Ultra Micro Nikkor 155mm F4 Amida Turbo Lens

Amida Zigeunerweisen
Tokyo Roentgen City
Extra Grand
Ultra Micro Nikkor 155mm F4 Turbo Lens


漆黒、烏羽色、黒紅色の鏡胴鏡玉に宇宙は阿弥陀仏

阿弥陀

ツゴイネルワイゼン。
古い蓄音機は音がする。
昭和十七年。天然社から刊行された独逸新興生産文学のタイトルは、 ネーエルの「レントゲン」。 昭和十一年といえば日本浪漫派だ。これは新しい。
ドイツレントゲン博物館には行ったことがないが、 阿弥陀に出会えるような気がする。

初対面の男と月島で会った。
いきなりドイツ軍用真空管を手渡された。テレフンケン製のRS241だ。
隅田川にモダンな川舟が走る。 バリウムの鏡のような真空蒸着もようには危険物特有の美しさがあった。 ガラスチューブの透明感は秋に清涼な東京はレントゲン・シテイだ。
先週はシュールな日だつた。

レンズは装置か

純粋な写真装置があって、写真装置論が台頭したこともあったが、 写れば写真ということに気が付いた若い芸術家はカメラを捨てて街に出たはずだ。 権威と対極にある勇気には、緊張がある。 趣味も緊張があったほうがよいと、私は思う。
ではレンズは装置かと、酒に酔った若い写真家は私に尋ねたが、 答がないのも真理のような気がして、 「おでんには、ちくわぶだね」とこたえたら、 「そういうことですか」と納得した、ちょび髭の若い写真家は理解が早い。 今週は超現実な日だつた。


重たい性能を有するウルトラマイクロニッコール
(撮影年は2002年10月)

探し物がある幸せ

長いこと探していて、そして存在すらも不確実なレンズがあった。
ウェブ検索で得た情報より、所有している米国のコレクターにメールを出したことがある。 「しかし、残念だが」と前置きして、「売ってしまって、もう手元にない」と、 ジョーこと、ジョセフ・クリスディールは答えてくれた。 レスポンスが来るだけでもありがたい。世の中に存在していることが分かった。
そんなことが長く続いたが、突然視界が開けた。
国際インターネットオークションの出品リストには、 めったに見ることのない名前があたりを制圧していた。 Ultra Micro Nikkor 1:4, f=155mm
これだ。どきりとした。
落札日を指折り数えた。1週間。1日。1時間。そして2分前。
渾身の一発ビッドだ。どかんと入れた。
残りの1分間は長い。もう待つしかない。幸運にも落ちてくれた。
ニューヨークのスコティアから厳重な梱包のダンボールが届いたのは2002年9月末。晴れた秋日だつた。


重厚な木箱とウルトラマイクロニッコール一式
(撮影年は2002年9月)

木箱に収まった銘レンズ

課税通知書に目を通し、ダンボール箱を開けた。
ニス塗りは重たい木の箱の鍵を外す。赤いビロード張りの中から、1本のレンズが力強く出てきた。 ウルトラマイクロニッコール155mm F4だ。
「ここは日本か」
一言、孤独なサムライは呟き、やっと日本に帰ってきた。
ああ、陽いずる国に降りたち、空は天地に直立する。
どうしても、こういった希少なレンズを手にすると、 存在の理由をつけたくなるのもレンズがレンズであって、 ただのレンズでないことに気がついているからだ。

コレクターズノート

このレンズが販売リストに載っていたのは、昭和50年(1975年)が最後だ。 販売期間は短かったように思える。
当時のリストプライスは、 昭和49年(1974年)6月1日のニコン産業用レンズ価格表によれば 1,100,000円だ。 あのころの110万円といえば、いまの貨幣価値だと300万円くらいか。感覚的にはそれ以上かもしれない。

