マウントの外径寸法を確保する。 Z カメラボディに市販品の K&F Concept製 M42-Z マウントアダプターを装着。 さらに M42-L39 変換リング(OASIS 7844)を付けてライカL39スクリューマウントにする。 レンズをグリグリまわしながら取り付ければ完成だ。 グイと押し込めば無限遠。すこし引き出せば近距離撮影モードとなる。 下の画像でマウントの様子を示す。

Nikon Z 6 + M42 to Z + M42 to L39 (OASIS 7844) + R Xebec 5cm F1.5

ニコン・ゼットマウント化した R Xebec 5cm F1.5 レンズ

一眼レフに比べてフランジバックの短いミラーレス機なので、 かるく無限遠(遠距離)での撮影が可能となった。 接写ではわからない情感を含む空気と距離の間の眺めを撮影してみた。 いずれもすべて絞り開放の F1.5 で撮影した。 そもそもレンズに絞り機構がないので開放の F1.5 しか選択肢がないのだが。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1600 sec.   +1.7

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1250 sec.   +1.7

なんとも生命感あふれる桜木が写った。 ソフトフォーカスのようでメリハリのある描写。 昭和の日本映画で「ここは日本晴れで」 との指定にたいして台本通りの色彩が表現できた気分である。 昭和二十九年に巨匠・木村伊兵衛が ASA10の古式リバーサルフィルムでパリを撮影したあの当時の空気感だ。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1250 sec.   +1.3

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/5000 sec.   -0 +0

多摩川を渡るに風に情感は写るか。 さくっと撮っただけで場は昭和の日本映画になった。 菜の花が咲く春だというのにラストシーンのような情況が写った。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/8000 sec.   -3

スタンダードサイズの映画だったら、 このまま「終」という字幕が白抜きのスーパーインポーズで収まるはずだ。 ともかくラストシーンが出たので、この日の撮影はそこで終わってしまった。 写りは昭和三十年代。レンズの有する時代感と演出力の高さは特筆ものである。

元気な写り

おそらくレンズの描写表現で、「元気な写り」という形容を聞いたことがない。 それでも「元気な写り」は存在するものと仮定して、 レントゲン・ジーベック 5cm F1.5 による「元気な写り」を具現してみた。

Nikon Z and Röntgen Xebec 5cm F1.5 Lens

ニコン・ゼットはやる気十分なので好感がもてる。 基本性能が優れているのに素直なのだ。 へんにかまえたところがない。 なにしろ、さくっと仕事をこなして平然としている。 「じゃ元気な写りいきます!」 と爽やかに声を出したと思ったら、ちゃっちゃっと以下の画像を出してきた。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1600 sec.   +0.3

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1250 sec.   +0.7

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/2500 sec.   +0.7

さすがである。ブリリアントでゴージャスで、さらにはほんとに元気な写りなのである。 困ったものだ。これで昭和十八年だか昭和十九年製レンズだと言うのだから。 やはりレンズは新しい方がよい。天保八年製の鏡玉ではこうは写らないだろう。

情と気配

古いレンズなので、フィルムだろうとデジタルだろうと、 そんなの関係ないとの決意は強く、 新しいデジタルカメラにマウントしても情は写るし気配も写る。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/3200 sec.   -0 +0

撮影場所は京王線多摩川橋梁。 いつもの無限遠(遠距離)テスト撮影のポイントだ。 じつは珍しいシーンと遭遇したのである。南風が強い日だった。 鉄橋の上をゆっくりと左手から下り、右手から上りの新宿に向かう電車が進み、 ちょうど鉄橋の中ほどでクロスしたのである。 そんなラッキーなタイミングのシーンなのに、レンズはレントゲン・ジーベック 5cm F1.5。 これも試練であり修行なのだ。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/5000 sec.   -0 +0

優れた生命感描写

植物にも承認欲求があることはごく一部で深く知られていることであるが、 誰も見向きもしないような多摩川の土手に咲く名もなき一般植物にこそ価値がある。 「撮らせていただけませんか」と声をかけたら、急に姿勢を正して、約3センチほど背筋を伸ばした。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/2500 sec.   -0 +0

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/3200 sec.   -0 +0

このレンズはもともと、 エックス線の蛍光像を35ミリフィルム上に24ミリ×24ミリの小さいサイズで撮影する専用レンズである。 それを伸び伸びとフルサイズは36ミリ×24ミリのミラーレス機で撮影している。 初夏の湧き出る生命感が描写できた気がする。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1600 sec.   -0 +0

