November 2024, Nikon Kenkyukai     2

Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting

最初期型ニコンF

さてここからは「グランドカメラ談議」、「みんな大好きカメラの話」の時間です。 コレクションテーブルには貴重な逸品が並んでいます。 好き勝手なカメラ談議がそこらここらで始まりました。

ニコンFコレクション

ニコンFコレクション

さらりとクロームボディのニコンFが置かれています。 3台ともなんと極最初期型のニコンF。いわゆる布幕シャッター機です。 ホンモノの布幕シャッター機が 3台揃う機会はめったにありません。

ニコンFコレクション

ニコンFの極最初期型の約 100台ほどが布幕シャッター機だったと言われています。 いずれも一般には市販されておらず、 ほとんどが著名な写真家、報道機関、そしてニコン社内のごく一部の方など限られた人のみが手にできたものでした。 新製品というよりは、いわばフィールドテスト機のような存在だったのです。

6400027

6400086

濱嶋社長のニコンF シリアル番号 6400095

6400027, 6400086 and 6400095

6400027

6400086

President HAMASHIMA F 6400095

Nikkor 2.1cm F4

Nikkor 2.1cm F4 and Nikkor 25mm F3.5

Nikkor 25mm F3.5

ニコンFの贋作問題

ニコンFの極最初期型。シリアル番号は、6400001〜6400100ほど。 現存しているのはすべて布幕シャッター機でしょうか。 実は職業写真家が使った機体などは、ニコンの正式な保守サービスを受けて、 後にチタン幕シャッターに交換されているものが多くあります。 つまりチタン幕シャッターの方がホンモノということになります。 機体の番号はほぼすべて把握されていますので、贋作(フェイク)が出るとすぐにわかります。

ニコン研究会には、ニコンFの極最初期型のお問合せが多々入ります。 ある事例では、すでに会員が所有のシリアル番号と同じ番号でした。 会員が所有のものは、ニコン大井工場で分解し専門家による本物認定を受けた機体ですが、 ニコン大井サービス課でオーバーホールされチタン幕に交換済みです。お問合せの機体は布幕でした。 それでも贋作(フェイク)は数多く流通しています。

アニターレンズ

ニコンヒストリアンにとって、ニッコールレンズの始祖としてあまりにも有名なアニターレンズ。 重要文化財級のレンズでありますが、東京・西大井のニコンミュージアムの展示品を見てみましょう。

ニコンミュージアムにて(撮影年 2024年11月)

アニター 12cm F4.5(1930年)

アニター 12cm F4.5(1930年)

ニコンの歴史とアニターレンズ

アニターレンズの歴史的バックグラウンドを知るために、 株式会社ニコンのウェブサイトから企業年表を見てみましょう。 1921年の説明を原文のまま以下に引用させていただきました。

1921
ドイツ人技術者の招聘

1921(大正10)年、光学技術の進んでいたドイツから 8名の技術者たちが招聘された。 レンズ設計の世界的権威であるランゲ博士をはじめ、顕微鏡設計に豊富な経験を誇ったアハト、 精密機械技術に秀でたベルニック、レンズ設計・計算を専門とするディルマンなど、 彼らの指導は技術の向上に飛躍的な成果をもたらした。

ニコンの写真レンズ開発も、彼らによって本格的な設計が開始された。 先進国の光学技術レベルに追いつくために、まず模倣から始まり、 当時の主要レンズタイプであるテッサーに範をとって設計された一連のレンズ類が「アニター(Anytar)」と名付けられた。 アニターの設計を担当したのが、設計部数学課主任でドイツ人技術者のハインリッヒ・アハト(Heinrich Acht)であった。 アハトは、アニターのほとんどのレンズ設計を手掛けたといわれている。

アハトの帰国後は、日本人の設計者たちが改良を加えていった。 「アニター 12cm F4.5」は1929(昭和4)年末に試作完了後、さらに修正され、 1931年には本家のテッサーに見劣りしないレベルに達したといわれるまでになった。 アニターとして設計されたレンズは、 焦点距離 7.5cm、10.5cm、10.7cm、12cm、15cm、18cm、36cmの 7種類が確認されている。

ニコン研究会のアニターレンズ

なにやらヴィンテージな蛇腹カメラが 2台

テーブル中央の蛇腹カメラは日本最古のカメラメーカー「六櫻社」製のリリーカメラです。 リリーカメラは明治四十二年(1909年)の発売。 いらい、大正時代から昭和十一年(1936年)頃まで製造・販売されていたようです。 リリーカメラそのものは、当時の写真機マニアに支持され販売期間が長かったことから数多く現存しています。 中古カメラ市でもよく見かけ、今となってはお手頃な価格で入手が可能です。

ニコン研究会に降臨したアニターレンズ付きリリーカメラ

六櫻社製リリーカメラには当時最高峰の世界のレンズが搭載されました。 ざっと見ても、ゲルツ、ツァイス、ウォーレンサック、ホクトレンダー、六櫻社、等々。 しかし日本光学(ニコン)のレンズ付きは、当時のカタログや価格表を見ても確認ができません。

