Beautiful Grace Röntgen Xebec 5cm F1.5 Lens

Vintage and Historical Legacy Lenses

時空を超える鏡玉の存在感

桜の下でただ美しければそれでよい

「縞唐花菱紋」は正倉院に伝わる夾纈(きょうけち)染の幡(ばん)につかわれている文様。 豪華さと洗練された風情を漂わせる裂である。 レントゲン・ジーベック 5cm F1.5の存在感にふさわしい。 桜の下でただ美しければそれでよいのだ。

桜花と鏡玉の形而上学的な構成

桜吹雪に鏡玉は美しいお道具

他のレンズにはない不思議な描写と中世日本文学的な色彩表現力

昭和余年は白熱電球の硝子の傘は乳白色だつた

天上の優美地上の気品
レントゲン・ジーベック 5cm F1.5による微妙な色彩表現

レントゲン・ジーベックの歴史を探る

さて、このレンズは何者なのだろうか。 レンズ単体で世に出たわけではない。カメラとセットで製品化されたのである。 このレンズがセットされていたカメラを見ていただこう。

日本光研株式会社製X線蛍光像縮写機

小型の黒いトランクケース。 ケースには製品名もメーカーロゴも入っていない。 パカとフタを開けると両サイドに専用カメラボデイが2台、中央に取付けアダプター、 手前にフィルムマガジン8本がズラリとキッチリとセットされているのが壮観。 レントゲン・ジーベック 5cm F1.5は中央の取付けアダプターにねじマウントされている。

箱の裏のクッション地には、両肩に星が光り鷲の姿がデフォルメされたようなマークが、 金箔押しで印されている。 文字が擦れているが「NIPPON-KOKEN」と読み取れる。 NIPPON-KOKEN、日本光研とはなにものなのか。

昭和十八年(1943年)四月一日。 東京市芝区田村町にあった三和商会のレントゲン部を独立し日本光研株式会社が設立された。 その3か月後の昭和十八年(1943年)七月一日。 東京市と東京府は廃止されて現在の東京都の設置となる。 大きく物事が動いていた時代だった。 この時代にあって、レントゲンカメラの開発は国家にとって急務かつ重要課題であったのだ。

2013年に公開されたスタジオジブリ製作の長編アニメーション映画 「風立ちぬ」をご覧になった方も多いだろう。 「煙草、計算尺、結核」がテーマの映画である。 堀辰雄の小説「風立ちぬ」を野田書房版か岩波文庫で読んでいれば話は早い。 あの時代、結核は不治の病といわれていた。 現代からするとにわかには信じがたいが、日本人の死亡原因の第1位だったのである。

「風立ちぬ」の時代

堀辰雄の小説「風立ちぬ」。 さすがに昭和13年(1938年)に刊行されたオリジナルの野田書房版を当時買ったわけではないので、 私が若気の至りで昭和47年(1972年)の夏に買った岩波文庫版をイメージショットとして置いてみた。

岩波文庫の星1つは堀辰雄「風立ちぬ」

話は横道にしっかりとそれるが、 当時の岩波文庫は昨今のように軟弱なイラストのカバーをつけてはいない。 この素っ気ない文学丸出しの表紙に愛嬌を排除した機能だけの帯。 そしてパラフィン紙でカバーされていなければ岩波文庫ではない。 ご承知のとおり岩波文庫は帯の色で分類されている。 松岡正剛さんの説明によれば緑帯は「日本文学近現代」である。

値段も無粋に表示してはいけない。 星マーク★の数で値段を示すのが岩波文庫の矜持ではなかったのか。 昭和47年(1972年)。当時の星1つは50円だった。 国電(JRなんて知らない)の初乗りが30円の時代である。 都内は港区三田の喫茶店のコーヒーが100円だった。

岩波文庫のパラフィン紙のカバーはたんなる汚れ防止かと思っていたが、 40数年に渡り試料を観察してようやく主たる目的が解明できた。 このパラフィン紙は紫外線に対して、 絶大なる遮断機能を有する。紫外線を吸収もしくは反射するのであろうか。 茶褐色に変色しパリパリになるので吸収するのかもしれない。 つまり、この薄い紙をかけているだけで、表紙も帯も「まったく焼けない」のである。

すくなくとも、昭和45年(1970年)から持っている何冊かは、 このパラフィン紙カバーのおかげで、表紙と帯は「まったく焼けがない」。 このあたりは学術研究されている方がおいでだろうから印象だけの話としたい。 これにて横道終了。 だいたいが、マニヤの話は横道にそれた時の方がおもしろいものであるが。

日本光研製蛍光像縮写機

話を元に戻す。記録によると、昭和十八年は日本における結核のピークだったようだ。 当時の雑誌記事(注1)には 「我が国の結核患者は年々200万人を数え、 死亡者も年16万人を下らず、しかも結核による死亡者の大半が青年である」とされ、 危機的な状況を読み取ることができる。 「死亡者の大半が青年」との悲愴な論説はすでに小説だ。