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1600 sec.   -0 +0

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/4000 sec.   -0 +0

ただ光合成をして子孫を残すためだけに生きている草草の潔さ。 植物図譜にはない学術分類とは無縁の、華美でないがシンプルで自由な浮遊感が素晴らしい。

レンズは生きている

昭和十八年から十九年。時局は過酷な用途に使われてきたレンズだ。 主たる出動の場は徴兵検査。人の運命を左右する判定に使われていた。 その責任感と重圧は相当なものだっただろう。 爾来八十年。夏草の香りか木漏れ日の情景を眺めてゐる。

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/1000 sec.   -0 +0

R Xebec 5cm F1.5,   ASA 100   F1.5   1/2500 sec.   -2

多摩川に残るトマソン遺跡。この石段を上ると川沿いの道路に出られた時代もあった。 新設のガードレールに遮られて時は流れた。木々の隙間から光がこぼれ落ちる風化した石段。 たしかに情が写っている。そこに。そして気配もしっかりと写り込んでいる。見えますか。 みえるものだけみているようではみえない。

Nikon Z and Röntgen Xebec 5cm F1.5 Lens

森亮資さんのこと

森 亮資(もり りょうすけ)さんがお亡くなりになったのは2019年6月のことだった。 急逝だったので多くの関係者・友人が驚いた。 1970年生まれ。まだ49歳という若さだった。 関西大学の各学部で「科学と技術」「近代科学の系譜」の科目で講義を担当されていた。 大学教員の苦労話をよく聞いたものだ。

森さんとの関わりは長い。 クラシックカメラ専科などのカメラ雑誌の記事を通して、お名前と活躍ぶりは古くから知っていた。 最初に直接ご本人とお会いしたのは2004年2月のことだった。 NHS (Nikon Historical Society) の2004年東京大会の時だった。 こんなに若い人だったのかという印象をいまでも覚えている。 当時彼は30代前半だった。

NHS のつながりがご縁でニコン研究会の例会に何回かおいでいただき、 戦前のマイナーな国産カメラの歴史について教えていただいた。 時には予定外に飲み会に乱入していただいたこともあった。 森さんのお姿画像を掲載しようと探してみたが 居酒屋は大人数の飲み会で盛り上がっている写真ばかり。 もうすこしポートレイトふうのがないかと探してみたのがこれだ。 場所は東京・日比谷の帝國ホテル。 メインバーのオールドインペリアルバー。 時刻は夜の9時すぎ。

森 亮資さん
(撮影年は2007年6月)

フランク・ロイド・ライトが設計した 帝國ホテル旧本館の様式美が残っている唯一の場所がオールドインペリアルバーである。 レプリカではない当時のまま、本物現物のテラコッタの壁を背にして、 ライトの建築に詳しい芦屋育ちの森さんはウイスキーのオンザロックスを片手に饒舌だった。 森さんはラフロイグ10年、マッカラン12年。私はオールドパー12年、山崎12年。 話題は、カメラ、時計、ウイスキー。

オールドインペリアルバー

森さんとはいくつかの歴史的カメラ、レンズについて、いっしょに調査研究を進めていた。 大東亜戦争時代の日本光斈製気球写真機、東京光学機械製シムラー高速望遠レンズなどなど。 断片的に情報のやりとりをしていたが完成に至っていない。

R. I. P.

2022年のあとがき

このコンテンツのオリジナルは2017年2月に公開しました。 2020年にニコン Z 6 による実写画像を掲載しようと手を付けましたが、 記事1本のボリュームが大きく、そのまま追加するには無理があると判断しました。 既存の記事を3分割することにし、ニコン Z 6 による実写画像の部を加えて、 4つの章からなる4部構成に編集し直しました。

この記事を書くにあたり、 上代光学のことなど貴重な史料と情報を私に与えてくださいましたのが森 亮資さんでした。 しかし2019年6月。急逝されたとの報が届きました。あまりにも突然のことでしたので驚きました。 そんな時代のことも書いてみました。

 最初に戻ります。   第 1 章 レントゲンジーベック 5cm F1.5

ショートカットはこちらからです。

第 1 章     レントゲンジーベック 5cm F1.5
第 2 章     日本光研蛍光像縮写機の時代
第 3 章     上代兄弟と上代光学のこと
第 4 章     ニコン Z 写真帖

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