Fax-Ortho-NIKKOR 400mm F5.6 Huge Daimajin

"大魔神"ファックス・オルソ・ニッコール400mm F5.6
(撮影年は2002年3月)

The Huge Daimajin Shipbuilding Lens
Big Dreaming Nippon Kogaku Sakura Party
Super High End Fax-Ortho-NIKKOR 400mm F5.6

幻の造船用ニッコール

造船用、つまり船舶を建造するために、専用ニッコールレンズが存在していたのをご存知だろうか。 船といってもボートではなく、1960年代の造船ニッポン、大型タンカーの建造を支えたのが、 このファックス・オルソ・ニッコールのスーパー工業用レンズシリーズだ。 内訳は後述するが、日本光学から3種類のレンズがリリースされていた。

造船とレンズが結びつかない方のために説明をすると、 ファックス・オルソ・ニッコールは造船用の鋼板罫書装置にマウントされていた超無歪レンズだ。 鋼板罫書装置の罫書は「ケイショ」ではなく「ケガキ」と読む。 機械工学の方々であれば「ケガキ」でなじむだろうが、 コンピューターサイエンスの学部生が機械実習(金属旋盤に金属工作) もせずに卒業してしまう昨今であるから、すこし説明がいる。 ケガキってなんだ。が、検索でもして確認していただきたい。

大型タンカーは鋼板でできている。 鋼板を設計図のとおりに切り出して、大きな船舶に組み立てるわけだ。 巨大な船舶であるから、鋼板切り出しのための原図は原寸大というわけにはいかない。 10分の1程度のスケールで原図を作り、原図をセットした鋼板罫書装置で10倍に拡大投影する。 鋼板にはファックス・オルソ・ニッコールを通して原図が写し出され、 その線に従って手でなぞるわけだ。 原理的にはエンピツでなぞればよいが、実際には電子写真の技術を使って鋼板に焼き付けたという。 光電導性物質(酸化亜鉛を含んだEPM感光剤)を利用して罫書き(ケガキ)を行ったようだ。 このあたりは富士フイルムの社史に詳しいのでそちらを参照していただきたい。

1960年代の初頭には、 EPMシステム(電子罫書装置)が機器メーカーから相次いで開発・リリースされている。 レンズ製造だけは特別な設計・製造技術が必要なため、 ファックス・オルソ・ニッコールがこういった機器メーカーに供給されたと思われる。 EPMによる精度化技術が日本の造船パワーをさらに強化したことは言うまでもない。 なお、EPMのネーミングであるが、電子写真による罫書き(ケガキ)ということで、 Electro Print Markingの頭文字をとって”EPM”と当時命名したようである。

高価な超無歪レンズ

画角54度のやや広角気味のレンズである。 40センチ×40センチの原図でも、 10倍に拡大するから4メートル×4メートルの非常に大きな出力を出す。 歪曲収差は10倍の拡大率で驚愕の0.00%だ。 つまり4メートルに拡大しても誤差は1ミリとない。

造船用の鋼板罫書装置というのはシビアな精度性能が要求されるため、 日本光学は特別なレンズ材料を使い特別に溶解した硝子を使用したと記録にある。 可視光線はもちろん350nmの紫外線域にいたるまで一様の透過率を持つ。 紫外線のみに感光する乳剤を使ってもOKということだ。 このあたりが、日本光学製スーパー工業用レンズのチャームポイントである。

当時のニコン産業用レンズ価格表を調べてみた。 1974年当時で650,000円である。 65万円とは、当時の会社員の初任給とかで換算すると、現在の200万円とか300万円くらいの感覚か。 現代でこのレンズを造るとすると、 とてもではないが高額なレンズになることは間違いない。 特殊ガラスが詰まったレンズブロックを手作り同然の鏡胴に収め、 専用の大型プロテクションフィルターまで造ったら、 尋常ではないことが理解できる。

テクニカルデータ

ファックス・オルソ・ニッコール、通称、大魔神は重たい。 大魔神の性能をここで確認してみよう。 当時のニコンのオリジナル資料から性能諸元とレンズ構成図を転載させていただいた。

出典:
日本光学工業株式会社「FAX-ORTHO-NIKKOR LENSES」(英語版)
カタログ番号 KBL 8402-910 (E)  1965年10月1日発行