六櫻社製リリーカメラ アニター 12cm F4.5付き

日本光学の記録(「光友」1954年 7月号)によると、 アニター 12cm F4.5レンズは「昭和10年頃、従業員に20円で分けてくれ、リリーの箱型につけて使った。」 とのことです。どうやら日本光学の社員のみに限定販売したのは間違いないようです。 こういった背景からアニター 12cm F4.5レンズの現存数は極めて少ないのです。

アニター 12cm F4.5

アニター 12cm F4.5 レンズを個人でお持ちの方は、全世界レベルでも数人と聞いています。 そんな希少レンズがコレクションテーブルの上にしれっと鎮座していました。 まさに「猫の皿」の風格です。しかも 2台(2本)も。驚きました。

アニター 12cm F4.5

アニター 12cm F4.5

アニター 12cm F4.5

六櫻社製リリーカメラ アニター 12cm F4.5付き

六櫻社製リリーカメラ アニター 12cm F4.5付き

アニターの基本文献

ニコンヒストリアンのために、アニターレンズに関する基本文献をお示しします。 いずれも日本光学(ニコン)が発行した一次資料となります。

日本光学工業株式会社 四十年史
P. 523 〜 P. 525

日本光学工業株式会社 50年の歩み
P. 60、P.68 〜 P. 69

ニコン 75年史
P. 40 〜 P. 42

ニコン 100年史
P. 22 〜 P. 23、P. 37 〜 P. 38

本記事を製作するにあたり、基本文献を精読してみました。 レンズの名称「アニター」はドイツ人技術者のハインリッヒ・アハトが命名したことが確認できました。 名前の由来は公式には説明がありません。人名でしょうか。 このあたりはお詳しい研究家にまかせましょう。 ザ・ワイルドワンズ「愛するアニタ」は無関係と思われます。

社史を通読していて今さらながらの気づきがありました。 アハトが日本を去ったあとにアニターレンズを育てたのが当時の日本光学設計部長だった砂山角野。 昭和12年(1937年)。ちょうど日中戦争が始まった頃でしょうか。 この年に急逝していたのです。享年 50歳。 あと30年生きていたならば、1960年代のニコンF全盛期を見届けることができたでしょう。 東京・西大井のニコンミュージアム。 ニコンの礎を築いた「Origins」の展示コーナーで、砂山角野は藤井龍蔵らと並んで顕彰されています。

アニターレンズ付きリリーカメラの製造台数

アニターレンズが日本光学で社内販売されたという証言が掲載された一次資料(社内報の記事)を以下に示します。

日本光学社内報「光友」昭和29年(1954年)7月号

文字が少し薄いので、当該部分を文字起こししました。

森田(森田常務)  今の 12糎 F4.5 ですが、ニッコールの前にアニタというのがあったけど、 あれは誰が設計したんですか。

白浜(白浜常務)  あゝ、アニタね。砂山さん(砂山角野)だったかな。

村上(村上課長)  ドイツ人の設計ではなかったんでしょうか。 アニタは少しピントがおかしかったです。

白浜  そう、その割合に余りよくなかったな。

森(森取締役)  公称 12糎、実際の焦点距離 11.5糎でしたね。 シャッターの径の関係でね。ツアイスもそうだったんですがね。

小秋元(小秋元副長)  テッサータイプで四枚玉の・・・。

森田  あのレンズはそんなによくなかったですか。 私達は非常にいいと思っていたが・・・。

森  昭和十年頃でしたかね。みんなに分けましたね。

白浜  アニタを?

森田  そう、我々従業員には金二十円也で分けてくれた(笑) リリーの箱型につけて使ったですね。

アニターレンズがマウントされたリリーカメラの製造台数について確認しました。 クラシックカメラ専科 No. 53(1999年12月25日発行)に、 矢沢征一郎さんが「最初期の民生用日本光学製レンズ 2種」という記事で、以下のとおり述べられています。

それは元日本光学の常務であった森田茂之助の話である。 森田氏によると、従業員仲間でアニターレンズを会社から分けてもらい、 仲間が集まって小西六からレンズの付いていないリリーのボディーを 20台ほどまとめて購入し、 日本光学で調整して取り付けたというものである。

アニターレンズがマウントされたリリーカメラは、どうやら 20台製造されたようです。 クラカメ専科の当該記事が掲載された 1999年当時では、 アニター付きリリーカメラは 2台しか存在が確認されていないと述べられています。 いらい 25年の時が経過して、全世界に 5台現存していることが判明しました。 そのうちの 2台がニコン研究会に突然出現したわけですから、見る人が見れば驚愕のコレクションとなりました。

記事のご案内

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 では次にいきます。   第 3 章  ニコンF2チタン祭り

ショートカットはこちらからです。

第 0 章      トップページ
第 1 章      プレゼンテーション・セッション
第 2 章      最初期型ニコンFとアニター
第 3 章      ニコンF2チタン祭り
第 4 章      ニコン高速モータードライブ
第 5 章      反省会

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