Ultra Micro Nikkor 28mm F1.7e Spring Ephemeral

赤いコーティングの奥に儚い空が映る

Nippon Kogaku's Fighting Lens
The Final Red Baron
Ultra-Micro-Nikkor 28mm F1.7e
Collector's Dream

スプリングエフェメラル

セツブンソウの咲くころ。 いくつかの複雑な縁が重なり、 探していたウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eを救い出すことができた。 正確に言うと、レンズの方が私を求めていく人かのいくつかの判断ロジックを操作し、 レンズの方からやってきた。気が付いたら、いた。

セツブンソウは、日本人好みのエフェメラルプラント(短命植物)の1種だ。 スプリングエフェメラルと言ったほうが一般的か。エフェメラとはかげろうのこと。 山地では旧暦で節分のころ、春のごく早い時期に、そっと咲き、 ほんのすこし咲いて姿を消すはかない植物。 その花(正確にいうとがく片)は、淡く清楚で消え入りそうだ。 はかない美は日本人の感性に合うのか、全国に愛好者が多い。 スプリングエフェメラルで画像検索すると、 数々の美しい写真や詳しい説明を見ることができる。

青空の下でも元気なウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7e

エフェメラルレンズ

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eは、はかない極超高解像力レンズだった。 もともと、ウルトラマイクロニッコールはエフェメラルレンズであるが、 とくに 28mm F1.7eは、その姿、歴史からみてもエフェメラルレンズの最右翼だ。 手にずしりと言うが、このレンズは、まさに手にずしりと来るレンズといえる。 直径 45mmで全長が 72mmのごく小さいサイズながら、重量は約 460gもある。 ほんとに見た目より重たくかんじるレンズだ。

ブラックシリンダーとは、ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7のことを指すが、 たしかに黒い筒そのものだ。 外観はほぼ同じだが、28mm F1.7には2種類ある。 1つが、撮影光に 546.1nmの e線単色光を使う 28mm F1.7eだ。 もう1つが、撮影光に 435.8nmの g線単色光を使う 28mm F1.7gである。 ていねいに黒塗装された鏡胴カバーが3箇所のネジで取り付けられている。 前期型はマイナスネジであるが、このレンズは後期型なのでプラスネジで留められている。 鏡胴カバーにレンズ名やシリアル番号が刻印されているのが特徴だ。

マウントはライカL39スクリューマウント。フィルター径は 40.5mmである。 リバースリングを介してレンズを一眼レフカメラに取り付けるとピントが出る。 特殊なマウントではなく、 リバースリングさえ確保できれば鮮鋭なピントを手にすることができるので、 コレクションというよりも実用のために探しているマニヤが多い。

8群10枚構成、絞りは F1.7開放。 歪曲収差は -0.005%という。日本光学が公式にリリースした解像力は 800本/mm! レンズの第一面は凸面レンズではなく、かなりえぐられたような凹面レンズだ。 どこまでも澄んだレンズをながめる。 ぎっしり 10枚の特殊光学レンズが詰まっている。鋼鉄のように重いガラスブロックだ。

コーティングがすごい。一度見たら忘れられない。 重厚な赤いコーティングは、大和の古代な空気を凝縮する。 エフェメラルレンズといわれて陽の目をみることのなかったレンズだ。 儚さと力強さが同居した骨太な美しいレンズがウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7なのだ。

骨太で美しいウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7e

コレクターズドリーム

少し前にスウェーデンの特殊ニッコールコレクターから連絡が入った。 お互いのコレクションについて情報交換をした。 彼はウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eを探していた。 私も存在は知っていたが、市場に出てこないだけに、 欲しいけれど物がないと答えた。 彼は、「コレクターズドリームだね」と言って、お互いの病気の進行具合をたたえた。

コレクターズドリームも、人の情けで現実となるときがある。 むかしから、情けはレンズのためならず、と言われているが、 おもわぬところから夢が現実となることを実感した。 世界の深海で活躍されている理学博士の小栗さんから連絡をいただき、 コレクターズドリームを手にすることができたのだ。 小栗さんはこの珍しいウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eをすでに入手され、 学会発表用の科学写真を実際に撮影されている。 本職は地球化学系の研究者であるが、市販のマクロレンズではあきたらず、 限界を超える極超マクロ撮影のために 高価なウルトラマイクロニッコールを導入したという正統派マニヤだ。

