プリンティングニッコール105mm F2.8Aによる双子の水晶
A Fine Crystallographer Dr. Tanaka's Excellent Reserch ● 結晶学者への道 世の中には、ふとしたきっかけで道を誤る、いや、軌道修正する方がいる。 結晶学が専門の化学の研究者である、工学博士の田中さんをご紹介したい。 田中さんの趣味は石である。 「趣味は石」というと、 つげ義春の「無能の人」に登場する多摩川の川原で石を売る荒涼とした映像と男の存在感を想うが、 どうも石の方向が異なるようだ。 地球の水分がそのまま常温で凍結したような、水晶系ともいうのか、 透明な結晶構造体を対象とする方向性のようだ。 石は生活、鉱物は趣味、結晶学者は詩人なのか。 田中さんは、趣味の鉱物写真を撮るために、 通常市販されているシチズンモデルのマクロレンズでは物足りなさをかんじ、 高性能プリンティングニッコールの95mm F2.8と105mm F2.8、 それにマルチフォト写真装置を2台、マクロニッコールの4種(四兄弟ともいう)すべてを、 短期間に精力的に入手され、さらに重量級の拡大系写真撮影機構を建設して、 すごい鉱物写真を公開しているのだ。 ここでは、写真画像のほんの一部を紹介し、拡大系写真撮影装置の作法を見てみたい。 以下のテキストは田中さんにお願いした。 もちろん画像はすべて、スーパーマニヤ田中さんのオリジナルである。 ● 化合物の結晶の美麗な芸術的造形 写真機材選定の際にお世話になったあきやんさんから「スーパーマニヤ」の称号を賜りましたので、 コラボで書かせていただきます。 私は職業科学者で、新しく作り出した化合物の結晶と日々にらめっこし、 その分子構造や性質を研究しています。 結晶の外観が論文や特許に記載されることは昨今ではあまりありませんが、 どの物質の結晶も美麗な芸術的造形を示し、見飽きることがありません。 また、休日や余暇は鉱物採集や野外散策をして過ごし、 やはり趣味でも結晶を探しています(職業病かな?)。 結晶はその成長条件の微妙な匙加減によってコロコロと外見を変える名役者であり、 その形状予測は現在の科学でも難しい「人知の及ばない」分野と言えるでしょう。 このような結晶の自然造形を何とか記録に残そうと考え、 カメラを自作の撮影台に据え、 マクロレンズを使いながらその晴れ姿を写真に収めています。 ● 産業用ニッコールレンズとの出会い 撮影を始めてしばらくはELニッコールなどの引き伸しレンズを使っていましたが、 某オークションサイトを見ているうちに、マクロニッコール12cmというレンズが目に留まりました。 さっそくこれを落札し、付属していたマクロセツゾクリングでベローズにマウントした時、 この時代遅れのレンズの実力に驚愕しました。 開放F値6.3という極端に暗いレンズは強い光源の下のみで使える、まったくの科学写真スペックです。 これは、設計倍率以外の収差補正を完全に捨て、欲張らずに最高の性能を追及したレンズでした。 いろいろ調べ、ある詩的産業用ニッコールサイト(つまりこのサイトです) にマクロニッコールの情報があるのを見つけ、世界中に電子メールを打って残りの3本を集めました。 これらのレンズの写りは本当に素晴らしいものです。 およその研究用・産業用レンズは狭い使用条件の中で、最高性能を出すように設計されています。 想定外の用途には対応しません。万能レンズというのは存在しないのです。 何か一つを高いレベルで得ようと思ったら、それ以外のものは諦めなければならないのはお約束です。 ● 底なしの実力を示す時代遅れの超高性能レンズ しばらくして、 なんだかんだ言っても接写の本質は等倍〜2倍ぐらいまでの倍率域にあると考えるようになり、 この倍率域の接写能力に特化したレンズを探していると、 やはり某オークションにプリンティングニッコール95mm F2.8Aという聞きなれないレンズが出てきたので、 これを買い求めてみました。 ネジマウントの変換には苦労しましたが、 確かにこのレンズは設計倍率で最高の性能を示すマクロレンズでした。 平面物だけではなく、立体物のボケも素晴らしく、忠実に被写体の色を結像する数少ないレンズです。 