EL Nikkor 50mm F2.8    Chapter 1

EL ニッコール 50mm F2.8

このレンズは20年以上前に入手した。 元箱の中に紙モノが入っていたので手に取った。 時は1999年2月末。レシートの日付は土曜日。東京は銀座松屋の中古カメラ市。 命がけの初日ではなく、俗にいう落穂拾いでのんびりと週末の参戦となったようだ。 値段は4,500円。消費税 5% 225円。4,725円のプチ買物だった。 当時は赤坂四丁目にあったアカサカカメラさんの出品。

保証書の裏には前オーナーの購入日と個人情報が手書きで記されている。 昭和44年(1969年)10月上旬の購入。東京都世田谷区の住所と名前まで読み取れる。 製造から軽く50年は経過しているレンズだ。ご縁あっていまこうしてレンズは手元にいる。

テクニカルデータ

EL Nikkor 50mm F2.8

−焦点距離: 51.6mm
−最大口径比: 1 : 2.8
−最小絞り値: F16
−レンズ構成: 4群6枚
−基準倍率: 8X
−標準使用倍率範囲: 2X〜20X
−画角: 46度
−色収差補正波長域: 370nm〜700nm
−口径蝕: 0%(F4にて)
−歪曲収差: -0.1%
−原板サイズ: 24×36mm
−基準倍率における原板から画像までの距離: 522.5mm
−フィルター径: 40.5mm P=0.5mm
−マウント: ライカL39スクリューマウント
−全長: 39.5mm
−最大径: 47.5mm
−重量: 100g
−重量実測: 104.5g

−発売時期: 1957年 2月
−当時の価格:
     9,500円(1966年 9月)
     9,500円(1969年 1月)
     9,500円(1973年 3月)
   11,200円(1974年 6月)
   11,200円(1976年 4月)
   12,700円(1976年 7月)
   12,700円(1977年12月)
   12,700円(1979年 3月)

EL ニッコール 50mm F2.8のレンズ構成図(各部寸法入り)

ELニッコール 50mm F2.8の立ち位置

新世代の ELニッコール Nシリーズ最初の製品が登場するのが 1979年6月。 旧世代の ELニッコールが出揃っていた時代後期は 1977年12月の製品一覧を示す。 同カテゴリーの同じ焦点距離のレンズと比べてみると、 価格の点からも ELニッコール 50mm F2.8 は少しばかり上級者向けの存在だったことが理解できる。

エル・ニッコール 製品一覧
ニコン産業用レンズ標準小売価格表(1977年12月21日版)より

エル・ニッコール 標準小売価格 原板サイズ
  50mm F2.8 12,700円    24 x 36 mm
  50mm F4 7,900円    24 x 36 mm
  63mm F3.5 21,700円    32 x 45 mm
  75mm F4 14,700円    56 x 56 mm
  80mm F5.6 19,400円    60 x 70 mm
  105mm F5.6 26,500円    65 x 90 mm
  135mm F5.6 37,500円    90 x 120 mm (4 x 5 inch)
  150mm F5.6 49,200円    100 x 130 mm (4 x 5 inch)
  180mm F5.6 74,600円    130 x 180 mm (5 x 7 inch)
  210mm F5.6 86,200円    150 x 210 mm (5 x 7 inch)
  240mm F5.6 111,000円    180 x 240 mm (8 x 10 inch)
  300mm F5.6 163,000円    270 x 330 mm (10 x 12 inch)
  360mm F5.6 231,000円    300 x 400 mm (11 x 14 inch)

設計は脇本善司氏

レンズ設計者の名前をオフィシャルに知る機会はすくない。 社史には記載がない。カタログにはもちろん登場しない。 そんな背景において、ニッコール千夜一夜物語は貴重な情報源となる。 第九夜 NIKKOR 13mm F5.6。 佐藤治夫氏の説明によると、EL ニッコール 50mm F2.8の設計者は脇本善司氏と説明されている。

脇本善司氏(1924年〜1996年)はあまりにも有名だ。 1964年には当時世界最高峰の 1260本/mmの極超高解像力を誇る あのウルトラマイクロニッコール 29.5mm F1.2 を設計し完成させた。 なじみのあるレンズでは初代マイクロニッコール 5cm F3.5。 NIKKOR-O 2.1cm F4、マウンテンニッコール 10.5cm F4も脇本善司氏の設計だ。 ほかにも挙げたらあれもこれもである。

そんな伝説のレンズ設計者である脇本善司氏が設計した超小型高解像力レンズだ。 よく写るにきまっている。

EL ニッコール 50mm F2.8

レンズフードは個性的な 40.5mmネジ込み式フード HN-N101を装着している。 このユニークなフードは2021年現在すでに旧製品となってしまった。 カメラ店の店頭に新品在庫分が定価で残っていたら即ゲットをおすすめする。 国内の中古物件を見てみたら、とんでない値段が付いているので見なかったことにした。

色収差補正波長域のこと

EL ニッコール 50mm F2.8の色収差補正波長域について注意しておきたい。 本記事では、 EL ニッコール 50mm F2.8の色収差補正波長域は、370nm〜700nmと説明している。 実は手持ちのすべての歴代のニコン製品カタログでは 380nm〜700nmとなっているのである。 カタログに書かれている数値を黙って信用するわけにはいかない。

日本光学が監修し共立出版から刊行された「ニコンFニコマートマニュアル」 (昭和44年初版)を確認してみた。 116ページから 117ページの説明が詳しい。 EL ニッコール 50mm F2.8の色収差補正波長域は 370nm〜700nm、 EL ニッコール 50mm F4の色収差補正波長域は 380nm〜700nm、 と明確に2本のレンズの仕様の違いについて説明されている。 EL ニッコール 50mm F2.8の色収差補正波長域は、近紫外域に踏み込んで、 370nm〜700nmなのである。

