古賀一男教授のマイクロニッコール70mm F5と古い道具のコレクション
● ある日ニコンミュージアムで
そう。2017年の話である。 品川インターシティの会場はキャパシティの3倍を超える聴衆で埋まっていた。 立ち見の人もぎっしりでドアが閉まらない。 いや、ドアはあえて閉めなかったのだろう。 後藤フェローのトークライブは笑いが絶えない。 笑うためにはおもいきり息を吸う必要がある。 あれだけの聴衆がいっせいに息を吸うわけだ。酸欠者が出なかったことに感謝。
2017年ニコンミュージアム トークライブ「後藤哲朗、試作機を語る」 そんな命がけのトークライブのあった土曜日の深夜。 1本のメールが入った。 名古屋大学の古賀一男教授からだった。 お久しぶりのご無沙汰であった。 なんと本日のトークライブに参加されていたとのこと。 会場で私を見かけたとのことでご連絡くださった。 あまりにも人が多くて、まったく気が付かなかったことをお詫び申し上げた。 先生はトークライブの後はすぐにご自宅のある京都へ帰られたという。 私の方は品川のライオンで関係者の方々と遅くまで反省会をしてしまった。 ● 古賀教授との出会い さて、話は2002年に遡る。 古賀一男教授とは1本の産業用レンズがきっかけで会話をさせていただくようになった。 当時、古賀先生は、 名古屋大学・環境医学研究所・宇宙医学実験センターに所属し、 ヒトの眼球運動に関する研究に従事されていた。 産業用レンズの仕様(性能緒元)について先生から問合せがあり、 いくつかの資料のコピーを郵送させていただいた。 そんな背景から、RED BOOK NIKKORでの登場をお願いした。 お立場的に、お名前は匿名で、 「K教授のマイクロニッコール70mm F5」としてコンテンツをまとめた。 具体的な研究内容は紹介できず、大学名も旧帝国大学と書いた。 参考文献として先生の著書をいただいた。 「眼球運動実験ミニ・ハンドブック」。 プロの研究者か大学院生向けの学術書ではあるが、 眼球運動の近代科学的な観察・測定の歴史を1800年代まで遡り解説している項目もあり、 サイエンス系の読み物としても読みごたえのある中身の濃い文献となっている。 「K教授のマイクロニッコール70mm F5」は2002年9月に本サイトで公開させていただいた。 そんなことがあった。
「眼球運動実験ミニ・ハンドブック」オリジナル生写真付き ● 2011年のこと 古賀一男教授から教えていただくことは加速した。2011年。 当時先生は、名古屋大学エコトピア科学研究所教授、名古屋大学大学院環境学研究科教授として、 斯界の最先端で活躍されていた。 当時のご専門は実験心理学(知覚)。 ご著書までいただいてしまった。 この本は、はっきり言って、おもしろい。 「知覚の正体」。 医学・工学から芸術まで縦横無尽に疾走する爽快感。 この本は読み出すと止まらない。
河出ブックス「知覚の正体」 ● そして2017年の初夏
ニコンミュージアムでの後藤哲朗フェーローのトークライブ「試作機を語る」。 医学的実験では、研究に必要な実験測定装置はあまりにも機能が限定されているため、 市販品などなく、自ら実験測定装置を設計し作ってしまうという。 先生がまだ院生の頃。 大阪は日本橋のネジ卸問屋で、 プロの工員さんに交じって多種類のネジを調達した頃の話を伺ったが、 ないものは自分で作るプロの研究屋の姿が思い浮かぶ。 もちろん潤沢な研究費を使って、 「不自然に高額な」実験装置やら測定装置をメーカーに特注する研究室だってあるだろう。 しかしながら、せっかく導入した高額な装置が埃をかぶり、 論文の1本も書かないような状況は許せないと、先生は20年も前から苦言を呈している。 さて15年前に書いたコンテンツの話である。 オリジナルのコンテンツでは、実験測定装置のことが説明されていなかった。 先生にこの旨をお伝えしたところ、後日になって、 当時の実験測定装置について説明した原稿と写真画像および装置構成図が送られてきた。 この機会に15年前に書いたコンテンツを見直し、 新たに書いていただいた原稿を組み込んでみた。 今さらながら驚くのは、当時は画像記録装置としてのカメラがフィルム式なのである。 フィルムの感度だって増感現像してもせいぜいASA800程度であろう。 実験し、計測し、フィルム式カメラで撮影する。 デジタルの一眼レフやミラーレス機が当たり前の現在だったら、 感度を大きく上げて、露出だって撮影結果がリアルタイムにわかるので補正は簡単だ。 当時だと、撮影はしてみたものの、本当に実験データとして使い物になる画像が撮れたかわからない時代。 まさに職人レベルの技が必要だったのだろう。 フィルム式カメラで撮影していたとは、他に手段がないとはいえ、今となっては驚くしかない。 さて、ここまでが前書きである。本題に入ろう。 本文より追伸の方が長い手紙こそ本物と言う。前書きだって長くてもよいのだ。 ● 古賀教授の三次元移動空間撮影作法
