Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting Special 2019
Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting Year End Special ● ニコン研究会特別例会 2019年の締めくくりです。 年末は(も)肩の凝らないカメラの話でもして、安心して新年を迎えたい。 そんなで今年もニコン研究会特別例会を開催いたしました。 場所は東京・銀座に近いビジネス街の会議室です。 定刻の午後にスタートしたスペシャルミーティングの冒頭で、 開催のコンセプトとテーマが以下のスライド画面で紹介されました。 あまり一般世間では話題に上がらなかったような気がしますが、 ニコン研究会だけはこの場でニコンD 生誕20周年をお祝いさせていただきました。 本格的なデジタル一眼レフ機ニコンD1が1999年に登場して20年となりました。 なかなか息の長いスローガンも見えますが、気にせず先に進めましょう。
● プレゼンテーションセッション 研究成果発表やミニ講演会としての枠組みであるプレゼンテーションセッションは、 日頃お世話になっている方へ 「おつかれさまでした ありがとうございました」の部からスタートしました。 最初にお話をくださったのは、フジヤカメラの浅野正美さんです。 浅野さんは2019年12月末に株式会社フジヤカメラ店を定年退職されることになりました。 (注)このお話をくださった時点では在職中でした。 浅野さんとニコンの関わりで印象に残っているのは、2009年12月5日のことになりますが、 フジヤカメラが主催し中野サンプラザで 「ミスターニコン後藤哲朗氏特別講演会」を開催したことです。 前例のないことだけに講演会の企画から実現まで陣頭指揮した浅野さんのご苦労は想像を超えます。
株式会社フジヤカメラ店の浅野正美氏 浅野さんが手にしているのは貴重な限定本 「Fから五十年目の挑戦 栄光 現場 - そして未来を語る - 講演録」。 カメラを販売するというお立場からのニコンへのメッセージが心に残りました。
浅野さんの臨場感のあるお話 元ニコンフェローの後藤哲朗さんです。 後藤さんは2019年6月25日をもって株式会社ニコンをご退職されました。 すでにニコンミュージアムや日本カメラ博物館で、 トークイベントや講演会が開催されましたのでご存知の方は多いと思います。 後藤さんからいただいた名刺には、 国立大学大学院ほかいくつかの新たなお仕事の場が記載されており、 さらなるご活躍が期待できるところです。
元ニコンフェローの後藤哲朗氏 PHOTO YODOBASHI では AREA510と題した後藤さんの連載がすでに始まっています。 ニコン研究会では、このあたりを話のイントロとして、 いま現在、むかしの話、そしてさらに、 これからのニコンとカメラ技術、写真文化についてお話をお聞きしました。
後藤さんのとても興味深いお話
ここだけの話満載のお話に大いに盛り上がる プレゼンテーションセッションの最後として研究成果発表の枠組みとなりました。 ニコン研究会鈴木昭彦会員から 「最近の怪しいニコンFの現状」と題して、 昨今目にするようになったニコンFの稀少機 (製造シリアル番号が 64000xxの 2桁機など) のレプリカについて突っ込んだ報告がなされました。
ニコン研究会鈴木昭彦会員による特殊な解説 ホンモノとレプリカの見分け方について対比画像をまじえて解説がありましたが、 細かい説明はそのセキュリティー面から見た性質上、 ネット上では非公開とさせていただきます。 なにせホンモノの現物が手元にあっての話ですから説得力が違います。 ● 龍さんのプレスコーナー テーブルセッションに移りました。 コレクションテーブルの上に並べられた現物コレクションやら歴史的史料を見ながらのセッションです。 ニコン研究会の小秋元龍会長からの説明。 焼きたてのオリジナルプリントを見ながら当時のプレスカメラマンのお作法をお聞きました。 時ははるか昭和31年(1956年)。 場所は羽田空港(東京国際空港)。 フランスから帰国したばかりの、時の大女優・岸恵子嬢。 出迎えた男優は佐田啓二(俳優・中井喜一のお父さんですね)。
小秋元龍会長撮影のオリジナルプリント
