![]() 歴史的艦載用双眼望遠鏡と国土防衛対空高角双眼望遠鏡の総合的研究
Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting Old Vintage NIKKO Big Binoculars Show ● 風の秋は空晴れて 聖路加タワーを東京湾に向かう運河から、 ニコンの小型双眼鏡を持って歩くと十月の風。 風の秋で遠く景色も明瞭となり、 絶好の望遠鏡の季節となりました。 今月のテーマは、 「歴史的艦載用双眼望遠鏡と国土防衛対空高角双眼望遠鏡の総合的研究」。 ようは、日本光学の原点を光学兵器と定義し、 双眼鏡や光学装置を俯瞰してから、 戦艦に搭載された大型双眼望遠鏡から、 漁業を光学で支えた船舶搭載用大型双眼望遠鏡を検証し、 国土防衛に貢献した時代の対空高角双眼望遠鏡は本当にキレがよいのか、 測定器による計測ではなく、 ヒトの目による官能で確かめてみようというのが、 今回のテーマなのです。
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10月の東京は晴海の風 東京は晴海に会場を設定しました。 大型機器類を持ち込むために駐車場の確保と、 会議室を二部屋リザーブして、 壁をぶち抜きで広い会場としました。 車から台車で歴史的機材が運び込まれました。 さっそくコレクションテーブルに並べられた銘品を見てみましょう。 その前にお断りがあります。 きょう見ていただく歴史的ヴィンテージ機のなかには、 博物館級の希少機や、 国立科学博物館にもない世紀の銘品が出てきますので注意してください。 さらには、重要文化財クラスの、いや、おおげさではなくて、 ほんとうに重要文化財クラスの光学骨董品も登場します。 それがどれだとは言いません。 ただこの世界も、10年も勉強すれば分かってきます。 クリック1つで答がポンと出る世界は便利だけど、 なんの感動もなく、つまならいでしょう。 つまるようにするためにも、ポンと答が出ない世界の方がたのしいではありませんか。
![]() 日本光学製コリメータ
日本光學工業製レベルE型 昭和34年製 望遠鏡倍率は21倍
日本光斈製四糎側視望遠鏡
15X50双眼鏡 カタログにはないが観光地などで使われたものらしい
中央は日本光斈製6.5センチ変倍照準望遠鏡
広い会場を埋め尽くした歴史的銘品の数々
九二式望遠測角機眼鏡
砲撃指揮装置の方位盤に取り付けられていたと思われる20X120単眼鏡
左側二つは野砲の間接照準用のパノラマ眼鏡
日本光斈製測風経緯儀 放出した気球の軌跡から上空の風の流れを測定
左:5センチ屈折簡易赤道儀 右:日本光學製3インチ小型天体望遠鏡
5センチ屈折簡易赤道儀は昭和25年(1950年)の発売
木箱には「ぼうえんきょう」の墨書きのある日本光学製望遠鏡
日本光斈製 空十双 10x70 広視界双眼鏡 見掛け視界はなんと70度 ● 歴史的艦載用双眼望遠鏡と国土防衛対空高角双眼望遠鏡の総合的研究
さて、ここまでくると、いくところまでいくのがニコン研究会。 焼津港で救出された漁船用のニコン大型双眼望遠鏡は、 外観は潮でいたみが出ていますが、 対物レンズのキャップを外すとレンズはきわめてクリーンな状態を保っています。 キャップが付いていることじたい、 漁船の上ではたいせつに使われていたことが分かります。 これで遠く海面の様子や海鳥の表情を見て、 カツオやマグロの魚群を探知したのでしょうか。 やはり、大型双眼鏡は焼津港産にかぎります。 原点はやはり光学兵器。 大日本帝國海軍の大型双眼望遠鏡の実物が並びました。 俯視角がついていないストレートな接眼部を持つのは、 艦船に搭載された水平見張用(夜間用15倍12糎双眼望遠鏡)です。 俯視角が70度である対空高角双眼望遠鏡の重量感には圧倒されます。