古賀一男教授のマイクロニッコール70mm F5と古い道具のコレクション
Medical Science Professor Dr. Kazuo Koga Selects 世界最古のロックバンド、ローリングストーンズのなつかしのメロディは 「ペイント・イット・ブラック」を、ソニーのデンスケで廻してモニターヘッドフォンで聴いていたら、 古賀教授が執筆された学術書と研究にかんするオリジナル写真、 そして政府刊行物に掲載されたエッセイのシリーズすべてのコピーが郵便で届いた。 先生は研究のなかで、三次元移動するヒトの眼球の動きを精密測定する必要性から、 計測装置すらもご自分で開発されていた。 その計測装置には、ワーキングディスタンスを維持しながらも、 高倍率で歪曲や収差の少い高性能な光学系が必須だったのだ。 いろいろなマクロ光学レンズを試してみたという。 しかし、市販のレンズ、つまり民生用レンズには性能で該当するものがなく、 やむなくあれこれのマクロレンズをリバースしたり、 エクステンダーや補助光学系を組み合せて計測を続けていたという。 そういった、ミッションクリティカルな要件のなかで、 マクロ系の光学系があるとすぐに入手してしまうという、 いわば職業病のような模索があったと聞く。 偶然は縁で説明がつく数学的事象ではあるが、 数奇な縁で先生が最後に入手された決定的レンズがマイクロニッコール70mm F5だったのだ。 ● マイクロニッコール70mm F5 焦点距離が70mmで、開放絞りがF5というなじみのないスペックだ。 先生は入手されたマイクロニッコール70mm F5の性能緒元を調べているなかで、 偶然私のウェブサイト(RED BOOK NIKKOR)をご覧になったという。 マイクロニッコール70mm F5にかんする問い合わせメールを受け取ったのは、それからすぐだった。 アカデミックアカウントのメールアドレスから、大学の先生と分かった。 時代の銘レンズが再び現代の医学系研究に供されることは、 レンズにとってもよい思い出の創出に連携すると確信した私は、 手持ちの資料からレンズ構成および性能に関するデータを郵送した。 マイクロニッコール70mm F5である。 あまり聞いたことがない、という方は正常である。 今まで、一般の情報ソースでは、人の目にふれるところに出てきていない。 ライカL39スクリューマウントを持つ後期型の先生のレンズは、 現在はデジタル眼球運動計測装置にインストールされている。 レンズは取り外し不可の状態ではあるが、なかできっちりと仕事をしていると聞く。 ● テクニカルデータ マイクロニッコール70mm F5の性能をまとめてみる。 レンズ構成図も入手しているが、 あの銘レンズ、Sマウントのマイクロニッコール5cm F3.5 とまったく同じ構成だ。 マイクロニッコール70mm F5の、歴史的工業製品ともいえる性能をみてみよう。 マイクロニッコール 70mm F5(後期型)
−焦点距離: 70mm
−発売時期: 1969年
マイクロニッコール70mm F5(後期型)のレンズ構成図 下に掲げた寸法入りの図面をご覧いただきたい。 フィルター径は40.5mm ピッチ0.5mmで鮮鋭なネジが切られている。 つまり普通のニコンカメラ用40.5mm フィルターがセットできる。 ほかのウルトラマイクロニッコールシリーズとも、40.5mm径だと互換が保てる。 マウントは後期型のため、ライカL39スクリューマウントなので使い勝手がよい。 以下の画像は縮小されているので画面で見ると少々薄いが、 画像上でクリックすると大き目のサイズで表示されるので確認していただきたい。
マイクロニッコール70mm F5(後期型)のレンズ各部寸法 ● 2017年の解説 古賀先生から届いた装置に関する解説を以下に掲載する。 とても、わかりやすく解説してくださった。 ------------- マイクロニッコール70mm F5を使用したデジタル眼球運動計測装置の構成は複雑ですが、 ここでは光学系に関して少し書いてみたいと思います。
古賀一男教授が使用していた角膜反射光法を記録する時の光学系