それでいて合焦した像の解像はびっくりするほどカリカリでした。 無限遠の結像性能を捨て、設計倍率で最高の性能を追求することが、 これほど光学系に活力を与えるとは! マクロニッコールなどの基本設計の古いレンズを使っていると、 懐古趣味と揶揄されることもしばしばありますが、これはまったくの見当違いです。 古いレンズ=収差の残った「味のある」レンズという等式はこのジャンルには通用しません。 日本の科学技術や産業を過去に支えた、一線を退いた高性能レンズは、 今でも手に余る底なしの実力を示します。 そんな研究用・産業用レンズは、ある種の人間に対しては極めて深いレンズ沼として認識されるようです。 これらの歴史や性能を知り、発揮できる人にはその価値がわかるのでしょう。
鋼性感あふれる重量級マクロベースにユニバーサルステージ付き載台と微動系 現在の水平撮影台です。被写体を立てて撮影する場合に使用しています。 大きな被写体でも乗せられる xyz粗動および微動ステージが組んであり、 移動範囲 20 x 20 x 20 cm、最少移動精度は 10μmで、バックラッシュをなるべく抑えています。 被写体によっては、その上に4軸ユニバーサルステージを載せて角度調整しています。
三次元精密微動系に支えられた鉱物試料と高性能ニッコールレンズ
載台ジャッキに三次元精密微動系とPB-4ベローズ二重連結
光ファイバー落射照明系を備えたマルチフォトの35ミリFマウント装置 2倍以下の無影垂直撮影にはニコン複写装置 PF-4を使っていますが、 高倍率はマルチフォトの剛健さのお世話になります。 いずれも、カメラを USBケーブル経由で自作 PCから制御しています。 マルチフォトは背が高いので、カメラコントロールプロの存在はありがたいです。
プリンティングニッコール95mm F2.8とマクロニッコール19mm F2.8
● スーパーハイエンドレンズによる美しい作例の数々 プリンティングニッコールとマクロニッコールによる、氏の作例をご覧ください。 解説は、田中さんご本人にお願いしました。 作例については、画像をクリックすると大きめのサイズの画像を参照できます。
プリンティングニッコール105mm F2.8Aによる双子の水晶
トップにも掲載しましたが、この写真は水晶の日本式双晶の写真です。 チャートに入り込んだ石英脈から産出する、山の双子水晶です。 プリンティングニッコール105mmの絞りを改造してf=22程度まで絞り込んでいます。
プリンティングニッコール95mm F2.8Aによるアメシスト
マクロニッコール35mm F4.5による水晶に封じ込まれた水と空気 ナミビア、ゴボボ山で採れる紫水晶で、「ブランドバーグアメシスト」という名が付いています。 スラっとした紫水晶です。フラッシュでは結晶面からの反射光が予測できないため、 フラッドで撮影しています。 結晶成長時に多くの水(岩漿水)が取り込まれ、 水晶の結晶面を内側に持った水のタイムカプセルになっています。
プリンティングニッコール95mm F2.8Aによる河津桜 早咲きの河津桜の写真です。 やさしい色とボケはプリンティングニッコール95mmの特徴の一つです。 このレンズには「クセ」や「味」は存在しませんが、 美しいボケは産業用レンズのものとは思えないものです。
プリンティングニッコール95mm F2.8Aによるタンポポの種子 野外ではベローズPB-5にプリンティングニッコールを載せています。 くどすぎない優しい色合いで、 解像度の高さによって絞り込んでもピントの山をロストすることがないのがこのレンズの特徴です。
プリンティングニッコール95mm F2.8Aによリヒテンベルグ図形 アクリル板に加速器を使って高エネルギーの電子線を打ち込み、 内部に溜まった負電荷を一気にアースさせて絶縁破壊させると、 「リヒテンベルグ図形」と呼ばれるこのような樹枝状の模様ができます。 プリンティングニッコールには像面の湾曲がなく、 このような平面物の高解像度複写には最適のレンズです。