![]() 焼津港で出土した漁船用ニコン大型双眼望遠鏡
ニコンオリジナルのレンズ保守用の刷毛と接眼部フィルターセット
実際の観測ではものすごいキレを見せることになる対空高角双眼望遠鏡
対空高角双眼望遠鏡の真鍮製銘板
口径12センチの夜間用15倍12糎双眼望遠鏡
歴史的艦載用大型双眼望遠鏡の巨大な瞳径を持つ接眼部
対空高角双眼望遠鏡のスチールベルトによる眼幅連動調整機構
角度目盛板を装着した本来の姿の船舶搭載用大型双眼望遠鏡 ● 希少小型双眼鏡の研究 さて次のセッションは、小型双眼鏡の研究です。 日本光學工業製のミクロンやルスカ、スピカなど、歴史的銘品が並びます。 フジイブラザーズの100年前に製造された極初期型ビクトル8倍とか、 海軍航空技術廠で設計された日本光斈製広視界双眼鏡など希少機に注目してください。
![]() 上質の革ケースはすべて70年以上経過していても美しい
小型光学骨董の銘品の数々 次にとても希少な小型双眼鏡が2機。 藤井龍藏、藤井光藏兄弟によって光学機器の国産化を目的に創立された藤井レンズ製造所。 創立はなんと百年前の明治42年(1909年)。 フジイブラザースの手による、 プリズム双眼鏡として国産第一号の高級双眼鏡がビクトル双眼鏡。 藤井龍藏著「光学回顧録」に、 写真画像入りで登場する国産第一号ビクトル双眼鏡が目の前にあります。 なんとも美しい景色をもつボデイ、接眼部の精緻さ。
![]() 国産第一号ビクトル双眼鏡(百年前の製品)
藤井レンズ製造所製 口径20ミリ8倍
ストラップ取付け金具の工作に注目
極めて珍しい日本光斈製広視界双眼鏡(空技廠刻印入り)
日本光斈のNIKKOロゴ 台数は不明だが量産されたようだ
空技廠の刻印は設計が海軍航空技術廠であることの証 ● 登壇発表 歴史的銘機の数々を解説つきで見たあとは、 次のプログラム、プレゼンセッションへ進みました。 ニコン研究会望遠鏡専門部会の寺田茂樹研究部長の講演が始まりました。 寺田さんは、堂平天文台で日本光学製91センチ天体望遠鏡の整備、 整備といっても あの巨大な91センチ主鏡を洗浄して組み立て直す特殊技術を持つ専門家です。 マニヤ限定の、日本光斈製対空高角双眼望遠鏡フルレストアから得られた、 戦前における最高峰の光学機械工学的考察が語られました。
![]() ここまでやるかの超マニヤックなレストア解説に聞き入る会員
昭和初期は日本光斈の最高峰の光学技術に感動 ここに、寺田茂樹研究部長のプレゼンテーションの概要を掲載したいと思います。
昭和時代前半までの大型双眼望遠鏡に関する光学的・機械的・歴史的研究 戦前の高角双眼望遠鏡と昭和30年代の双眼望遠鏡をレストアする機会を得た。 その中で得られた知見を報告する。
第一サンプルは、俯視角70度の15×4度 10糎高角双眼望遠鏡。 製造番号274号。 製作年代は内部のRhomboidプリズムの鍍銀保護塗装上に昭和12年11月の記入があった。 神奈川県川崎市にあったものである。 対物鏡は有効径105mm、 焦点距離525mmで30μm厚の錫箔分離型2枚玉fraunhofer型アクロマートである。 Spherometerにより求めた各レンズ面の曲率と nodal slide法による焦点距離測定結果を光学シミュレータに代入したところ、 硝材はBK8とF1該当品と推定された。 グリースと防水膏を使用し、 対物鏡セルやプリズムケースのねじによる接合部分に ラビリンス構造を適用した防水機能は現在でもほぼ完璧に機能しており、 ケース内部の硝材表面にはヤケなど皆無であった。 