使用した光学系は、撮影距離を出来るだけ大きくとるように、 しかし撮影倍率を可能なかぎり大きくするという相反条件を満足しなければなりませんでした。 光学系の先端と被写体(眼球の角膜)が15cm以上あれば申し分なく、 撮影倍率は50〜70倍ほどが必要でした。 この倍率は低倍率の顕微鏡に近いものです。 顕微鏡の場合、対物レンズと撮影される被写体の距離はほとんど密着するほどです。 液浸顕微鏡ではレンズの先端とカバーグラスの間に特別な液体を充填して使用しますが、 ワーキング・ディスタンスが小さいので浸液は表面張力と濡れ特性によって隙間無く密封されます。 しかしこの装置ではそのような方法をとることはできません。 装置と眼球の距離は大きいほど測定される人の精神的負担は軽減されます。 恐ろしい形相をした装置を幼児の目の直前に置くことはできませんでした。 別の問題もありました。 高倍率の光学系単独では測定を円滑に行うことができないことです。
未塗装の真鍮色部分がビームスプリッター
ニコンF3とビームスプリッター取付け部
顕微鏡でも望遠鏡でも、倍率が高いほど被写体を撮影フレーム内の必要な位置に素早く捕捉する操作は困難です。 結論からいうと、倍率が低い光学系で被写体を捉え、 素早く高倍率の光学系に切り替え計測フェーズに移行するという仕組みを採用しました。 顕微鏡の対物レンズの機能に似た大型のターレットを自作しなければなりませんでした。 また研究の必要性からは 近赤外ビデオによるXY-トラッカーとフィルムカメラ双方に角膜反射光の画像を同時に導く光学系も必要でした。 レンズの直径が数センチもあるレンズを少なくとも2本装着できる大型ターレット、 数センチ角のビーム・スプリッターを光路内にセットするT字型光路分割ハウジングの一方はニコン・マウント、 他端がCマウントの装置で双方同時に合焦させる装置が必要でした。 耐久性も重要でしたがパイプにパイプを直角接合する作業は大変な苦労でした。 今日なら3Dプリンターの出番で、 一服しているうちに(この部屋、禁煙でしたね!?)精密な部品が出来るはずです。 当時はこのような撮影補助装置やデバイスは何処にもなく、特注すれば高額な研究費の負担が生じたでしょう。
フル装備の実験計測装置
レンズ2本をマウントしたターレット部
高倍率撮影にはニッコール24mm F2.8をリバースし、 中間リング、テレコンバーターを装着したものをベローズで合焦させました。 マイクロニッコール70mm F5は、ライカL39スクリューマウントとニコンマウントのコンバーターリングを作成し、 低倍率光学系のひとつとしてターレット上にセットしました。 各種の部材は素人でも旋盤切削が容易な真鍮パイプを主に用いました。 不良品の山を築きながら、装置に現物合わせして何とか満足する精度を得ることができました。 実験室の暗闇でギラリと光る真鍮の肌色は美しいものですが、実験には邪魔になるだけでした。 黒色のエナメルを焼き付け塗装し、その後は工作室の隣で冷えたシャルドネィを飲んだというわけです。 簡単な見取り図と塗装前の写真を参考までにつけておきました。 ● なぜフィルムだったのか 最後に、デジタル時代の黎明期に なぜ同時記録とはいえ古色蒼然としたフィルムによる記録を導入したか という理由を述べておきます。 下の図版では目の前に表示された「Z字」のパターンの変曲点毎に点灯された光点を 眼球が追ってゆく時の眼球運動のデジタル・データです。
眼球運動のデジタル・データ
この図版では16.7ms 毎に取得したデータを伝統的な記録方法と同じように表示したものです。 眼球の動きは従来の伝統的な記録と良く似ていますが、 16.7ms のデータ取得は必ずしも充分な時間精度があるとは言えません。 使用されたデジタイザー (XY-tracker) は ついこの前まで使用されていた日本、アメリカを中心としたビデオ信号基準である NTSC(30フレーム/秒:33.3ms)を使用し、 奇・偶フレームを分離し便宜的に60Hzとして使用したものでした。 高速で動く眼球運動では 時間的な限界を持つ便宜的な方法では充分な解像力をもつ空間的な記録は 得られないことがわかります。 これまで半世紀にわたって使用されていたフィルム (19世紀に開発され市場に出現したダゲレオタイプの写真法の最も先進的なスペックを持つ材料) を使用し同時記録を行うことで、 たとえ短期間でも未成熟なデジタル記録という新技術を補完することができると考えたわけです。 次の図ではフィルムによって同時記録したアナログデータを示します。 これは従来のアナログ記録とは異なり 角膜照射光の光色を任意の時間間隔で交代させて撮影・記録したものです。
フィルムによって同時記録したアナログデータ
