2008 Great Meeting at Nikon Headquarters

July 9, 2008
Great Meeting
NIKON Headquarters
Tokyo JAPAN

堂平天文台とニコン研究会

堂平天文台。 ニコン研究会では、堂平天文台の歴史と、 設置されている日本光学製91センチ天体望遠鏡に科学技術史的価値を見い出し、 その歴史的意義の検証と次世代への接続に向けて支援してきました。 当ニコン研究会ウエブサイトでは、 以下のコンテンツで堂平天文台と91センチ天体望遠鏡について紹介しています。

ニコン研究会・堂平ミーティング 堂平天文台
国立天文台 渡部潤一先生 特別ご寄稿「堂平の思い出」
鳥取市佐治天文台台長 香西洋樹先生 特別ご寄稿「最大のニコンカメラ」
堂平天文台91センチ天体望遠鏡を考える
ニコン研究会は堂平天文台の91センチ望遠鏡修復活動を支援していきます。

堂平天文台を造った男

東京大学東京天文台・堂平観測所の建設に大きな功績を残したのが、香西洋樹。 当時は、東京天文台の若手天文学者。 現在は、鳥取大学で教鞭を取られ、佐治天文台の台長である香西洋樹先生。

91センチ反射式天体写真儀を設計したのが、吉田庄一郎。 当時は、日本光学工業株式会社の若き光学設計技術者。 現在は、株式会社ニコンの取締役会長兼CEOを経て、相談役である吉田庄一郎氏。

天文台建設の難しさ、高性能天体望遠鏡の光学設計の壁にぶつかる時。 若きころの苦労は楽しい時間だったのでしょうか。 この二人の男。 それぞれの多忙な日々を重ね、再会するときもなく、長い時間が過ぎたのです。

日本が世界に誇る優美な姿の堂平天文台

世界的な歴史的名機 ニコン91センチ反射式天体写真儀

グレートミーティング

この二人の男の再会を実現させたい。 ニコン研究会の寺田茂樹と秋山満夫が動きました。 寺田は、堂平天文台の技術ボランティアをしています。 何よりも彼は、現在の堂平天文台の立位置と現状を理解しているのです。 秋山は、ニコン研究会ウェブサイトの運営を通じて、 各方面のチャンネルを持っています。 歴史的事実の掘起し、エピソードの収集に情熱を持っています。

株式会社ニコン広報課歴史資料室の伊藤幹生氏に、 世紀のミーティングの可能性を打診し、 多忙なお二人のスケジュール調整が進みました。

男の再会

2008年7月9日。水曜日の午後。東京は丸の内の株式会社ニコン本社。 二人の男は再会しました。 吉田庄一郎氏と香西洋樹先生は、長く離れていた時間を縮めるように、 昔話に突入しました。 若き光学設計技術者と、若手天文学者のまま、 時空は1950年代後半から1960年代前半の物語となりました。

東京丸の内 株式会社ニコン本社

吉田庄一郎 香西洋樹 歴史的ツーショット

掘り起された歴史的新事実

対談を通して、いままで語られることのなかった歴史的新事実が浮かび上がってきました。 以下の内容は、インタビューメモの一部であり、クラシック天文台マニヤ限定です。

(1) ガラス材のこと

主鏡、副鏡とも、材料はコーニング社のパイレックスではなく、 パイレックスと同種の、ニコンオリジナル組成の硼珪酸ガラスである。 ブレンドし、分割鋳込みし、溶融合体、アニールするまで、 全て当時の通産省のプロジェクトとしてニコン独自に研究・実施した。

(2) 国産のこだわり

写真儀としては、完全に純国産にこだわった。 セルシンモータは日本サーボ社製。主鏡セルは石川島播磨重工で溶接。 その後の測光・分光機器開発では、 当時日本製がなかったフォトマル(光電子増倍管)とグレーチングに限って海外製を使用した。

(3) 岡山と堂平

岡山の1号機のほうが、焦点距離が短く難しいようだが、 岡山のは測光用なので鏡面精度もそれほど厳しくなく、 架台も簡単なフォーク式にした。 そこで主鏡セル構造などの基礎技術を確立し、 高精度の写真撮影用光学系を2号機の堂平観測所向けとした。

(4) 爆撃照準機の技術

セルシンモータによる姿勢制御系のノウハウは、 戦時中に製作した光学兵器の技術が継承されており、それが多いに役立った。

(5) シュミットカメラの研究

91センチからは離れるが、 ニコンによるシュミットカメラの研究は、戦時中の海軍向けノクトビジョン (f=200mm F1 通称SA (Schmidt A号機))から始まる。 これは現在も国立天文台の三鷹の倉庫に眠っているはず。 堂平にあった50センチは、その次としてSBの通称で呼ばれていた。

吉田庄一郎氏からのメッセージ

「堂平天文台の時代を書いていただけませんか」
若き光学設計技術者の吉田庄一郎氏にお願いしたところ、快諾をいただきました。 すぐに、WORDでタイプされた原稿が届きました。 ほとんど手作りに近い設計から製造のお話。 天文台への搬送のエピソードは、語られることのなかった歴史的事実なのです。

