CRT Nikkor 55mm F1.2 Grand Legend

CRT Nikkor 55mm F1.2 Grand Legend in Japanese Rice Field

CRTニッコール55mm F1.2伝説の誕生

UN BUCO NELLA SABBIA
レンズにも伝説はある。
伝説が生まれた瞬間に立ち会うこともある。
そんな伝説の話をしたい。

ロスアラモス国立研究所

このレンズは、不思議な出現をした。とつぜん姿を現した。
CRTニッコール55mm F1.2は、前に述べたとおり、 最初の原型がオシロスコープ画面撮影専用レンズとして1964年にデビューしている。
しかし、その存在を知っていたのはごく一部のマニヤだけだった。
存在を知っていても、彼らが実物を目にすることはなかった。

1997年の初夏。このころ、まだ主流だったパソコン通信で、情報が飛び交った。
その当時米国に駐在していたある方が、カメラ店でこのレンズを入手した。
ブローカの話ということで、レンズが出てきた背景を説明してくれた。 その書込みがあったのは、1998年1月18日のことである。

CRTニッコール55mm F1.2は、米国の核実験施設から放出されたという。
核実験施設というと時節柄生々しいので、核融合研究施設と考えよう。 核融合研究施設というと、科学技術にお詳しい方ならば、 すぐにロスアラモス国立研究所とかローレンスリバモア国立研究所の名前が思い浮かぶだろう。
ネットに出た情報は「米国ニューメキシコ州にある核実験施設」だ。
これは間違いなくロスアラモス国立研究所と思われる。

ことの真偽を確かめようと、ダメ元で、 ロスアラモス国立研究所に尋ねてみようとも当時考えた。 しかしながら、このウェブサイトを立ち上げた頃は、 2001年9月の同時多発テロからはじまる一連の事態の真っ最中だった。
米国の国家的な核関連施設へコンタクトするなど、さすがにできなかった。

CRT Nikkor 55mm F1.2の美しいパープル・コーティング

アルバカーキの乾いた風

ニューメキシコ州の街アルバカーキからはるか160キロ離れ、 標高2,000メートルを超える乾いた空気、乾いた風のなかで、 大量のCRTニッコール55mm F1.2が、 目に見えない鮮鋭な光をみていたということは想像するだけでも物語だ。

このブローカの話では、CRTニッコール55mm F1.2は、
「水平解像度200本/mmの超高解像度レンズである」とか、
「L39ライカマウントなので、引き伸ばし機のレンズに最適である」
そして、 「オレゴン州立大学で写真を教えている教授が引き伸ばしに使ってバッチリだった」
などなど、レンズにまつわる話も披露してくれたという。
セールストークか否かはわからない。でも、話としては興味深い。

ブルックリン

次に、こんどは裏付けのある話。
シャッターバグ誌の広告にCRTニッコール55mm F1.2が登場した。1997年5月の話だ。
このときに入手された方は、私のまわりにも数人いるので、 気が付かれた方は購入されたのではないか。 ニューヨークの有名な中古カメラ店「ブルックリン・カメラ」である。
レンズはライカスクリューマウントだから、ライカマウントのアダプターさえ用意できれば、 どんなカメラでも装着できる。
ブルックリンの広告では、オリンパスOM1Nに付けてお花の接写写真がグレート最高、 とのユーザ激賛の話が載っている。
1997年当時では、海外から中古カメラを買う手段はシャッターバグ誌などの雑誌だった。
雑誌に掲載されているカメラ店の広告を見て、 ほしいものがあれば紙に書き出しFAXで送ったものだ。 まったくリアルタイムでない、なんとものんびりした時代だった。

スティーブのお父さん

私もだてに、マニヤをやっているわけではない。
真実を確認することが、世界的な資源を後世に正しく伝えることができる。
以下の情報は、当時ネット上に流れたメーリングリストから採集したものだ。
このメーリングリストがガセネタだったら、それはそれでしかたないが、 メーリングリストの存在は本物だ。
プライバシーの観点から、メールアドレスやオリジナルのソースは掲載できない。