オリジナルコンディションだと、レンズ本体にフロントとリアキャップ。 それに座金(72ミリのネジマウント)が付く。 金属製の銘板が貼られている重たい木の箱はニス塗り、内装は赤いビロード張りだ。 小さい検査合格証カードにはM. Kojima と手書きのサインが入っている。 これがフルコンプリートなセットとなる。
フィルター径は72mmピッチ0.75だ。ふつうのニコンフィルターが装着できる。
マウントは、72mmのネジマウントだ。ただしピッチは1mmである。
専用のマウントアダプターを特注すれば、最新のフラッグシップ・デジタル一眼レフはもちろんだが、 ハッセルブラッドのような高性能中判カメラにも合うだろう。
時代のレンズは、3本が揃い踏み。

−Ultra-Micro-NIKKOR 125mm F2.8
−Ultra-Micro-NIKKOR 135mm F4
−Ultra-Micro-NIKKOR 155mm F4

検査合格証にはM. Kojima氏の直筆サイン入り

検査合格証の裏面

レンズ本体に木製格納箱それに検査合格証の揃い

テクニカルデータ

ウルトラマイクロニッコール155mm F4の力強い性能をみてみよう。
もちろんデータは、当時の日本光学が企業や大学など研究機関向けに発行した一次資料による。

−焦点距離: 154mm
−最大口径比: 1:4
−最小絞り: F11
−レンズ構成: 4群7枚
−基準倍率: 1/10X
−画角: 18.8度(F4にて)、 26.6度(F5.6にて)
−色収差補正波長域: 546nm (e-line)
−口径蝕: 0%(F4にて)
−歪曲収差: +0.02%(56mm⌀にて)、 -0.03%(80mm⌀にて)
−解像力: 300本/mm(F4にて)、 200本/mm(F5.6にて)
−画像サイズ: 56mm⌀ (F4にて)、 80mm⌀ (F5.6にて)
−原稿サイズ: 560mm⌀ (F4にて)、 800mm⌀ (F5.6にて)
−基準倍率における原稿から画像までの距離: 1822mm
−フィルター径: 72mm P=0.75
−マウント: 72mm P=1.0 ねじマウント
−重量: 1,090g
−付属品: 前後キャップ、木製格納箱入
−当時の価格:    900,000円(1969年1月)
−当時の価格:  1,100,000円(1974年6月)

歪曲収差が +0.02% というのは立派である。
長焦点レンズでありながら、驚愕の解像度は300本/mm。
フィルター径は72mm ピッチ0.75mmだ。
普通のニコンカメラ用72mmフィルターがセットできるのは気軽でよい。
当時のセールスマニュアルを見てみると、 「絞りF4で4cm角、F5.6で5.6cm角という広い範囲に高い解像力を持つ。 撮影倍率は1/10だから、原稿サイズは40cm角ないし56cm角で、 作動距離もウルトラマイクロニッコール135mm F4 と比べて約半分で、 カメラを小型にできる」 という主旨の説明がある。

ウルトラマイクロニッコール155mm F4のレンズ構成図

ウルトラマイクロニッコール155mm F4のレンズ寸法図

重厚な鏡胴のブラックペイント塗装の丁寧さ、絞り羽根の仕上がり。
とくにカチリと動く絞りリングに連動する絞り羽根と金属カムのギミックは秀逸だ。
機構の巧妙さと工作精度には感動が走る。
極限の機能を突き詰めると、至上の美しさが機械には漂うものである。
ターボジエツトエンジンのようなレンズは、凄みのある美しさを秘めている。

凄みのある美しさを秘めたレンズ

午後なのに文学

すごい存在感のあるレンズを手にすると、 心揺さぶるものをかんじ、なぜか挑発的で周波数の定まらない文体になってしまうのだ。
午後なのに文学しているばあいではない、ということはわかっているが、 語ることで伝わる言葉と、無言で紡ぐ生きた道を問われたら、 私はレントゲンのような波動をもった阿弥陀に聞きたいことがある。
こういうレンズは身近に置かないほうがよいのかもしれない。
ガイガーカウンターを振る切る元気があってよい。
測定できないことは、こちらの世界でもある。