結核は空気感染する。集団の中に患者が出ては大きな問題となる。 特に軍隊のように朝から晩まで集団生活する空間では深刻な事態となる。 こういった背景から徴兵検査における胸部レントゲン撮影は必須であり絶対的な需要があった。

しかしながら、レントゲンの直接撮影では巨大な設備と暗室を必要とした。 1人あたり四つ切大(縦54センチ×横38センチ)のフィルムを使ったわけであるから、 設備は大掛かりとなり、コストは高い、なによりも大量にこなせないので効率が悪い。

そんな背景から蛍光像縮写器(エックス線間接撮影装置)による蛍光像撮影の方法が確立された。 昭和十七年厚生省規格の蛍光板サイズは35センチ×35センチ。 そして書面サイズ(フィルムの画面サイズ)は24ミリ×24ミリ。

この間接撮影は徴兵検査に大いに貢献したようである。 なにせ現在のフィルムパトローネサイズの小さい金属製マガジンに詰めた35ミリフィルム1本で、 50人分の連続撮影が可能になったのだから。50枚撮りというのだろう。 しかしこんなに小さいフィルムサイズで、まともな(正確な)診断ができたのかは疑問である。

(注1)雑誌記事に見る日本光研のこと
大阪市南区・カメラ興行通信社発行「カメラ興行通信」昭和十八年4月20日号
13ページの日本光研株式会社設立に関する記事を参考にさせていただいた。
当該記事では蛍光像縮写器と表記し説明されている。 カメラの現物には蛍光像縮写機と刻印されている。 このコンテンツでは「蛍光像縮写器」と「蛍光像縮写機」を明に分けて論じた。

日本光研製レントゲンカメラとレンズユニット

日本光研株式会社製X線蛍光像縮写機

なお、日本光研株式会社製X線蛍光像縮写機には、 ルミター(LUMITAR)5cm F1.5付きのセットも存在している。 レンズ銘は前面のリムではなく、 レンズの鏡胴に、時代を意識してドイツ語で 「LUMITAR 1:1.5 F=5cm für Röntgenschirmbild」との刻印が入っている。

美しいレンズユニットを取り外す

レンズはいわゆるスクリューマウントである。ネジ径はノギスで測ってみると35.7mm。 同じノギスを使って手持ちのレンズを測ってみた。 ズマリット5cm F1.5は38.9mm(ほとんど39.0mm)。 同じくELニッコール105mm F5.6も38.9mm(ほとんど39.0mm)。 ようするにネジ径はライカL39スクリューマウントよりも数ミリ細見の35.7mmである。

フィルター径は41mmである。 ライカのズマリット5cm F1.5用のフィルターがピタリとフィットする。 話はまた横道にそれてしまうが、私がいま使っている41mmフィルターは 東京は新宿にあったライカの専門店「トーホーカメラ」で買った。 歌舞伎町の風林会館の1階。 1980年代は初頭の話。当時私は二十代の終り。

そもそも当時のクラシックカメラ店は、 店の想いとは別の、顧客の連携による一種独特の雰囲気の醸成により、 二十代の若造などお呼びでない世界だったのだ。 ショーウインドーを見ることは許可されていたが、 お店の中にはとても一人では入れないオーラが充満していた。 四十代から五十代、それ以上の年配の紳士の常連客から「あんた何?」 (こういう店に入るには20年早いという意志表示)と言われそうな雰囲気。

それでもトーホーカメラのおやじさんは優しく接してくれて
「何か探してんの?」
「ああ、フィルターね」
「ライカのやつは高いからね」
「ケンコーに作ってもらったのなら安いよ」
というわけで国産の特注品を購入。スカイライト3,000円。高いけどライカ純正の1/4。 当時は41mmフィルターがマルミなどから販売されていなかった時代。

二十代の若者でもクラシックカメラ店に一人で入ることができるようになったのは、 写真家の田中長徳氏が1992年に日本カメラ社からハードカバーの「銘機礼讃」を上梓してからだ。 この事件をきっかけに様相はガラリと変わった。 さらには南青山に伝説の「レチナハウス」が開店。1995年7月のことだった。 クラシックカメラがおしゃれなファッションになった起源である。

もちろん昔のままの雰囲気の店も残っていて、新宿だったら歌舞伎町にあったピンホール、 コマ劇場内にあった「カメラのいがらし」(通称イガラシカメラ)などすでに伝説である。 名物店主にかかるエピソードだけでも話は長くなるので、ここまでということにしたい。

話は飛んでしまった。 Röntgen Xebec 5cm F1.5レンズには、41mmフィルターがフィットする。

レンズ前エレメントと後エレメントがねじで簡単に分離できる構造

 さらに次にいきましょう。   第 3 章 上代兄弟と上代光学のこと

ショートカットはこちらからです。

第 1 章     レントゲンジーベック 5cm F1.5
第 2 章     日本光研蛍光像縮写機の時代
第 3 章     上代兄弟と上代光学のこと
第 4 章     ニコン Z 写真帖

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