題して「ニコンの本格派コレクターへ」と題された1通のソースだ。
原文は英語だが、あえて日本語にした。

---- ニコンの本格派コレクターへ ------------------------------

1996年 10月 12日 土曜日 20:19:56 発

CRTニッコール55mm F1.2レンズを売ります。続き番号で用意しています。
コレクター向きです。実用にも活用できるでしょう。

  • 連番で2本(10セットあり)
  • 連番で3本(6セットあり)
  • 連番で4本(6セットあり)
  • 連番で5本(1セット限定)
  • 連番で6本(1セット限定)
  • 連番で7本(1セット限定)
  • 連番で9本(1セット限定)

これはすごい。すべて連番だ。しかも、9本が連番というレンズ群もある。
その数合計すると89本。
大量の89本と考えるか、全世界で89本しか存在しない と考えるかは意見の分かれるところだ。

売り出したのは、米国のスティーブ氏。これは本名だ。
メールを読む。じんときた。
このCRTニッコール55mm F1.2レンズは、 スティーブのお父さんが持っていたという。
スティーブはこのメールを打ったあと、2週間ほど旅行に出るので 音信が途絶えると書いてあった。 母親と家族を連れてスティーブはオレゴン州の海に行った。
海岸線の美しいオレゴンは西海岸か。
彼のお父さんが愛したお気に入りスポットがあるのだ。

それは、お父さんの遺灰を海に散らしにいく旅だった。
スティーブのお父さんは89本のCRTニッコール55mm F1.2レンズを家族に残し、 8月に亡くなっていた。

深まる謎

スティーブのお父さんが、なぜこれだけ大量の特殊レンズを持っていたかは不明だ。
核実験施設とのかんれんも分からない。
オレゴン州立大学教授の話と、 オレゴンの海を愛したスティーブのお父さんは関係あるのか、ひょっとして同一人物か。 スティーブ本人に聞いてみようかなとも思うが、まだその気にならない。 それは伝説なのだから。
すくなくとも、 日本で突然出現したCRTニッコール55mm F1.2の源流はここにあるとするのが有力だ。

スティーブが売り出したレンズをブルックリンがすべて買い取り、 そして広告をうって販売したのだろうか。 その裏付けとして、当時ブルックリンからレンズを購入した人が、 まだ在庫が70本近くあると聞いている。 別な見方をすると、全世界で100本に満たない存在といえるかもしれない。
販売するほうも、買うほうも、何のレンズか分からない状態だった。 情報がなかった。

いまだに、中古カメラ店の販売リストに用途不明のレンズとして登場することがある。
値段のほうもブルックリンに登場したころは適価であったが、末端価格は上昇してきた。
当時、末端価格でも飛びついてしまったのが私だ。こういうときもある。

時代の終焉と高性能レンズ

CRTニッコールは特殊な産業用レンズだった。
その製造数も定かではないが、55ミリで開放F1.2の大口径、 6群8枚のゴージャスなガラスブロックが、能力限界を超えたパフォーマンスを引き出す。
手指が切れるほど鋭利に工作された精度の高い、ライカスクリューマウントを持つ。
絞りリングが銀色、鏡胴が黒。
オートニッコールと逆の色設定は、スマートな工業製品という印象だ。

オシロスコープの画面撮影用という本来の役目は、遠い昔に終焉している。
安価なレンズに高感度ポラロイドを搭載したカメラにその主役を譲り、 さらに観測記録そのものが今ではパソコンと接続したデジタル記録になった。
ゼロックス社と並び優良な高収益企業の代表だったポラロイド社も、 2001年10月米連邦破産法11条適用を申請した。 考えられない事態が現実となった。
デジタルカメラの優位性は、夢のポラロイドシステムをとっくに超えた。

そして、レンズだけがしずかに残った。
高性能な超高速マクロレンズだけがしずかに残った。

現在の市場から

ウイーンのクラシックカメラ店の販売リストに連番のレンズが2本出ていたのは、 2001年は春の話だ。 国内でも数年前、秋葉原や新宿で入手することができたし、 また名古屋のクラシックカメラ店の販売リストに見出すことができた。

現在のネットオークションでもたまに見かける。状態のよいのが多い。
絞りだけのレンズで焦点ヘリコイドがない分、空気の吸い込みがないためか、 内部はチリ1つなくきれいなものだ。
実物を見たことない、といっていたレンズが、いきなり出現した実例である。