プリンティングニッコール105mm F2.8Aによるp-ジクロロベンゼンの結晶 コントラストの高さもプリンティングニッコールの大きな特徴です。 黒はどこまでも黒く、にじみのない純白は産業用レンズならではのものです。 光量の大きなフラッシュを被写体の至近距離から焚いても、 レンズ由来のフレアやゴーストを確認できたことがありません。 被写体は防虫剤に使われる p-ジクロロベンゼン(パラゾール)の結晶です。
マクロニッコール19mm F2.8による蟻の目 マクロニッコールは、高解像度の高倍率接写に特化しています。 これはアリの目玉ですが、マクロニッコール19mm F2.8を開放近くで使い、 少しずつピントをずらした10枚の写真を深度合成ソフトウェアで重ねています。 ここまで倍率を上げるためには、撮影台の耐震性を高め、 微動送りを正確に制御する必要があります。 マクロニッコールはデジタル時代にこそ再評価されるべきものでしょう。
マクロニッコール12cm F6.3による若いイチゴのポートレート
最後は若いイチゴのポートレート。マクロニッコール12cm F6.3を用いています。 マクロニッコールはシングルコートであるにもかかわらず、 フレアやゴースト耐性が優れ、至近距離での大光量撮影にはもってこい。 イメージサークルの広さを生かして、アオリ撮影にも向くレンズです。 ● クラウス・シュミット博士からの檄文 ハイエンド拡大系マクロ科学写真の世界は狭い。 ドイツのクラウス・シュミット博士は、早くから田中さんのスタディに注目している。 ご承知のとおり、クラウスさんは世界最高峰のマクロレンズコレクターであり、 研究家でもある。 本サイトでも登場 していただいている。 田中さんとのコラボコンテンツをアップする前に、クラウスさんに声をかけたら、 以下のメッセージが送られてきた。
どの世界も分かっていらしゃる方が少数ながらいるものである。 田中さんの写真は、 偏光を操作した照明系と微振動抑止装置の工夫の上に成立している技術であるが、 このあたりはクラウスさんも感心していることだという。
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このコンテンツの共同製作にあたり、 多数の画像並びに解説文を提供いただきました田中さんに感謝いたします。 ありがとうございました。 秋山満夫 ● そのごの話 2008年の8月にこの記事を公開いらい、その後の田中さんの活躍をご存じの方は多いと思う。 2012年の夏から秋にかけて国立科学博物館で開催された特別展「元素のふしぎ」。 田中さんは数多くの科学写真を提供された。 その美しい写真は田中さんの著書「よくわかる元素図鑑」で見ることができる。 大人向けの科学雑誌「理科の探検(RikaTan)」での連載も必見となった。 雑誌「現代化学」。2013年1月号から田中さんが連載を開始した「結晶美術館」。 2020年6月号では連載第90号を達成し、引き続き長い連載を続けている。 田中さんの優れた実写映像をご覧いただき、 古い時代の工業用/産業用ニッコールレンズの底力と、 現在でもマクロ系レンズの主役を務めることができるハイパワーを実感していただきたい。 各分野の専門家および研究者の方々は、特殊用途ニッコールレンズの光学系でないと撮影できない分野、 たとえば、希少種植物および昆虫等自然科学、量子力学的物理現象記録、化学物質結晶分析系、 近紫外線観測、海底地層解析、鉱物彷徨、などを対象としており、じじつとして多くの成果を得ている。 斯界の専門家の方々やスパーマニヤの皆様、そして戻れないところまで行ってしまった方々の、 より理想に近い撮影環境を実現するために、 少しでも本サイトがお役に立てればうれしく思うのであります。 ● 2020年のあとがき このコンテンツのオリジナルは2008年8月に公開したものです。 2016年のサイト移転に伴う見直しで画像品質が向上するように再調整しました。 2020年にはすべての画像について、クリックすると大き目のサイズの画像を表示するようにしました。
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2008, 2020
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