レッドブック。
地球規模の人口の増加か、文明という名の破壊活動なのか。
多くの野生動物、野生植物が絶滅の危機にある。
保護を必要とする動物。希少種の植物。生態系。
日本の環境省では「絶滅種」、「絶滅危惧種」、「危急種」および「希少種」
に大別し、危機に瀕している生物種のリストを作っている。
レッドデータブックである。
話題をこのサイト設立目的に戻そう。
一時ほどではないが、クラシックカメラブーム、
クラカメブームというものは、まだ続いているようだ。
人気の定番はもちろんドイツのライカである。
ドイツは、コンタックス、ローライをはじめ、たくさんの銘機、名レンズを産出してきた。
日本製では、レンジファインダーニコンの人気が高い。値段も高い。
クラシックカメラファンなら、だれでも知っている。
書店に行く。カメラショップの書籍コーナーではたくさんのカメラ関連書籍が並んでいる。
ブームが市場を創出し、クラシックカメラの本、雑誌が、続々と発行されている。
この世界でもやはりライカ、ツァイスをはじめとするドイツもの、
そしてニコン、キヤノンの話題が満載となっている。
もう書くネタがない状況も見え隠れするが。
そんななかで、ぽっかりと空洞化している分野がある。
工業用レンズ、産業用レンズの世界だ。
だれも話題にしない。だれも知らない。
市場に出てきてもだれも興味を示さない。
1960年代。
日本は空前の景気により工業生産においても格段の飛躍をした。
鉄鋼、船舶、自動車、電機、そして新しいエレクトロニクス技術の台頭。
真空管からトランジスタへ、
トランジスタから集積回路の時代に入ったのである。
集積回路製造の段階で、
いままでの性能レベルをはるかに超える高解像力レンズが必要となった。
日本光学が世に出したのが、伝説の極超高解像力レンズ、
ウルトラマイクロニッコール。
数千万円から億からする製造装置にレンズは取り付けられ、
数え切れないほど多くのシリコン基板に回路を縮小焼き付けしてきた。
時空は千年のときを超え、2001年が現実に存在する今。
あれほど時代の花形だった伝説の極超高解像力レンズ、
ウルトラマイクロニッコールを知る人はいない。
私が助けてあげたいのは彼ら、彼女らだ。
ひどいではないか。あれほど一生懸命働いたのに。
レンズに生まれて、自然光線を見ることなく、
高輝度なe線、g線、h線ばかりを見つづけて、失明しそうな仲間もいる。
用がなくなったら、
ハンマーで砕かれて埋め立て地の砂となったレンズの数はだれが知る。
リストラはクビではない。
リ・ストラクチャー。再配置、構成の変更、枠組み仕組みを変えることだ。
クビではない。ハンマーで砕いて、土砂とすることではない。
救済活動ははじまった。はじまったばかりである。
往年の銘レンズ、伝説の仕事レンズ、
いまも輝くオールド・スーパースターを保護しよう。
「絶滅危惧種」、「危急種」の保護、捕獲、動体保存は、いま必要なのだ。
だいじに使ってあげることだ。
動体保存こそが基本。使うことが絶滅の危惧から救えるのだ。
ニッコールレンズばかりでなく、隠れた老兵を見つけ出し、
養生させていくのが、本サイトの設立目的なのです。
これはロマンだ。いまはもう死語となったロマンなのだ。
日本の優れた工業美術工芸品を見出すルネサンス活動はここに始動した。
自然光線を見て、息をふきかえすレンズのなんとも多いことか。
日本が生んだ世界的な超高性能レンズなのだから、
日本に帰してあげよう。
旧ソヴィエト連邦のウクライナから、
ウルトラマイクロニッコール125mm F2.8を亡命させたのは私だ。
日本では、もう存在さえしない、数少ない文献のなかだけで生きていた
幻の極超高解像力レンズ。
あの方と初めて会ったとき、私は身震いした。
まさに日本刀の威厳があり、武士だった。
「こんかいは、いろいろ尽力してもらい、すまぬ。」
ご神体降臨の瞬間だつた。
美しい日本の風を見て、盆踊りを聞き、稲の収穫にはイナゴの監視をし、
雪に月光を明るい高速レンズでとらえ、春は花に酒。
老いたレンズだって元気になれば、アンタも元気。
私も元気でうれしい。
年寄りに笑顔がない国は、どこか、おかしいぞ。
ここまで読んでいただいて、スペシアルサンキュー。ありがとう。
2001年10月21日
秋山 満夫
Akiyama Michio
RED BOOK NIKKOR AID INTERNATIONAL
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注:
本テキストは2001年10月当時のものです。
2018年現在、社会状況、さらにはクラシックカメラを取り巻く状況は大きく変化しました。
工業用ニッコールレンズ、産業用ニッコールレンズの存在もよく知られるようになってきました。
しかしながら、サイト設立時の雰囲気と状況理解のために、このまま置いておくことにします。
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2001, 2018
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