米国はカルフォルニア州から個人輸入したレンズはほぼデッドストックの新品だった。 シリアル番号も小栗さん所有のものと 10番代の違いの兄弟レンズである。 おそらく日本では、ニコンミュージアムの収蔵品を除いて、市中に 2〜3本しか生存していないのではないか。

惑う赤いレンズのコーティング
(撮影年は2002年2月)

テクニカルデータ

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7のオリジナル性能をみてみよう。 手元に e線用のウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7e、 それに、g線用のウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7gの性能緒元が記載された一次資料がある。 日本光学が発行したセールスマニュアルである。 どこかで誰かのお役に立つだろうから両方のレンズの性能緒元を示す。

レンズ構成図は、1970年代となると、 レンズ本体外観の各部の寸法のみを記載したものしか公開されていない。 レンズエレメントはブラックボックスになっているのだ。 レンズ各部寸法ということで掲載してみた。 それでもレンズ前玉第1面の特徴的な凹レンズが確認できる。 画像上でクリックすると大き目のサイズで表示されるので確認していただきたい。

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7e

−焦点距離: 28.7mm
−最大口径比: 1 : 1.7
−最小絞り: 固定絞り
−レンズ構成: 8群10枚
−基準倍率: 1/10X
−画角: 14度30分
−色収差補正: 546.1nm (e-line)
−口径蝕: 0%
−歪曲収差: -0.005%
−解像力: 700本/mm (8mm⌀)、800本/mm (6mm⌀)
−画像サイズ: 8mm⌀
−原稿サイズ: 80mm⌀
−基準倍率における原稿から画像までの距離: 315mm
−フィルター径: 40.5mm P=0.5
−マウント: ライカL39スクリューマウント
−重量: 465g
−重量実測: 457.5g
−付属品: 前後キャップ、木製格納箱入

−発売時期: 1973年前後と推定
−当時の価格:
   462,000円 (1974年 6月)
   462,000円 (1976年 4月)
   462,000円 (1977年12月)
   特注品 (1982年 8月)
   特注品 (1982年12月)

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eのレンズ各部寸法

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7g

−焦点距離: 28.8mm
−最大口径比: 1 : 1.7
−最小絞り: 固定絞り
−レンズ構成: 8群10枚 (注)
−基準倍率: 1/10X
−画角: 14度30分
−色収差補正: 435.8nm (g-line)
−口径蝕: 0%
−歪曲収差: -0.005%
−解像力: 800本/mm (8mm⌀)、900本/mm (6mm⌀)
−画像サイズ: 8mm⌀
−原稿サイズ: 80mm⌀
−基準倍率における原稿から画像までの距離: 315mm
−フィルター径: 40.5mm P=0.5
−マウント: ライカL39スクリューマウント
−重量: 460g
−付属品: 前後キャップ、木製格納箱入

−発売時期: 1973年前後と推定
−当時の価格:
   511,000円 (1974年 6月)
   511,000円 (1976年 4月)
   511,000円 (1977年12月)

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7gのレンズ各部寸法

テクニカルデータの考察

発売時期について。 ニコンの社史(75年史、100年史)にあたってみたが、記載はなかった。 ニコンミュージアムで開催された「ウルトラマイクロニッコール展」での現物展示によると、 UMN 28mm 1.7e の試作が 1972年に完成している。 同じく、UMN 28mm 1.7g の試作が 1972年に完成していることがわかった。 1974年6月21日付けのニコン産業用レンズ標準小売価格表には、 UMN 28mm F1.7e と UMN 28mm F1.7g が掲載されていることが確認できた。 以上から、発売時期は 1973年前後と推測した。

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7gのレンズ構成は、当時のニコンの資料によると 2群10枚となっている。 2群10枚である。 2群?ルーペじゃあるまいし、ちょっとそれはないだろうと、 同じシリーズの兄にあたる UMN 50mm F1.8eと UMN 50mm F1.8gを確認してみた。 どちらも 9群12枚となっており、e線用と g線用でレンズ構成が異なることはない。 資料の記載誤りと思われる。