接眼鏡は日本国特許 第87139号(昭和5年6月16日発効 発明者 砂山角野) にある広視界接眼鏡について視野レンズの外面と、 第二レンズ群後面を平面として量産性を改善したもので、 焦点距離35mm。全FOVは約70度、 有効FOVは60度である。硝材は視野レンズがBK7であることを除き不明。 正立用/目幅調整用プリズムは70度Amici roofプリズムとRhomboidプリズムである。 全ての光学面に増透処理は見られない。 鏡体本体がエレクトロンであるとの記述が各種文献にあるが、 サンプルは通常のアルミ合金と思われる。 目幅調整機構は、 スチールベルトが両プリズムケース間に8の字に掛けてある特色あるものである。 ただし、本サンプルの場合は実戦中の衝撃のためか、 そのベルトが切れていたので再製作した。
塗装はかなり黄色味が強い灰色で、光学系セル部は通常の平滑塗装だが、
鏡筒本体はコルク粉が散布された同色の砂目調塗装である。
第二サンプルは直視型20×3度 12糎双眼望遠鏡。 製造番号7230号。 製作年代は明記されたものがなく、 製造番号より昭和37年(1962年)製のI型と思われる。 静岡県焼津市にあったもので、 多分遠洋マグロ・カツオ漁船にて活躍していたものと思われる。 対物鏡は有効径120mm、 焦点距離600mmでレンズ間隔2.5mmになる黄銅製スペーサリング分離による 2枚玉fraunhofer型アクロマートである。 硝材は第一サンプルと同様、BK8とF1該当品と推定された。 防水機能も同様な構造で現在でもほぼ完璧に機能している。 ケース内部の乾燥剤を再生したところ、 右鏡筒内部の乾燥度検査紙は1ヶ月以上乾燥状態を示し、 鏡筒内部の硝材表面のヤケは皆無であった。 接眼レンズも第一サンプルと同様なもので、 焦点距離30mm。全FOVは約70度、有効FOVは60度の広視界接眼鏡である。 正立用/目幅調整用プリズムは光路シフト量52mmのPorroII型プリズムである。 戦後の製品であるので、 全ての光学透過面には単層MgF2によると見られる増透処理が施されている。 戦前ものと比較すると、 鏡筒の砲金または黄銅製部品はほとんどアルミ合金に置き換えられ、 軽量化が図られている。
塗装は、光学系セル部は赤味が強い灰色の平滑塗装、
鏡筒本体は濃い緑灰色の縮み(縮緬)塗装である。 結論として、最近のED/SDガラスを使用し、 多層膜増透処理やプリズムのダハ面に位相補償膜を施した広視界双眼鏡と比較をすれば、 透過率や残存色収差に歴史を感じざるを得ない。 しかし当時の量産光学兵器や専門家用の漁業光学機器としての 完成度には目を見張るものがあり、 現在も充分実用に供することができるレベルである。 また特にO-リングが普及する前のものとして、 洋上で使用するための防湿防水設計や、 軍事用機器としての堅牢さは、 高角双眼望遠鏡では設計初期から約20年として、 すでに完成の域に到達していることに驚きを嘆じ得ない。 改めて当時の山田幸五郎海軍技術少将や、 砂山角野日本光学工業設計部長他関係各位の努力に敬意を表したい。
堂平天文台
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● ニコンF用超望遠レンズの研究 さて、次のセッションは、 ニコンF研究家の鈴木昭彦氏による「ニコンF用超望遠レンズの研究」。 めったに揃うことはない名レンズが集結しました。 フォーカシングユニットを使う超望遠レンズのすべてには、 フォーカシングユニットが着けられている贅沢さ。 キャップも本革製で、いかに高級機材だったかを知ることができます。 なおレンズは、すべて現存数の非常に少ない初期型を揃えるのにこだわってみました。
![]() フォーカシングユニットを併用する超望遠レンズが総て揃いました