光色の変化速度は最速で1/1000秒でした。 光跡の交代幅が長ければ高速で、短ければ遅い速度で眼球が移動したことがわかります。 ある点から次の点まで高速眼球運動が発進した軌跡では、 開始直後は遅い速度で、中途では速度が乗って最高速度を示し、 終着点に至るフェーズでは急ブレーキがかかる様子が紅白の縞模様の幅で明確に確認できます。 因みに記録された光軌跡のセクターは2msを示しています。 デジタル記録の8倍の時間精度です。 複数の光色を高速度で切り替える仕組みには 光源のコリメーション、オプティカル・チョッパーと光行路内での切り替え速度のモニターの仕組みなど 多くのことについて説明が必要かもしれませんが、 それらは間違いなく秋山氏の流麗なWEBを妨害する行為になります。 それらを開陳するよりも言っておかなければならないことは、 次世代のテクノロジーを先代の技術で乗り越え来たるべき近未来に肉薄しようとする行為は 新技術のパラダイムシフトにとっても重要な努力であるという点ではないでしょうか。
古賀 一男
Prof. Dr. Kazuo Koga ● 古い刃物とレンズ 先生は、ちょっとユニークな趣味を持っている。 鉋(カンナ)や鑿(ノミ)のコレクターなのだ。 本記事の頭に掲載した写真では、「槍鉋」という、 現在ではほとんど使用されなくなった種類の鉋とレンズがいっしょに写っている。 槍鉋はとても古い道具で、なんと古墳などからもよく出土するという。 両刃で刃は先端に向かって上の方に反っている。かなりあぶなく鋭い。 現在使われているのは台鉋というそうだが、 この台鉋ができるまで使われていたのが槍鉋で、台鉋の登場によりその後は使われなくなったのだ。 このあたりは、古いといっても古さの格が違う。1000年前の話なので驚く。 法隆寺の宮大工棟梁だった西岡常一氏がテレビで紹介された時に槍鉋も紹介され、 その影響でこれを求める人が増えてきたという。 一般人はそこまでテレビ映像を見ていないので知らないが、知る人ぞ知る世界があるものだ。 法隆寺の柱をも仕上げた古い刃物と、すこし古い日本光学製の高解像力レンズがよく調和する。 レンズにもお道具の世界があってもよいと私は考える。 下の写真を見ていただきたい。 レンズに法隆寺は金堂の、いにしえのあかね色。 茜レッドなコーティングに写りこむ空気は、 すでに千年の情景を天空に定着させる写真装置になっている。
いにしえの茜色のコーティングが美しいマイクロニッコール70mm F5
● あれからそれからのこと このコンテンツのオリジナルは2002年9月に公開したものです。 公開後、古賀先生の影響で私もマイクロニッコール70mm F5が欲しくなり、 先生と同じ370シリーズを探すことにしました。 370シリーズとはこのレンズの最後期の番号帯のものです。 時間はかかりましたが370シリーズのマイクロニッコール70mm F5を入手することができました。 開放F値がF5という珍しい素数絞りのためか、レンズが叩きだす映像は尋常ではありません。 高性能丸出しなのです。 さすがプロの研究者がセレクトするだけの優れたレンズです。 その後、詳しいインプレッションは、 マイクロニッコール70mm F5グランドエレガンス としてコンテンツにまとめましたのでご参照ください。 さて本文の中で触れているとおり2017年夏に新たなきっかけがあり、 古賀先生と再度コラボでコンテンツの増強を図りました。 先生から説明追加の原稿と画像データを送っていただき組み込みました。 再度先生のご著書を勉強し直しました。 しかしながら、勉強の成果をコンテンツに反映できなかったことは大目にみてください。 古賀先生は名古屋大学を退官され現在は京都に戻られている。 専門分野からの執筆依頼を受け、原稿に取り組むお忙しい日々を送られていると言う。 大学での講演会の講師としてご活躍の様子も知ることができます。 1本のレンズがご縁をつないでいます。 カメラ趣味を基軸にいろんな方々との出会いがあります。 そんな素敵な出会いの場を作ってくださったニコンミュージアムのトークライブ「試作機を語る」。 後藤哲朗フェーローとミュージアムスタッフのみな様には感謝するしだいです。 さらに、さらには、2018年12月に東京の新宿で開催された ニコン研究会東京グランドミーティング 。 古賀先生においでいただき、ご講演をお聞きする機会に恵まれました。 ご縁は本当につながるものです。 ● 2022年のあとがき このコンテンツのオリジナルは2002年9月に書いたものです。 しばらく大きな内容変更はありませんでしたが、 前述の「あれからそれからのこと」で説明のとおり、 2017年8月に全面的に大幅改訂しました。 2022年2月には、マイクロニッコール 70mm F5(後期型)のテクニカルデータを さらに詳しく書き直しました。
Copyright Akiyama Michio, Tokyo Japan 2002, 2022
|