幻のレグノニッコール 10センチ F1.5が 3基並ぶ迫力の風景
Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting Nikon F Manual Regno Nikkor 10cm F1.5 Roentgen Lens Special
三月大歌舞伎
春陽光の歌舞伎座
銀座歌舞伎座でニコン研究会
銀座文明堂 ● ニコン取説研究 歌舞伎座さよなら公演三月大歌舞伎は、元禄忠臣蔵のノボリを見ながら、ニコ研三月。 まずはニコンFにかんする研究プログラムからスタートです。 ニコンF 50周年前夜祭ということで、初期のニコンF用の取説から小形カタログを集めてみました。 製造期間の長かったニコンFは、ご承知のように各種バージョンの取説がつくられました。
ニコンFの初期から最後期までの取説
ニコンFの小型カタログ
ニコンFの初期の取説
ニコンFの小型カタログ
ニコンFの取説とプライスリスト
ニコンFの最初期のカタログ
ニコンFの最初期のカタログの裏面
ニコン研究会 2009年3月例会 ● レントゲンレンズ レグノニッコールに代表される時代のレントゲンレンズを研究するにあたり、 まずは非常に珍しい歴史的レントゲンレンズを見てみましょう。 帝国光学と精機光学のレントゲンレンズです。 とくに、帝国光学のレントゲン・ズノーは、非常に珍しい幻の医療用レンズです。 606系と 608系の動体存在が確認されていますが、 610系はウエブで全世界初公開です。いやほんとに世界初公開なのです。
全世界ウエブ初公開のレントゲン・ズノー 6.5センチ F1.4
レンズがとにかく美しいレントゲン・ズノー 6.5センチ F1.4
レントゲン・ズノー 6.5センチ F1.4
生き残っていた高速レンズ R-セレナー 5センチ F1.5 ● レグノニッコールと間接撮影写真装置 希少レンズの美しさには、 美術品をみたような心豊かさが残ります。 さて、ここからがメインテーマです。 工業用ニッコールレンズ研究家の秋山満夫の呼びかけで、 エックス線間接撮影用レンズのレグノニッコールを特集することにしました。 はたして、こんなレアなレンズを特集してモノが集まるのでしょうか。 以前、ニコンSPの特集をした時に、 集まったのはブラックボディや、モーター付きのブラックボディばかり。 1台だけ持ち込まれた普通のクロームボディのニコンSPが、 たいへん珍しいものにみえた、との笑い話のようなホントの話があります。
鋳鉄製の取付け板が特徴のエックス線間接撮影写真装置 さすがはニコン研究会。 レグノニッコール 10センチ F1.5が間接撮影写真装置付きで、 なんと 3台も集結したのです。 もちろん、写真装置は 6×6判のブローニーロールフィルムを使用するボディと、 シートフィルムを使用する 1枚撮りフィルムバック式のボディが勢ぞろいです。
精巧なフィルム巻上げクランクの動きは今でもスムース
レグノニッコール 10cm F1.5 レンズ
間接撮影写真装置付きで 3台集まることじたいがあり得ない ● 3台のエックス線間接撮影写真装置 日本光学のエックス線間接撮影写真装置が世の中に出たのは、昭和22年。 1947年のことなのです。 多くの方が驚かれるのですが、ニコンI型の発売前の話なのです。 ニコンI型の発売は昭和23年。 戦後の復興期に、これほど精密な写真機と高性能レンズが製造されていた事実を、 現物を目の前にして再確認しました。
写真装置の写真機番号
写真機番号 22408号機(昭和22年製)
写真機番号 22763号機(昭和22年製)
写真機番号 23101号機(昭和23年製)
1枚撮りフィルムバック式のボディ(後期型)
エックス線間接撮影写真装置
レグノニッコール 10cm F1.5 レンズ ● ニコンの赤窓 現物が 3台集まると気づきも多いものです。写真機本体のフィルム室遮光窓。 いわゆる赤窓ですが、赤にオレンジ色と種類があるとは初めて知りました。 カメラボディ裏側の、写真機番号が刻印されているプレート下のレバーを下げると、赤窓が出てきます。
写真機フィルム室内部の様子 ニコンのエックス線間接撮影写真装置はブローニー判フィルム(120 フィルム)を使用します。 フィルムは裏紙付きで巻かれていて、裏紙にはスタートマークに始まり、 撮影フォーマットに従ったフィルムコマ番号が印刷されています。 フィルム装填後は、この赤窓を通してコマ番号などを読み取ることができます。 かなり原始的な仕組みですが、ヴィンテージカメラを使う時のお約束となっています。
フィルム室遮光窓も赤にオレンジ色と種類があったとは
レグノニッコール 10cm F1.5 レンズ
専用収納木箱は写真で登場 ● 幻の 6×6判ニコンカメラ
今でも威容を誇るレグノニッコール 10センチ F1.5高速レンズ 日本光学が 6×6判カメラを製造していた事実をまずご理解ください。 エックス線間接撮影写真装置で使用された精密な写真機ボディは、 あのニコン全天カメラ(昭和32年)に引き継がれたのです。 日本光学は、 ニコン全天カメラの後には 6×6判カメラを製品化しませんでした。(注) 35ミリフィルムにとどまらず、 もし 6×6判ブロニーフィルムを使用するカメラに踏み込んでいたら、 ハッセルブラッドと並ぶ中判写真機が登場していたかもしれません。 しかしながら、 報道写真家が戦場で使うプレスカメラはニコンでないといけません。 交換レンズも含めて小形で軽量であることを条件にすると、 35ミリフィルムカメラという選択が残ったのでしょう。 ニコンカメラの黎明期に、しかも伝説となったニコンI型より以前に、 高速レグノニッコール付きの中判カメラが存在していたことを忘れてはなりません。 時代は昭和のはるか先に流れ進んでも、 レグノニッコールは、高速レンズの眼光は、今だ鋭いままなのです。
(注)
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2009, 2023 |