堂平天文台の思い出

株式会社ニコン 相談役 吉田庄一郎

私が大学を出て日本光学工業株式会社(株式会社ニコン)に入社したのは1956年でした。 経済白書に「最早戦後ではない」と書かれた年です。 入社して設計部門に配属され、半年間の実習期間が終わって、 初めて与えられた仕事が36インチ天体望遠鏡の設計でした。

当時の日本では、 三鷹の天文台にあった65cm屈折望遠鏡が最大のものだったと思うので、 36インチ(91cm)の望遠鏡は、 日本では勿論、東洋一の望遠鏡といわれていました。 今考えると素晴らしいことだったと思うのですが、 東京大学天文台は何と一度に36インチの望遠鏡を2台製作することを計画し、 1号機が光電測光用で岡山の観測所に昭和35年、2号機は写真観察用で堂平山に昭和37年、 それぞれ続けて建造されました。

私は、入社早々の新人社員でしたから、 1号機は専ら下働きで先輩の書いた計画図に従って部品図を作成する役割を果たしていましたが、 2号機の写真儀の頃には、望遠鏡部分の設計を任されるようになり、かなり責任感と共に、 仕事に興味を持つようになってきました。

このような仕事は、カメラのような大量生産品とは異なり、 一品生産ですから試作なしのぶっつけ本番で製作するので、 当然途中で設計ミスによるいろいろなトラブルに遭遇します。 その都度、設計は現場に呼びつけられ叱責を受けながらも何とか解決策を見出さなくてはなりません。

その場で図面の訂正をしたり、またアウトソーシングしている部分については、 そのメーカーの協力を頼まなければならない場面も出てきます。 つまり設計者は完成するまで、 常に製品に張り付いて仕事をしなくてはならないのです。 それだけに完成し、すべての作動が確認されたときの喜びはたとえようもない大きなものです。

これだけ大きな構造物になりますと堂平山の天文台へ搬送すること自体が大変な作業です。 記録によりますと、担当の部門では、搬送経路を何回も事前調査し、 各方面と打ち合わせを行いながら慎重に計画を進め、 1962年9月15日の早朝(5時半ころ)に大井を出発し堂平山に向かい、 午前中に現地到着となっています。

据付、調整作業は2ヶ月ほどで、その間私も含め作業者は、 小川町の新井旅館にお世話になりました。 完成間じかになってからは、山頂の天文台の宿舎や、建設作業者の飯場を拝借して作業した記憶もあり、 大変懐かしく思い起こしています。

天文台に納入し、引渡しを終えた後も天文台の先生方に使っていただく中で、 いろいろな不具合も出てきますので、その都度現地へ出張して改造、修理工事がつきものです。 従って会社の持ち出す費用も大変なもので収益という点では、決して威張れたものではありません。 しかし、仕事を通して得られる技術的成果、 天文台の先生方との目的に向かって努力する一体感は他に比較ができない収穫でした。

私は、その後天体観測用分光器や、 それに組み込むための回折格子の刻線機(ルーリングエンジン)の開発などに携わり、 天文台とのご縁は長く続きました。 若いときに学んだ経験は尊いもので、 私の会社人生において後に新規事業の立ち上げなど思いもかけない場面に役立ってくるものだと、 今改めて感謝しています。

平成20年7月22日

美しき堂平天文台

NIPPON KOGAKU TOKYO

91センチ鏡のダイナミックな様式美

The DODAIRA Observatory

ALL WE LOVE DODAIRA

特別ご協力:
株式会社ニコン 秘書室
株式会社ニコン 広報課歴史資料室

日経サイエンス

科学雑誌「日経サイエンス」編集部より、旧東京天文台堂平観測所の物語を企画しており、 ニコン研究会サイトにある記事を引用をしたい、とのご依頼がありました。

ニコン研究会は、日経サイエンス誌の記事製作をお手伝いさせていただくことで合意しました。 2022年の年初から作業がスタート。 本記事(ニコン研究会 2008年7月特別レポート)から引用していただいた文章は、 同誌の 2022年5月号に掲載されました。

日経サイエンス 2022年5月号

日経サイエンス(SCIENTIFIC AMERICAN 日本版)。 2022年 5月号。nippon 天文遺産第36回。旧東京天文台堂平観測所(中)。 吉田庄一郎氏からご寄稿いただいたエッセイ「堂平天文台の思い出」より引用されています。 またお二人の歴史的ツーショット写真も大きな扱いで掲載されています。

ニコン研究会は日本の科学技術の発展に貢献しております。

2023年のあとがき

この記事のオリジナル初稿は、2008年10月に公開しました。 長い間大きな更新はありませんでした。2022年のことでした。 日経サイエンス誌からのご依頼で動きがありましたので、紹介を兼ねて本記事を大幅に改訂することにしました。 画像品質を高めるために、画像上でクリックすると、オリジナルの撮影原板を表示するようにしました。

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