小さくても圧倒的な存在感を示すUMN 55mm F2 ● 癒すレンズ人生 日本の田園には、田園の初夏には、ウルトラマイクロニッコール 55mm F2がよく似合う。 若い稲のみどりを背景に、レンズは初夏の木漏れ日を見つめる。 今までのレンズ人生。彼女は半導体のパターンばかりを縮小撮影してきた。 一部の仲間は、工業用精密スケールのレチクル板(目盛り板)ばかり、光に刻んできたという。 このレンズは、イタリアから帰国させた思い入れのあるウルトラマイクロニッコールの1本だ。 重厚なニス塗りの頑丈な木箱に納まっている。内装はビロード布張りの、豪華な木箱だ。 リアキャップは、金属削り出しのオリジナル。 なにもここまで、こんなにコストをかけて作らなくても。
田園の初夏にはウルトラマイクロニッコールが似合う 硬質なクロームめっきが美しい頑丈な鏡胴 ● モノにも魂が宿る 効率が優先の現代では、ぜったいに製造できないレンズである。 ビロード布張り内装の、豪華なニス塗りの頑丈な木箱にレンズを収納してだいじに販売された。 1960年代の工業製品は一種の工業美術工芸品である。 伝説の極超高解像力レンズ、ウルトラマイクロニッコール 55mm F2がここにいる。 まさか、また日本に帰れるとは。 ましてや、今までの無機質な仕事ではなくて、日本の美しい、美しい四季のある原風景。 小さいけれど生命力あふれる植物。入道雲の下にセミの横顔。 そんな、なつかしい映像を見ることができるとは思わなかった。 と、レンズが涙を流し言う。 そんなとき、助け出してあげて良かったと思うのだ。
モノにも魂が宿る。
日本の風景に美しいコーティングのレンズ 夏草の中に工業用ニッコールレンズがいる幸せ ● テクニカルデータ ウルトラマイクロニッコール 55mm F2のオリジナル性能をみてみよう。 レンズの性能緒元が記載された一次資料にあたってみる。 日本光学が発行した当時のセールスマニュアルである。 日本国内向けの日本語版資料では情報が限られているので、 1968年当時にフォトキナで配られた資料も参照した。 私が所有しているのは、2本ともe線用のウルトラマイクロニッコール 55mm F2であるが、 手元にはe線用のウルトラマイクロニッコール 55mm F2、 それに、h線用のウルトラマイクロニッコール 55mm F2hの性能緒元が記載された資料が揃っている。 一般にはあまり目に触れない情報ではあるが、 すでに公知となっている情報なので、ウェブ上で公開しておけばどこかで誰かのお役に立つだろうから、 両方のレンズの性能緒元を示しておくことにする。 ニコンの工業用/産業用ニッコールレンズのレンズ構成図は、1970年代となると、 レンズ本体外観の各部の寸法のみを記載したものしか公開されていない。 レンズエレメントはブラックボックスになっているのだ。 しかしながら、1960年代は大らかなもので、精密なレンズ構成図が資料で公開されている。 同じように見えるが各部寸法が微妙に異なる。 ウェブ上ではすこし薄めの表示となっているので、 画像上をクリックし大き目のサイズで表示して確認していただきたい。 ウルトラマイクロニッコール 55mm F2
−焦点距離: 55.8mm
−発売時期: 1965年
ウルトラマイクロニッコール 55mm F2のレンズ構成図 ウルトラマイクロニッコール 55mm F2h
−焦点距離: 55.8mm
−発売時期: 1967年
ウルトラマイクロニッコール 55mm F2hのレンズ構成図 1969年1月と記載された当時のニッコールレンズの価格表によると、 UMN 55mm F2が14万円。同じくUMN 55mm F2hが30万円となっている。 レンズの外観は見た目がまったく同じ。でも価格は2倍である。 価格が2倍になるほどの要素はよくわからない。 年次統計によると、1969年の大卒初任給は34,000円程度のようだ。 令和の時代となった現在では単純に比較するとその6倍くらいだろうか。 そうすると、なんとなく当時でも非常に高額なレンズだったことが理解できる。 高ければよいと言うものではないが、骨董品にしても、美術品にしても、 鉱物標本にしても、おもいきり高額なものが後世に残る。 世の中の現実を把握できるお年頃になった私からすると、そんなものなのである。 もちろん例外もあることは知っている。 歪曲収差がe線用は0.00%とはなんとも素晴らしい。 もちろんh線用の解像力650本/mmは、驚愕ものである。 一般の写真撮影用の海外有名ブランド歴史的名レンズと比べるのはヤボというもの。 汎用レンズとは違うのだから。 ● ウルトラマイクロニッコール 55mm F2による実写 実際にカメラにレンズをマウントし、自然光線の下で撮影してみた。 ウルトラマイクロニッコール 55mm F2は、ライカL39スクリューマウントだ。 