![]() Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting ● 最初期型ニコンF さてここからは「グランドカメラ談議」、「みんな大好きカメラの話」の時間です。 コレクションテーブルには貴重な逸品が並んでいます。 好き勝手なカメラ談議がそこらここらで始まりました。
![]() ニコンFコレクション
![]() ニコンFコレクション さらりとクロームボディのニコンFが置かれています。 3台ともなんと極最初期型のニコンF。いわゆる布幕シャッター機です。 ホンモノの布幕シャッター機が 3台揃う機会はめったにありません。
![]() ニコンFコレクション ニコンFの極最初期型の約 100台ほどが布幕シャッター機だったと言われています。 いずれも一般には市販されておらず、 ほとんどが著名な写真家、報道機関、そしてニコン社内のごく一部の方など限られた人のみが手にできたものでした。 新製品というよりは、いわばフィールドテスト機のような存在だったのです。
![]() 6400027
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![]() 濱嶋社長のニコンF シリアル番号 6400095
![]() 6400027, 6400086 and 6400095
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![]() President HAMASHIMA F 6400095
![]() Nikkor 2.1cm F4
![]() Nikkor 2.1cm F4 and Nikkor 25mm F3.5
![]() Nikkor 25mm F3.5 ● ニコンFの贋作問題 ニコンFの極最初期型。シリアル番号は、6400001〜6400100ほど。 現存しているのはすべて布幕シャッター機でしょうか。 実は職業写真家が使った機体などは、ニコンの正式な保守サービスを受けて、 後にチタン幕シャッターに交換されているものが多くあります。 つまりチタン幕シャッターの方がホンモノということになります。 機体の番号はほぼすべて把握されていますので、贋作(フェイク)が出るとすぐにわかります。 ニコン研究会には、ニコンFの極最初期型のお問合せが多々入ります。 ある事例では、すでに会員が所有のシリアル番号と同じ番号でした。 会員が所有のものは、ニコン大井工場で分解し専門家による本物認定を受けた機体ですが、 ニコン大井サービス課でオーバーホールされチタン幕に交換済みです。お問合せの機体は布幕でした。 それでも贋作(フェイク)は数多く流通しています。 ● アニターレンズ ニコンヒストリアンにとって、ニッコールレンズの始祖としてあまりにも有名なアニターレンズ。 重要文化財級のレンズでありますが、東京・西大井のニコンミュージアムの展示品を見てみましょう。
![]() ニコンミュージアムにて(撮影年 2024年11月)
![]() アニター 12cm F4.5(1930年)
![]() アニター 12cm F4.5(1930年) ● ニコンの歴史とアニターレンズ アニターレンズの歴史的バックグラウンドを知るために、 株式会社ニコンのウェブサイトから企業年表を見てみましょう。 1921年の説明を原文のまま以下に引用させていただきました。
● ニコン研究会のアニターレンズ
![]() なにやらヴィンテージな蛇腹カメラが 2台 テーブル中央の蛇腹カメラは日本最古のカメラメーカー「六櫻社」製のリリーカメラです。 リリーカメラは明治四十二年(1909年)の発売。 いらい、大正時代から昭和十一年(1936年)頃まで製造・販売されていたようです。 リリーカメラそのものは、当時の写真機マニアに支持され販売期間が長かったことから数多く現存しています。 中古カメラ市でもよく見かけ、今となってはお手頃な価格で入手が可能です。
![]() ニコン研究会に降臨したアニターレンズ付きリリーカメラ 六櫻社製リリーカメラには当時最高峰の世界のレンズが搭載されました。 ざっと見ても、ゲルツ、ツァイス、ウォーレンサック、ホクトレンダー、六櫻社、等々。 しかし日本光学(ニコン)のレンズ付きは、当時のカタログや価格表を見ても確認ができません。
![]() 六櫻社製リリーカメラ アニター 12cm F4.5付き 日本光学の記録(「光友」1954年 7月号)によると、 アニター 12cm F4.5レンズは「昭和10年頃、従業員に20円で分けてくれ、リリーの箱型につけて使った。」 とのことです。どうやら日本光学の社員のみに限定販売したのは間違いないようです。 こういった背景からアニター 12cm F4.5レンズの現存数は極めて少ないのです。