ツゴイネルワイゼン。
古い蓄音機は音がする。

測定できない世界を撮影できるレンズ

ウルトラマイクロニッコール155mm F4専用のアダプターの開発

専用のニコンFマウントアダプターが完成したのは2006年のことだった。 2002年にレンズを入手してから4年後である。
72ミリ(ピッチ1ミリ)のネジマウントという、 使用できるレンズの範囲が極めて限定された、 ほんとに限定版のニコンFマウントアダプターとなった。
アダプターは航空エアロパーツ用最高級ジュラルミン(超超ジュラルミン、ESD)をブロックから削り出し。 高度なスパイラル旋盤加工で軽量化と強度増加を図った。
ニコン一眼レフカメラに装着した画像をいくつか示すので参照いただきたい。 重いレンズでも頑強に正確にマウントできている。

専用の特注ニコンFマウントアダプター(72mm⌀、P=1)
スパイラル加工された内部構造の様子 2006年


鉄写真にもウルトラマイクロニッコール


ターボジエツトエンジンのような凄みのあるレンズ

この種のレンズ特有の異次元に華麗なコーティング

ウルトラマイクロニッコール155mm F4による実写

UMN135mm F4と同様に、無限遠での撮影も、数百メートルレンジの遠距離にも強い。
でもこのレンズも、数メートル先の近距離とか手が届く先の距離の立体物の表現に適している。 色再現性は非常に優れており、重厚な色合いはコダクローム64で露出を詰めて撮影した時のような、 明治時代の油絵のような重たい色彩が静止する。
日本の春に桜花を見ても、華やかな軽みの色彩ではなく、 どこか古代の香りがする清楚ながら純粋な総天然色画像を無言で叩き出す。
本当に無機質に育ってきた工業用レンズ(産業用レンズ)なのかと、 いつもレンズに尋ねてしまうのは習慣になっている。
実写画像をクリックすると少し大き目のサイズの画像が出ます。

漆黒に輝く工業美術品を携えて撮影の道行

ウルトラマイクロニッコールで深まる日本の秋を撮る

重たい色調の晩秋の陽だまり

明治時代の日本の油絵の沈んだ色調を再現

日本の春に桜花の撮影風景

華やかな明るい桜

落ちついた総天然色な色調

透過光にも強い色再現

香る桜花の空気が写る

美しい人生

美しいレンズ

2018年のあとがき

本コンテンツは2018年2月に全面改版してアップしたものです。
オリジナルのコンテンツは2002年10月に公開しました。
2016年の見直し大改訂では、画像を大幅に加えて、 専用のニコンFマウントアダプターを特注してニコン一眼レフによる実写の作例を掲載しました。
2018年2月の改版を機に、テンション高めのややすべり気味な記述を見直すつもりでしたが、 レンズを入手した当時の勢いがあるのでそのまま残すことにしました。 テクニカルデータには当時の価格や一次資料による正確なレンズ構成図を追加しました。

さて、最初の公開から15年を超えましたので、すこしばかりネタバレ的背景説明。
阿弥陀仏とウルトラマイクロニッコールのツーショットは著者の都内の実家で撮影しました。 実家の過去帳によりますと享和年間(1800年頃)の記録が墨書きで残っていることから、 ご先祖様は1750年かそれ以前からと家系図に書いてありました。 明治時代の廃仏毀釈の影響か、阿弥陀仏は両手と両足の先が不自然に切断されています。 実はこの阿弥陀仏、実家の仏壇の奥に鎮座しており、 長い間(百年とかそういう単位)お線香で燻されて真っ黒だったのですが、 著者が小学生の時、水で絞った雑巾で丁寧に拭き上げたら、 漆塗りの上に金箔を貼ったお姿が浮かび上がり、 おそらく水晶で造られた白毫が光りだしたときには驚いたものです。 骨董とか古いもの好きのヘンな小学生でした。

エピソードに書いた、月島で会った真空管を持った男も、 ちょび髭の写真家も、実はフィクションではなく実在し実話をもとに書いています。 時は2002年10月。 東京・月島でのアルパ研究会(写真家田中長徳氏が主宰していたカメラファンの集まり) に向かう道行での記憶でした。
真空管を持った男は、いまは地球科学系(堆積学が専門)の著名な科学者、そして、 ちょび髭の写真家は、いまも写真界の第一線で活躍されています。

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