ファックス・オルソ・ニッコール400mm F5.6

−焦点距離: 400mm
−最大絞り: F5.6
−最小絞り: F45
−レンズ構成: 4群6枚
−基準倍率: 10X
−画角: 54度
ー口径蝕: 0%(F8にて)
−色収差補正波長域: 350nm〜700nm
−歪曲収差: 0.00%
−画像サイズ: 3,200×3,200mm (4525mm⌀)
−原稿サイズ: 320×320mm (452.5mm⌀)
−基準倍率における原稿から画像までの距離: 4,840mm
−フィルター径: 132mm P=1
−マウント: 140mm P=1.5 ねじマウント
−座金外径: 188mm
−重量: 3,850g
−当時の価格: 528,000円(1969年 1月)
−当時の価格: 650,000円(1974年 6月)
−当時の価格: 650,000円(1977年12月)

ファックス・オルソ・ニッコール400mm F5.6のレンズ構成図

レンズ構成図各部寸法入り

このレンズには専用のガラスプロテクションフィルターが用意されている。 幸運なことに、この極めてレアなフィルター付きでやってきた。 1枚1枚手作りのフィルターには、 for Fax-Ortho NIKKOR 400mm F5.6 との刻印が彫り込まれている。 フィルターを取り付けると4キロの重量となる。大魔神は重たい。 曲率の大きい前玉はノンコーティングの潔さ。冷たくてまるいレンズに風景が写る。

イスにどしりと腰を下ろし風景を眺める大魔神

桜は花見の宴日本

むかしから使っているデイパックに、 ファックス・オルソ・ニッコール400mm F5.6を詰めて桜を見に行った。 ボーリングのボールを背負っているような、少々アバンギャルドな気分だ。 桜木は日本である。日本は桜木だ。そういうことだ。

完結する様式美は、桜の下で酒ということになるが、 愛用の高級ウィスキーでも詩情はきこえる。 造船所の鋼板罫書装置で冷たい鉄を見ていたファックス・オルソ・ニッコール400mm F5.6だが、 桜を見て、言った。
「生きていてよかった」

鉄しか見ない人生もあるが、
桜を見せたい人生もある。

大魔神はだまり、桜木の下を離れようとはしなかった。 鉄を見つづけた大魔神が、自分は日本人であることに気がついた瞬間だった。

コレクターズノート

ファックス・オルソ・ニッコール400mm F5.6レンズに刻印されている製造シリアル番号の話。 私が所有しているのは、No. 4458 である。 今までに全世界で計3本ほど出現しているのを確認している。 4420番代、4430番代、それにこの4450番代であるが、最初の"44"は捨て番のようである。 このレンズは1965年のカタログ資料に掲載されており、1977年の価格表にも登場していることから、 この種のレンズとしては販売期間が長かったと言える。 しかしながら、製品の用途と当時の価格からみても、それほど需要もなくごく少数しか製造されたなかったと思える。 製造本数は2桁と推測しているが、時間及び時代とともに推測が事実に近づくと思っている。

幻の造船用ニッコールであるファックス・オルソ・ニッコールは、 日本光学から3種類がリリースされていた。以下の3種類である。

  • Fax-Ortho-NIKKOR 250mm F5.6  (重量900g)
  • Fax-Ortho-NIKKOR 400mm F5.6  (重量3850g)
  • Fax-Ortho-NIKKOR 500mm F5.6  (重量6000g)

いずれも同じような外観だ。重量に注目。 とにかく重くて大きいレンズだ。4キロ、6キロの世界なのである。 なお、似たようなレンズで、ファックス・ニッコールがある。 これは事務用複写機に搭載されていたレンズで、比較的ポピュラーである。サイズも小さい。 海外のショップなどから、写真がなく商品名のリストだけからオーダーする場合には注意が必要だ。

大型カメラにも最高の組合せ

日本光学の資料によると、投影用の目的のほかに、縮小用、 つまり写真撮影用のカメラに搭載して最高の性能が得られるという。 重量級のレンズだけに、堅牢なレンズボードに取り付ける必要があるが、 夢の超無歪レンズを向けた風景には花が咲くだろう。人物に向ければ寿命が延びる。

生き延びたレンズの力はすごいのだ。
大魔神は現代も生き続ける。

日本の桜の下に生きる大魔神

2019年のあとがき

このコンテンツのオリジナルは2002年3月に公開したものです。
「大魔神」は1966年(昭和41年)に公開された日本の特撮時代劇映画です。 レンズの雰囲気はまさに大魔神。存在感がある重量級レンズです。

この記事がきっかけで、関西の読者の方がレンズをドイツから入手し、 大判写真機に搭載して実際に写真撮影を敢行しました。 その顛末を当サイトで紹介しました
いろいろなエピソードの多い大型レンズなのです。 レンズ構成図と製造シリアル番号の考察は2019年に追記しました。

Back to RED BOOK NIKKOR


Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2002, 2019