クロームボデイのニコンに合うCRT Nikkor 55mm F1.2

ブラックボデイのニコンにも合うCRT Nikkor 55mm F1.2

夢か幻のレンズ

最後に、これもごく一部のマニヤが存在は確認しているのだが、 市場に出現しないこのレンズの兄弟を紹介しておこう。
CRTニッコール58mm F1.0のFマウントモデルだ。
Fマウントというところが珍しい。F1.2ではなく、なんとF1.0だ。
ニコンカメラ用のレンズカタログには出てこない。
文献や雑誌の記事にも出てこない。
唯一、産業用・工業用ニッコールレンズカタログだけに記載がある。
1974年あたりの専用価格表を見ると、特注品となっている。
特注品であることから、数が極端に少ないと推測できる。

これは幻のFマウンレンズだ。 UVニッコール55mm F4と同じように、その存在は確認されているが、 実物が出てこない夢か幻のレンズである。今世紀中の出現を望みたい。

優等生な知性派レンズ

下の写真に写っているのは、CRTニッコール55mm F1.2の前期型。
52ミリ径のニコンフィルターをつけている。
収穫まじかの、稲の穂をながめて、イナゴの行動を監視する姿は、なかなか知性的である。

稲穂をながめるCRTニッコール55mm F1.2

レンズも哲学をもてば田畑で毅然とし、 オシロスコープの光跡をトレースしながらレザー光の解析もこなす仕事人の顔ももつ。
風景になじむ銀色の絞りリングを持つCRTニッコール55mm F1.2。
どんなカメラにも似合う優等生な超高速マクロレンズだ。

砂にきえた涙

CRTニッコール55mm F1.2がデビューした1964年。
イタリアを代表するカンツォーネ歌手ミーナが発表したのが 「砂にきえた涙」。
UN BUCO NELLA SABBIA

♪青ひ月の光を浴んびながら ウ わたすは 砂のお なかにいい〜♪

ミーナがゆるい日本語で歌うなつかしい曲をカセットテープデッキで聴きながら、
アルバカーキ。オレゴンの海。秋葉原。
レンズをめぐる数奇な物語。伝説を想う。

UN BUCO NELLA SABBIA
UN BUCO NELLA SABBIA

2016年の追記

このコンテンツは2001年11月当時に書いたものです。
2016年の見直しにあたり、画像はストーリー展開にふさわしいものに変更し、差し替えしてあります。 公開当時は1枚きりの画像でしたが、当時の画像に加えて、その後に撮影した画像を盛り込みました。
米国の核実験施設(核融合研究施設)で使われたとの話は、 後にエビデンスの出現により歴史的事実であることが判明しましたので、 以下にレポートします。

ロスアラモス国立研究所

まさか現物が出土するとは思いませんでした。
米国の核実験施設で使われたとの話は、 歴史的事実であることがエビデンス(写真装置の実物)の出現により判明しました。

ズバリ、ロスアラモス国立研究所の所有物だった写真撮影装置が米国で売りに出ました。
なんとCRTニッコール55mm F1.2が搭載されたスコープカメラ(表示画面写真撮影装置)です。 産業用レンズファンの日本の方が購入されました。
画像の掲載を承諾していただきましたので現物を見ていただきましょう。

白塗りの木の箱

ロスアラモス国立研究所の所有物を示す銘板

スコープカメラ装置全体

CRTニッコール55mm F1.2がマウント座金で装着されている状態

下の写真は私が所有する2本のCRTニッコール55mm F1.2です。 レンズには2本ともロスアラモス国立研究所の所有物と同じマウント座金が付いていました。 マウント座金の形状から、ロスアラモス由来のものと思えます。

ロスアラモスマウント座金付きのCRTニッコール55mm F1.2

後日談をすこし。
購入したレンズのうち、 1本はジャムナットを廻して自分でマウント座金を外せたのですが、 もう1本は固く締め付けられており、どうしても外せない。 CRCのような潤滑油を差そうか、 プライヤーで掴んで無理に廻すとジャムナットのローレット加工がつぶれそうです。
困って、ニコン新宿サービスセンターに持ち込み相談。 すると、バックヤードにレンズを持って行かれると、 しばらくしてスルリとマウント座金を外していただくことができました。 専用工具でも使ったのでしょうか。まったくの無傷です。 プロの技です。感動しました。
そのせつはニコン新宿サービスセンターさんにはお世話になりました。

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