当時外国通信社に勤務していた若手プレスカメラマン小秋元龍が撮影を敢行。 機材はニコンS2+ニッコール 5cm F2、ネオパンSS(ASA 100)。 エールフランス機を背景としたシーンは 当時の新聞社ではどこも持っていなかったストロボ(鉛蓄電池電源仕様)を使用とのこと。
エールフランス機を背景に岸恵子嬢
60数年前の時代の記録
● ニコンコレクション コレクションテーブルには銘品やら逸品が山積みとなっています。 ニコン双眼鏡の元箱コレクション。 もちろん中身も入っていますが箱の方が貴重ということで並びました。 ルック型は同じ赤いデザインの箱でもモデル(口径と倍率)によって、 赤の色調が大きく異なるのです。 同じにした方がコスト削減になると現代人はすぐ効率優先で考えてしまいますが、 どうも日本光学人は考え方が違っていたようです。
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赤い箱とシングルナンバー機
フィルム式一眼レフの時代のフラッグシップ機(シングルナンバー機)が FからF6までオールスターが勢揃いしました。 F3のプレスモデルの美しさは際立っています。 怪しいマグカップも出現しました。1996年のことでしたか。
美しいニコンF3P
1996年の記念マグカップ
● ニコン屈折赤道儀の貴重なカタログ 希少な紙モノがいろいろと集りました。 一般のニコンカメラファンはともかくとして、 コアな天文ファンでもニコン 20センチ屈折赤道儀のカタログなど、 現物をお持ちの方はごく少ないと思います。 このクラスになると、科学館のような公共施設(天文台)とか大学など教育機関向けとなります。 ちなみに 20センチ屈折赤道儀の現物は鏡筒のみとなりますが、 ニコンミュージアムで常設展示中なのです。
ニコン屈折赤道儀天体望遠鏡の貴重なカタログ
ニコン純正 34.5mm径のフィルターセット
珍しいニコン製の星用接眼分光器
まずは 1か月前の先月(2019年11月)の例会の様子をご覧ください。 ニコン 8センチ屈折赤道儀の鏡筒セットが 2台登場しました。 木箱に収納された鏡筒セットだけのお披露目であり、 実際に赤道儀に搭載しての展示は、今回 2019年12月の特別例会で行うことになりました。
前回例会の様子から
ニコン 8センチ屈折赤道儀鏡筒が 2台
本格派向け日本光学製天体望遠鏡の美しい姿
一般的なドイツ式赤道儀でありながら、当時でも他の製品とは一線を画す、 まるで現代彫刻作品のような異形の黒い鋳鉄の塊が印象的です。 重量感のあるバランスウエイトの佇まいも独特です。
グラマラスでモダンなドイツ式赤道儀
ニコン 8センチ屈折赤道儀
カタログの諸元を見ますと、 架台は緯度 32度〜38度用と 38度〜43度用の 2種が用意されていたようです。 この機体は緯度 35度で固定になっています。 架台台座部分に水平目盛り付きの水準器があり、 三脚のうち 1本を動かして微調整するようになっています。 国土地理院のデータによると東京都庁の緯度は 35度41分22秒。 まあそこまで細かい設定は必要ないと思いますが。
重厚な造りのドローチューブとアイピースまわり
星用接眼分光器ほか貴重なオプションが勢ぞろいでした。 ニコン 8センチ屈折赤道儀が市場に登場した時代はカメラと言えばフィルム式でした。 オリジナルのカメラアタッチメントを使って、 当時のフィルム式一眼レフカメラの代表であるニコンFを取り付けてみました。
純正のカメラアタッチメントでニコンFを装着
昼すぎから始まったスペシャルミーティングも午後5時のエンディングが近づきました。 せっかくの機会ですので、お集りいただいたみなさまと記念写真撮影となりました。
2019年ニコン研究会特別例会 スペシャルミーティングの後は、 会場から徒歩近くの高級レストランを貸し切り、恒例の忘年会へと突入しました。 歓談の盛り上がりは白熱したまま盛り下がらず、 予定の 2時間をさらに 1時間延長してのロングな宴となりました。 ラストは、ことし 1年間をよく反省し来年もさらなる精進をめざして頑張ろうと、 やや意味不明のお開きとなりましたが、首都圏の街はクリスマス気分で賑やかなので、 大目に見てくださるようお願い申し上げます。
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2019, 2023 |