特別のマウントアダプターを必要とせず、 市販のニコン純正のL-F接続リングを介してニコン一眼レフに装着した。 レンズはリバースせずに順方向にマウントしている。 秋は稲刈りの直前。陽光に輝く稲と対峙してみた。 写りと言えば背景のボケ味に注目していただきたい。 高性能な工業用レンズ特有の、なんとも華麗で立体感のある空気感たっぷりの造形がボケの奥に見える。 露出をすこし詰めた時の発色には往年のコダクローム64の記憶がよみがえる。 独特の詩情と湿度のある立体感を持った総天然色画像がファインダーの映像を見ただけではっきりとわかった。 実写画像をクリックすると少し大き目のサイズの画像が出ます。
明るく元気な若い稲 秋の光線の遠くに立体感のあるボケ味 秋の空気感が華麗な総天然色映像で写る ● 最初の1枚 本サイトを立ち上げたばかりの2001年は10月の話である。 コンテンツは4本でスタートした。 コンテンツといっても、たった1枚の画像に簡単な説明だけだった。 最初に書いたコンテンツに、1枚だけ貼った画像がこれである。
田園の初夏 150万画素、横640ピクセルの、なんとも非力なコンパクトデジタルカメラで撮影した。 1枚の画像はたったの83キロバイトしかない。 そもそも記憶媒体はスマートメディア(スマメ)だった。大容量で16MBもあった。 しかしながら、思いを込めて撮影した当時の映像は、デジタル出力は小さいながら、 絵の持つパワーと情緒は、その後追加撮影した画像には負けていない。 2001年当時の、なにも情報のない、早朝に真っ白な、誰も踏んでいない雪の原を、さくさくと歩む気分を思い出した。 ウルトラマイクロニッコール 55mm F2。 このレンズは55ミリという使いやすい焦点距離のためか、いまでも活躍するシーンの多いレンズである。 時代が求めた極限性能を有する用途限定のなんともストイックなレンズではあるが、 その小さい堅牢で頑丈な鏡胴の中にある、 日本の国蝶オオムラサキ色のコーティングの鏡玉を見ると、 この鏡玉はあと数千年は生き続けるのだろうと思うのだった。 デジタル方式カメラの次は何なのだろうか。量子カメラの出現が望まれる。 ● 2018年ニコンミュージアムの展示から 「ウルトラマイクロニッコール展」において、 ウルトラマイクロニッコール 55mm F2の現物が展示されていたのでここで紹介したい。 e線用とh線用のレンズを見ることができた。 画像の上で左クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。
ニコンミュージアム「ウルトラマイクロニッコール展」から
ウルトラマイクロニッコール 55mm F2e(1967年) 説明パネルには、1967年とあるが、これは1965年の誤り。 ニコンの社史(75年史、100年史)には1965年と説明されている。 1967年は h線用のウルトラマイクロニッコール 55mm F2hである。 社史にある説明が正しいと仮定した場合の話ではあるが。
ウルトラマイクロニッコール 55mm F2e
ウルトラマイクロニッコール 55mm F2h(1965年) 説明パネルには、1965年とあるが、これは1967年の誤り。 ニコンの社史(75年史、100年史)には1967年と説明されている。 1965年は e線用のウルトラマイクロニッコール 55mm F2eである。 社史にある説明が正しいと仮定した場合の話ではあるが。
ウルトラマイクロニッコール 55mm F2h 画像は、企画展 「世界最高解像度レンズの系譜 ウルトラマイクロニッコール」より紹介させていただいた。 開催場所は、東京・品川のニコンミュージアム。 開催期間は、2018年4月3日(火)〜6月30日(土)であった。 詳しいその全貌と記録は「 ニコンミュージアムUMN展レポート 」 をご覧いただきたい。 ● 2021年のあとがき このコンテンツのオリジナルは2001年10月当時に書いたものです。 その後2016年のサイト移動に伴う大幅な見直しで、 その後に撮りためた画像と差し替えたり追加を行いました。 ウルトラマイクロニッコール 55mm F2による実写の結果もレポートしました。 さらに2017年の改版では、テクニカルデータを整理し、レンズ構成図を追加しました。 2019年の改版では、 2018年ニコンミュージアムの企画展「ウルトラマイクロニッコール展」で展示された品目から、 ウルトラマイクロニッコール 55mm F2に関する展示を紹介しました。
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2001, 2021
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