さらには 2017年の 6月に、ニコン半導体装置事業部の現役の設計技術者と元ステッパー開発者にお聞きしたところ、 2群10枚はないだろうとの見解だった。 日本語版とそれをそのまま翻訳した英語版資料でも 2群10枚となっているが、 誤植の可能性が高い。 よって私は、e線用と g線用は同じレンズ構成と判断し、8群10枚とした。

重量を実測してみるとカタログデータと大幅に異なる。 カタログデータは 465g。 家庭用のデジタルスケール( TANITA KJ-114 )で実測すると 457.5g。 この違いはなんなのか。 実測した試料が所有する1つだけなのでなんとも言えないが。

歪曲収差が -0.005% というのは性能限界に近い。 それにしても解像力が 800本/mmとか 900本/mmの世界は驚愕ものである。

ブラックシリンダー・ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7e
(撮影年は2002年2月)

ブラックシリンダー28mm F1.7eは、そのずん胴な姿は、白い桜花の機体に似ている。 儚い命。消えるようなセツブンソウは桜花の操縦桿を握ったのだろう。 かげろうのようなスプリングエフェメラルは、エフェメラルレンズで撮影したいものだ。 私はこちらの世界にいる。

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eの順方向マウント

従来の35ミリ一眼レフカメラでは、このレンズを使用する場合は、 レンズをリバース(逆付け)してベローズ等に装着していた。 従来の35ミリ一眼レフカメラでは、 このレンズのバックフォーカスが短かすぎて合焦できなかったためである。

その問題が、バックフォーカスが短く、 撮像素子のフォーマットが小さいミラーレスカメラの登場により解決した。 レンズをリバースしなくても、レンズを順方向に装着して、ピントが出ることが確認できた。 ただし、順方向ではイメージサークルが小さいので、 レンズを順方向に装着した場合は、 撮像素子のフォーマットが小さいカメラが有利である。 以下の実例画像は、ニコン研究会の例会(2010年1月)で、 実際にカメラに装着して撮影している様子である。

レンズを順方向に装着してピントが出ている

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eを順方向に装着し撮影している様子
(撮影年は2010年1月)

夏涼しいウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7e

最近のウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7eの姿を見ていただきたい。 夏の音が涼しい背景に置いてみた。 レンズ前玉の凹面と赤いコーティングが清流の水の音に映り、いい雰囲気である。

夏涼しいウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7e

レンズ前玉の凹面に赤いコーティング

2018年ニコンミュージアムの展示から

「ウルトラマイクロニッコール展」において、ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7ほか、 非常に珍しい試作レンズの現物史料が展示されたのでここで紹介したい。
画像の上で左クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

ニコンミュージアム「ウルトラマイクロニッコール展」から

左:ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.5e 試作(1972年)
右:ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7g 試作(1972年)

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.5試作(1972年)e線用
No. 320354

ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7試作(1972年)g線用

画像は、企画展 「世界最高解像度レンズの系譜 ウルトラマイクロニッコール」より紹介させていただいた。 開催場所は、東京・品川のニコンミュージアム。 開催期間は、2018年4月3日(火)〜6月30日(土)であった。 詳しいその全貌と記録は「 ニコンミュージアムUMN展レポート 」 をご覧いただきたい。

2023年のあとがき

このコンテンツのオリジナルは2002年2月当時に書いたものです。 その後2016年のサイト移動に伴う大幅な見直しで、記述の修正や画像の追加を行いました。 また、レンズを順方向にマウントする話題を新たに組み込みました。

さらに2017年の改版では、テクニカルデータを整理し、 レンズ構成図(実際的にはレンズ各部寸法図)を追加しました。 レンズ構成枚数については、資料の精査に加えて、 半導体製造装置のレンズを設計しているニコンの技術者の考察を得て、 データの見直しを行いました。

2019年の改版では、 ニコンミュージアムの企画展「ウルトラマイクロニッコール展」で展示された品目から、 ウルトラマイクロニッコール 28mm F1.7に関する展示を紹介しました。

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