TOKYO MEETING 2011
Nikon Kenkyukai Mini Tokyo Conv. F6400 Nikon F Nikon Motor Show ● トーキョーミーティング 銀座の二月は冬の終わりの快晴で、 リガミノックスを手にして交詢社通りを散歩もよし、 花椿通りのパーラーでエクレールACLを抱えた男が三人集まれば小説になるが、 げんじつには家電カメラばかりの中央通りは軽いけど 昼なのに気分爽快の朝のような街。 米国からNHSのビル・クラウス氏も東京に到着しているというので、 服部時計店から銀座松屋に合流してトーキョーミーティングに向かった。
銀座の明るい二月の陽光 ● 研究成果発表会
まずは、プレゼンテーション・セッションの開始となります。
スタート前に打ち合わせする小秋元プロとビル・クラウス氏
ウサギの耳(日本語ではカニ目)を覗いているのは伏見宮殿下
ニッコール付きの航空写真機の話題で盛り上がる
しまいには画面に飛び込んで解説するビル・クラウス氏
最初期型のレンズキャップとレンズフード各種を説明する初芝信次会員 ● 龍さんのプレスコーナー
さてプレゼンテーション・セッションが盛り上がってきました。
トンキン湾で戦闘行動中の航空母艦のカタパルトから、
写真報道装置ニコンSPで緊迫する戦闘機の出撃記録を爆音取材。
戦争映画を作らなかった木下恵介監督を語る小秋元プロ
戦中の日映ニュースとその時代背景を検証するニコン研究会 小秋元プロは、持参したいくつかの大東亜戦争中のニュース動画を 投影して解説を行ないました。 時代背景は、昭和十四年(1939年)に制定された映画法によって、 映画館で映画の上映前後には必ずニュース映画を上映することが義務付けらたという。 時代が時代だけに、戦意高揚のための国策ニュース映画となっていく。 日本映画社、通称”日映”は時代のニュース映像を作り続けた。 日本のニュース映画最高のシーンといわれる「雨の神宮外苑(学徒出陣)」。 最後に小秋元プロは、極めつけの戦争映画を見てみましょうと、 木下恵介監督の「陸軍」のラストシーン10分間を上映しました。 昭和十九年(1944年)の作品。 戦時の戦意高揚映画のはずが、このラストシーンはなんと反戦映画になっています。 陸軍省の依頼で大東亜戦争三周年を記念したこの「陸軍」。 これでよく公開が許されたものだと思います。 YouTubeでもこの有名なラストシーンは公開されていますので、 一見をお勧めします。
航空ジャーナリスト小秋元龍プロの記事が掲載された別冊航空情報
ノーズ・アート愛好家必見の記事 別冊航空情報「B-29」1995年 ● F6400ワークショップ
本当にニコンFの布幕シャッター機は音が静かなのか。 一眼レフのクイックリターン・ミラー機構があるかぎり、 フィルム露光をコントロールするシャッター幕の動きよりも、 視野を確保するミラー上下動作のダイナミックな動きが音の主要な要素となります。 心情的には布幕シャッターは優しい音であってほしい。 しかしながら、ポピュラーな一眼レフカメラはすべて布幕シャッターだった。 大衆機といわれるアサヒペンタックスSPは、 静かなシャッター音だったろうか。 クラシック・カメラ界は、いままでいかに通説が多かったことか。 実証する機材も機会もなかったわけだから仕方ないかもしれないが、 実証していないことを事実と言ってはいけない。 果たして、ニコンFの布幕シャッター機は音が静かなのか。
テーブルには検証のための歴史的機材が並ぶ
貴重なF6400ブラック
ごく初期型のF6400ニコン
実機検証のためのマスターピースは本物のニコンF布幕シャッター機 ● ニコンモーターショー
さてプログラムの最後は、
S型ニコン・モータードライブカメラのワークショップ。
ニコンS3M(白と黒)、S3オリーブ、ニコンS2E、ニコンSP
S型モータードライブ・ニコンの端正で力強い美しさ ● アサヒカメラで紹介されたニコン研究会
朝日新聞出版発行の写真雑誌「アサヒカメラ」。
ニコン研究会を取材するアサヒカメラの米倉記者
例会の様子を撮影する米倉記者
お約束の参加者全員での記念写真(撮影:アサヒカメラ米倉記者)
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Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2011, 2019
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