手前から1200mm F11、800mm F8、600mm F5.6、400mm F4.5
専用格納木箱入りは初期型のズームニッコール200-600mm F9.5-10.5
総て同じ内径135ミリの革製フロントキャップが付属しています
後年に発売された超望遠レンズ用のアクセサリー
重量10キロ!横綱級の風格!レフレックスニッコール1000mm F6.3
珍しいフォーカシングユニット用の未使用の距離目盛プレート ● 歴史的大型双眼望遠鏡による観望会 異様な盛上がりで、 真っ赤に加熱するロケットエンジン全開のニコン研究会10月例会。 最後のセッションは、 屋外に出て実際に大型双眼望遠鏡の実力を検証する観望会です。 東京湾に近い晴海の会場からは、羽田空港、 そしてお台場のフジテレビ社屋が見えます。 レストランのテラスに、大型双眼望遠鏡の数々、 そしてクラシック望遠鏡が運び込まれました。 大型双眼望遠鏡は、寺田さんが作られた大型三脚にセッテイングされました。 この三脚は、建設現場の足場を組むときの資材で作られていますが、 フォークにはベアリングが入っていて、 見た目とは違ってじつにスムーズに機能するものです。
![]() テラスに運び込み設置された大型双眼望遠鏡
羽田空港を離陸する旅客機を追うニコ研メンバー
テーブルが倒れる心配をした超重量級の2機
出場の順番を待つ漁業用双眼望遠鏡とカニ目
地上プリズム付きで非常に高性能な大正末期の天体望遠鏡
空十双はさすがの広視界で口径7センチのクリアな見え味
国土防衛対空高角双眼望遠鏡をスタンバイ
「うひょー!すごい!」         「つぎボクね」
「なるほど!これはすごい!」
20X120単眼鏡(砲撃指揮装置の方位盤に取り付けられていたと思われる)
真剣なのにあやしい会員
遊びに来ていた家族連れの子供も飛入り参加
レストランからアイスコーヒーを注文
冷たい飲み物を飲みながらテラスで望遠鏡談義
大型双眼望遠鏡が揃うめったにない機会を楽しむ会員
対空高角双眼望遠鏡の水晶のように気品のあるレンズ
12センチ大型双眼望遠鏡の美しく格調高いレンズ
船舶搭載用大型双眼望遠鏡の毅然とした高性能レンズ ● 盛りだくさんのプログラムを終えて 今回の企画は非常に盛りだくさんで、 3日間くらいかけてじっくりと研究したいものでした。 しかしながら午後半日との時間枠もあり、すべてを詰め込んでみました。 大東亜戦争時代の古式大型双眼望遠鏡。 実際に目で見てみるまでは、 軍用に頑丈に作られているのだろう位の認識しかありませんでした。 でも実際に、その瞳径の大きい重量感のある接眼部を覗いてみると、 驚愕の鮮鋭度、色収差のない美しすぎる天然色、 申し分のない分解能、そして麗しい均一な視野の豪華さといったら。 とくに対空高角双眼望遠鏡のさらに抜きん出た基本性能の底力には、 驚きを隠すことはできませんでした。 製造から70年以上経過してもクリアで高性能なレンズ光学系。 私たちは秋空の下、 日本光學工業(ニコン)の原点、 そして誰からも評価されなくても褒められなくても、 隠れた部品の裏にもきっちりと仕事をする熱情と、 光学設計者のプライド、そして製造技術者の卓越した技を再確認したのでした。 70年以上経過しても、貴方たちの技術と仕事を、私たちは素直に認めます。
![]() すべてのプログラムを終えて参加者全員で記念写真
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Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2010, 2019
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