![]() アニター 12cm F4.5 アニター 12cm F4.5 レンズを個人でお持ちの方は、全世界レベルでも数人と聞いています。 そんな希少レンズがコレクションテーブルの上にしれっと鎮座していました。 まさに「猫の皿」の風格です。しかも 2台(2本)も。驚きました。
![]() アニター 12cm F4.5
![]() アニター 12cm F4.5
![]() アニター 12cm F4.5
![]() 六櫻社製リリーカメラ アニター 12cm F4.5付き
![]() 六櫻社製リリーカメラ アニター 12cm F4.5付き ● アニターの基本文献 ニコンヒストリアンのために、アニターレンズに関する基本文献をお示しします。 いずれも日本光学(ニコン)が発行した一次資料となります。
日本光学工業株式会社 四十年史
日本光学工業株式会社 50年の歩み
ニコン 75年史
ニコン 100年史 本記事を製作するにあたり、基本文献を精読してみました。 レンズの名称「アニター」はドイツ人技術者のハインリッヒ・アハトが命名したことが確認できました。 名前の由来は公式には説明がありません。人名でしょうか。 このあたりはお詳しい研究家にまかせましょう。 ザ・ワイルドワンズ「愛するアニタ」は無関係と思われます。 社史を通読していて今さらながらの気づきがありました。 アハトが日本を去ったあとにアニターレンズを育てたのが当時の日本光学設計部長だった砂山角野。 昭和12年(1937年)。ちょうど日中戦争が始まった頃でしょうか。 この年に急逝していたのです。享年 50歳。 あと30年生きていたならば、1960年代のニコンF全盛期を見届けることができたでしょう。 東京・西大井のニコンミュージアム。 ニコンの礎を築いた「Origins」の展示コーナーで、砂山角野は藤井龍蔵らと並んで顕彰されています。 ● アニターレンズ付きリリーカメラの製造台数 アニターレンズが日本光学で社内販売されたという証言が掲載された一次資料(社内報の記事)を以下に示します。
![]() 日本光学社内報「光友」昭和29年(1954年)7月号 文字が少し薄いので、当該部分を文字起こししました。
アニターレンズがマウントされたリリーカメラの製造台数について確認しました。 クラシックカメラ専科 No. 53(1999年12月25日発行)に、 矢沢征一郎さんが「最初期の民生用日本光学製レンズ 2種」という記事で、以下のとおり述べられています。
アニターレンズがマウントされたリリーカメラは、どうやら 20台製造されたようです。 クラカメ専科の当該記事が掲載された 1999年当時では、 アニター付きリリーカメラは 2台しか存在が確認されていないと述べられています。 いらい 25年の時が経過して、全世界に 5台現存していることが判明しました。 そのうちの 2台がニコン研究会に突然出現したわけですから、見る人が見れば驚愕のコレクションとなりました。 ● 20台の根拠 1954年の一次資料によると、アニターレンズは 20円で社員向けに販売されたとあります。 しかしアニターレンズ付きリリーカメラの製造台数については説明がなく不明のままでした。 ほぼ半世紀後に発行された 1999年の雑誌記事では、台数は 20台となっています。 20円に 20台。なんだか語呂合わせのようで、ホントかな?との疑問がすこしばかりありました。 裏付けとなるエビデンスが確認できなかったからです。 しかしながら、信憑性の高いエビデンスが残されていました。 1981年に発行された専門誌カメラコレクターズニュース(編集・発行人:粟野幹男)です。 該当記事を以下に引用させていただきました。
1981年。当時斯界の第一人者であった粟野幹男氏が日本光学から歴史的事実を引き出していたのです。 1954年。日本光学常務の森田茂之助氏のお姿写真から、当時 55歳〜60歳と推定してみました。 27年後の 1981年。森田元常務は 82歳〜87歳でしょうか。 日本光学サービス部は、退職された OBに連絡を取り、生の声・言説を得ていたのです。 会社にとってなんの利益も儲けもない昔話の発掘に、真剣に対応する日本光学のその姿勢にしびれました。 おかげさまで、1954年の座談会でのお話が、 70年後の 2024年に産業技術史としてここによみがえることになりました。 ● 記事のご案内 画像の上で左クリックすると、大きいサイズの画像を表示できます。 細部までを確認したい方はどうぞ拡大してご覧ください。 → では次にいきます。 第 3 章 ニコンF2チタン祭り ショートカットはこちらからです。
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