![]() ニコン F3 報道改 ● 和泉雅子さんとF3 2025年 7月18日。金曜日のことでした。 ネットほかテレビジョンの報道番組では和泉雅子さんがお亡くなりになったとのニュースが流れました。 和泉雅子さんといえば、ニコンヒストリアンにとって、植村直己さんに並ぶ人物なのです。 訃報が公知となったその翌日。2025年 7月19日。土曜日。 ニコン研究会は、全世界に先駆けて「和泉雅子さんを偲ぶお別れの会」を勝手に開催・敢行しました。
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和泉雅子さん そもそも和泉雅子さんは、1960年代を代表するアイドル女優でした。歌手としても活躍。 そして冒険家として、1985年に北極に挑戦。 二度目のチャレンジで、1989年に北極点到達に成功しました。 これは日本人の女性としては初めての快挙だったのです。 アサヒカメラ 2005年 2月号の連載記事「あの有名人のお宝カメラ」には、 北極点到達までの道程が記されています。 1985年の北極遠征のために、ニコンにカメラの操作を習いに行ったそうです。 銀座(サービスセンターでしょうか)に 1カ月以上通い、 マンツーマンで講習を受けたとのことです。機種はニコン F3。 記事に書かれてはいませんが、おそらくは一般的なカメラ操作に加えて、 極地探検行に向けた非常事態発生時の対応メニューがあったと想像できます。 フィルムが凍り付いて取り出せない時の対処方法とか、 電池が消耗してシャッターが切れない場合の緊急対応とか、 極低温の世界でなんとか一人で切り抜けるためのニコン・サバイバル術。 冒険行・探検行にはエビデンスとしての映像は必須ですから。 ● 和泉雅子さんを偲んでF3を語る 和泉雅子さんから、非常事態のニコン F3の対応方法を直接伝授された唯一の職業写真家は、 赤山シュウさん。 和泉雅子さんご逝去のニュースを知り、 思い出の地である銀座・三越を経由してニコン研究会に駆け付けてくださいました。
![]() 3台とも特設イルミネーター・マイクロスイッチ付き F3
![]() F3 プロフェッショナル・カメラの美
職業写真家赤山シュウ伝説
和泉雅子さんからニコン F3の緊急作動レバーでシャッターを切ることをアドバイスされて、 無事に取材は終了。もちろん絵のアガリはバッチリ。 デスクには涼しい顔して撮影取材完了を報告したそうです。
![]() Nikon F3P
![]() ニコン Zfc、ニコン Zf、そしてニコン F3
![]() Nikon F3/T
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和泉雅子さんとの邂逅を語る赤山シュウさん ニコン F3の緊急作動レバー。 電池が無くても 1/60の機械式シャッターを切ることができます。 しかしほとんど使われるあてのない機能。 コストも高くなるので販売・営業サイドからは反対されたかもしれません。 でも設計者は「こんなこともあろうかと」とエマージェンシー・シャッターを入れてしまった。 赤山さんが実際に土壇場で使い救われた話を聞いて、ニコリとする設計者の顔が目にうかびます。 ● F3マサコスペシャル 和泉雅子さんが北極遠征に持って行ったのは耐寒仕様のニコン F3。 ウエムラスペシャルを 2台。 レンズは同じく耐寒仕様の 25mm〜50mm ズーム、70mm〜210mm ズームの 2本。 北極遠征の後はニコンから譲り受け、和泉雅子さん専用機「雅子スペシャル」となりました。 マサコスペシャルには、MASAKO IZUMI NORTH POLE EXPEDITION との極め刻印が、 F3ボディ軍艦部背面に力強く彫り込まれています。 いずれニコンミュージアムの展示で、ぜひともその実物を拝観したいものです。 ● F2チタンを語る
![]() 使い込まれたカメラの美
![]() 今日もF2チタン
![]() 明日もF2チタン ● 記事のご案内 画像の上で左クリックすると、大きいサイズの画像を表示できます。 細部までを確認したい方はどうぞ拡大してご覧ください。 → では次にいきます。 第 3 章 オールド・ニッコール ショートカットはこちらからです。
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