さらに、玄人向けに提供された技術資料である、 ニコンのサービスマニュアル(LENS DATA 1969. 4)でも、 EL ニッコール 50mm F2.8の色収差補正波長域は 370nm〜700nmとなっている。 よって、製品カタログよりは少し信用できそうな文献および資料のデータを採用し引用した。

EL ニッコール 63mm F3.5の色収差補正波長域 350nm〜700nmには及ばないが、 EL ニッコール 50mm F2.8も紫外線写真研究家・愛好家にとっては貴重な存在と言える。

EL ニッコール 50mm F2.8

ヒストリー

EL ニッコール 50mm F2.8 の歴史は古い。昭和32年(1957年)2月に発売されたという。 昭和32年といえば、ニコンFが登場する2年も前の話だ。 ニコンSPさえもこの時点2月ではまだ発売になっていない。 ニコンS2が全盛期の頃の製品と説明すれば、その時代背景とか、 とにかく昔の話ということは理解いただけると思う。

この当時にレンジファインダーニコンを使っていたのは、職業写真家しかいない。 一般のアマチュアとか家族の写真を撮るお父さんが使っていたのは、 ブローニー判の二眼レフカメラだった。写真は引き伸しをせずにベタ焼き。 一般家庭の写真はそもそも小さなものだったのである。 キャビネくらいの大きな写真は、写真館で撮るものだった。

1960年代になると時代は裕福となり、 日本映画の洋行シーンにはニコンやキヤノンなどの35ミリ小型精密写真機が登場する。 さらに1964年の東京オリンピックを契機に、 普通のお父さんでもアサヒペンタックスなどの一眼レフカメラを買えるようになった。

1967年9月に、価格を低く抑えた EL ニッコール 50mm F4 が発売となると、 エントリークラスとしての EL ニッコール 50mm F4と、 高級品の位置付けで本格派向けの EL ニッコール 50mm F2.8がラインナップに並んだ。

1972年〜1973年当時の写真史料

東京エリア限定の話ではあるが、1970年代初頭の池袋キクヤカメラの黄色い縦に長い冊子の特価表、 おなじく後発の西新宿は淀橋写真商会の黄色い大きな1枚モノの現金大特価相場表を現物史料で検証してみると、 このあたりがモノクロフィルムの自家現像、印画紙引き伸しプリントの黄金期だったのかもしれない。 用品販売における具体的な統計資料を分析したわけではないので体感的な話ということにしたい。

画像は私の紙モノ史料コレクションより。 まだ淀橋写真商会の時代。1973年2月に現場で収集した標本。 キクヤの特価表もぎっしりと文字情報だけ。 各種フィルム、写真の印画紙、暗室用品、現像用の薬品、 等々、この頃が時代の最盛期と判断するに十分なエビデンスである。

さて話を戻すと、EL ニッコール 50mm F2.8の発売時期はニコンの社史で確認できたが、販売の終了はいつだろうか。 1979年3月1日付けのニコン標準価格表(普通のカメラ店でもらえるもの)に掲載されているのを確認した。 1979年12月1日付けの同価格表には、EL ニッコール 50mm F2.8 に代わって、 新デザインの EL ニッコール 50mm F2.8N が 14,200円(新発売)で登場していることを確認した。 よって、EL ニッコール 50mm F2.8 の販売の終了は1979年後半と推測している。

EL ニッコール 50mm F2.8

ニコン産業用レンズ入門

いま現在、写真の引き伸しを自宅で行う人はあの時代に比べると激減した。 ほんらいの用途に使われることがなくなり、 EL ニッコール 50mm F2.8は、中古市場で簡単にそして安価に入手できる。

写真引き伸し用レンズで写真を撮る人はむかしはごく少数派だった。 焦点距離が50ミリ程度だと、ミラーのある一眼レフカメラに装着すると無限遠が出なかった。 マクロ撮影専門の限られた層の方しか実用していなかった感がある。 私の実体験では、お菓子のクッキーの表面のチョコチップとか、 ザラメ煎餅の表面の結晶写真とか、試写はしてみたが、それで終わってしまった。 フィルムニコンの時代であるから、高価な資源で煎餅表面の写真はいかにももったいなかったのである。

21世紀から10数年が経過した頃。2013年10月。 ソニーが35mmフルサイズイメージセンサー搭載ミラーレス一眼カメラα7シリーズを発売すると、 事情は大きく変わった。 50ミリの引き伸し用レンズでも無限遠が出せるようになったのだ。 しかも画角は50ミリレンズそのもの。 それから百年近く待ってニコンからゼットが出た。 あっけなく50ミリのレンズで無限遠が出る。 手持ちのM42ヘリコイドでマクロ撮影から天体写真まで自由度が広がった。

産業用レンズをプチお試しの意味でも、EL ニッコールをおすすめする。 特に小学生、中学生の方は、まずはおこづかいで気軽に入手できる50ミリレンズが良い。 カメラはお母さんから借りればいい話だ。 そのあとは、古いものではマクロニッコールとかウルトラマイクロニッコール、 新しいものではRayfact、 さらにはレンズだけで重量1トンは超える半導体露光装置用巨大レンズに進めばいい。

ヤフオクかメリカリで980円で買った中古の写真引き伸し用レンズが本当にちゃんと写るのか。 だいじょうぶです。EL ニッコールならば、極精細まる出しの本格派科学写真が写ります。 大人の事情で、明日発売となる最新レンズとの比較はいたしませんが。

EL ニッコール 50mm F2.8

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