![]() 幻のレグノニッコール10センチF1.5が3基並ぶ迫力の風景
Tokyo Meeting Regno Nikkor 10cm F1.5 Roentgen Lens Special
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ニコ研開催の銀座は三月の歌舞伎座 ● ニコン取説研究 歌舞伎座さよなら公演三月大歌舞伎は、 元禄忠臣蔵のノボリを見ながら、ニコ研三月。 まずはニコンFにかんする研究プログラムからスタートです。 ニコンF50周年前夜祭ということで、 初期のニコンF用の取説から小形カタログを集めてみました。 製造期間の長かったニコンFは、 ご承知のように各種バージョンの取説がつくられました。
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ニコンFの初期から最後期までの取説と小形カタログ ● レントゲンレンズ
レグノニッコールに代表される時代のレントゲンレンズを研究するにあたり、
まずは非常に珍しい歴史的レントゲンレンズを見てみましょう。
![]() 全世界ウエブ初公開のレントゲン・ズノー6.5センチF1.4
レンズがとにかく美しいレントゲン・ズノー6.5センチF1.4
生き残っていた高速レンズ R-セレナー5センチF1.5 ● レグノニッコールと間接撮影写真装置
希少レンズの美しさには、
美術品をみたような心豊かさが残ります。 さすがはニコン研究会。 レグノニッコール10センチF1.5が間接撮影写真装置付きで、 なんと3台も集結したのです。 もちろん、写真装置は6×6判のブローニーロールフィルムを使用するボディと、 シートフィルムを使用する1枚撮りフィルムバック式のボディが勢ぞろいです。
![]() 鋳鉄製の取付け板が特徴のエックス線間接撮影写真装置
精巧なフィルム巻上げクランクの動きは今でもスムース
間接撮影写真装置付きで3台集まることじたいがあり得ない
レグノニッコールを検証するニコ研レントゲン支部 ● 3台のエックス線間接撮影写真装置 日本光学のエックス線間接撮影写真装置が世の中に出たのは、昭和22年。 1947年のことなのです。 多くの方が驚かれるのですが、ニコンI型の発売前の話なのです。 ニコンI型の発売は昭和23年。 戦後の復興期に、これほど精密な写真機と高性能レンズが製造されていた事実を、 現物を目の前にして再確認しました。
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写真機番号22408号機(昭和22年製)
写真機番号22768号機(昭和22年製)
写真機番号23101号機(昭和23年製)
1枚撮りフィルムバック式のボディ(後期型)
写真機フィルム室内部の様子
フィルム室遮光窓も赤にオレンジ色と種類があったとは ● 幻の6×6判ニコンカメラ
日本光学が6×6判カメラを製造していた事実をまずご理解ください。 しかしながら、 報道写真家が戦場で使うプレスカメラはニコンでないといけません。 交換レンズも含めて小形で軽量であることを条件にすると、 35ミリフィルムカメラという選択が残ったのでしょう。 ニコンカメラの黎明期に、 しかも伝説となったニコンI型より以前に、 高速レグノニッコール付きの中判カメラが存在していたことを忘れてはなりません。 時代は昭和のはるか先に流れ進んでも、 レグノニッコールは、高速レンズの眼光は、今だ鋭いままなのです。
(注)
![]() 今でも威容を誇るレグノニッコール10センチF1.5高速レンズ
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Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2009, 2019
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