R-エーロニッコール50cm F5.6 No. 38352376
● 白夜のくにから スウェーデンのキリルさんからメールが届いた。 北欧は白夜で、緑の初夏はみどり色だと言っていたが、 添付されてきた写真はビンテージなヒストリカル・レンズだった。 「このレンズのこと、知ってる?」と言われても、戦前の話なのでこれはわからない。 日本光学の社史「75年史」にあたってみた。 航空写真機用エーロニッコールを製品史からリストアップしてみよう。
しかし、彼が保護しているレンズは、50cm F5.6だ。 はて、このエーロニッコール50cm F5.6とは何者なのだ。 日本光学の社史をさらに精読してみると、以下のような説明があった。 「大型の航空写真機としては、 昭和19年から川崎製作所で生産された一号自動航空写真機がある。 これは偵察用写真機で、 すでに昭和9年ごろから他社で生産していたものを、 軍の命令により当社が改良して生産を引き継いだ。 写真の大きさを一定にするためには 航空機の飛行高度に応じて焦点距離の異なるレンズが必要であるが、 増産の必要から1種に絞って50cm F5.6(高度1万m用)だけとした。 本機はモーターで露出からフィルムの巻き上げまでを行う全自動式であって、 終戦までの約1年間に600台を生産したが、 大型航空写真機の生産台数としては画期的なことであった。」 ニコン75年史、78ページ、原文のまま引用させていただきました。年号に昭和を付加しました。
R-エーロニッコール50cm F5.6 日本光学工業株式会社製
● レンズ探索 キーワードは、昭和19年、高度1万メートル、偵察用写真機ということだ。 昭和19年当時、高度1万メートルで飛行が可能な偵察機とは何だろう。 どんな写真機だったのだろう。 このあたりの事情に詳しい方にお聞きしたら、 キーワードにかかる偵察機としては、日本陸軍機の百式司令部偵察機、 日本海軍機では彩雲艦上偵察機の可能性が高いことが判明した。 また、大型爆撃機に搭載された可能性も否定できない。 しかし私は、このR-Aero-Nikkor 50cm F5.6 No.38352376は、 百式司令部偵察機三型(型式 キ-46-III)に搭載されたものと理解した。 ちなみにAero-Nikkorは、日本光学ではエーロニッコールと表記している。 エアロニッコールではない。 スーパーアンギュロンのことをスーパーアングロンと言うこだわりに近い。 なお、R-Aero-Nikkorと刻印があるレンズは、ほかにはない。 Rの刻印は、もちろんRecon Plane(偵察機)のRである。
航空写真偵察用R-エーロニッコール50cm F5.6のリアキャップ
● 百式司令部偵察機 大東亜戦争時代の、すでに伝説となった名偵察機が、百式司令部偵察機だ。 略して百式司偵、あるいは、飛行機が導入されたときは新司偵と呼ばれていた。 この航空機には逸話が多い。 最高速度を誇り、追いかけてきた敵機を振り切って飛び去ったとか、 二基の強力エンジンで1万メートルの高高度に急速上昇する力強さは、 いまでも語られている。 しかし特筆すべきは、その流線型の、なんとも優美な機械様式美にある。 連合国側から、コードネーム、"ダイナ”と呼ばれ、 海外の飛行機サイトでは、「ワンオブ・モストエレガント・エアクラフト・オブ WWII」 と説明がある。 この美しい姿を紹介したくて、百式司偵の鮮明な写真を探した。 飛行機の精密イラストで有名な、 nag's Galleryさんの承諾を得て画像を転載させていただいた。 三菱百式司令部偵察機三型の、きわめて精密なイラストである。 その優美な姿が緻密に書き込まれている。 nag's Gallery http://www.nags-gallery.com/
三菱百式司令部偵察機三型(型式 キ-46-III)
● 一号自動航空写真機 かんじんの、写真機のことを調べないといけない。 当時の通信機、航空写真機のコレクションでは、この方を知らないとモグリと言われる。 横浜旧軍無線通信資料館の館長をされている土居 隆さんである。 とにかく、ウェブサイトを見ただけでも、その迫力、第一級品のコレクションに圧倒される。 個人コレクションというから、また、びっくり。 横浜旧軍無線通信資料館のコレクションから、レンズをマウントした写真機が判明した。 ご本人にコンタクトをとったところ、写真画像の転載を承諾していただいた。 横浜旧軍無線通信資料館 http://www.yokohamaradiomuseum.com/
● 横浜旧軍無線通信資料館のコレクションから
横浜旧軍無線通信資料館のウェブサイトの掲示板は注目である。
タイムリーに収蔵品が紹介されている。
左が「自動航空写真機1号2型」焦点距離50cm F5.0、右が25cm F4.5
画像タイトル:img20050505131001.jpg -(192 KB)
掲示写真は先に陸軍航空機用無線機材と併せ入手した、 陸軍高々度撮影用写真機及び関連機材です。
写真機は「自動航空写真機1号2型」焦点距離50cm /F5.0及び25cm /F4.5の2台で何れも六櫻社製、
幸運にも本写真機を制御する「撮影間隔調整機」1台が付属していました。
「日本の光学工業史」第4篇・陸軍航空光学兵器には、
本機材に関わる以下の記述(p. 398)がありますので抜粋します。
写真補足 ● 安住の地は北欧 レンズがマウントされた写真機、そして写真機を搭載した航空機のことが分かった。 すでに歴史のなかの史実である。 このレンズは、高度1万メートルを飛行したのだろうか。 レンズの両キャップが残されている極めて珍しい例だ。 地上を撮影する側のレンズ面はともかく、 カメラ内に装着されるフィルム側のキャップも着けられて出てきたのだ。 おそらく、実際に偵察機に搭載されることなく、 保守部品としてストックされ木箱に隠れていたのかもしれない。 終戦と同時に、接収された飛行場の格納庫からレンズは運び出され、 米国で長いことだれからも手入れされることなく耐えていたようだ。 レンズは、米国からネットオークションに出品された。 開始価格が49ドルだったから、セーラーも値段が化けたことに驚いただろう。 もっとも、零戦に搭載された照準器が数百万円で取引されているらしいが、 それに比べたら控えめである。 しかし、レンズは日本に戻ることなく、スウェーデンは白夜のくにへ飛んだ。 米国から日本に戻すのではなく、 とおく北欧の街で余生を送るのも、それはそれでよいかなと思う。 レンズにも意思はあるので、その気持ちは尊重したい。
Photo: (c) 2003, Kiril Arsov ● 2020年のあとがき このコンテンツのオリジナルは2003年7月に公開したものです。 2016年のサイト移転に伴う見直しにあたり、 人物を含む画像についてはセキュリティーを配慮して掲載を見送りました。 資料価値の非常に高い画像の追加については、 横浜旧軍無線通信資料館館長の土居 隆さんからご承諾をいただき、掲載させていただきました。
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2003, 2020
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