September 2010, Nikon Kenkyukai Tokyo, Meeting Report

夏の終わり九月の銀座

September 18, 2010
Tokyo Meeting
Historical Nikon Users
Nikon Starred in Movie

銀座一丁目も夏の終わり

ダンカンをスナップしたライカは何型か?

ニッコールレンズが、 世界中のプレス・フォトグラファーに注目されるきっかけとなったのは、 もう言うまでもなく、 当時ライフのカメラマンだった三木淳氏がスナップした ダンカンのポートレイトから始まります。
出来上がったスナップ写真の鮮鋭さに驚愕したダンカンが、 すぐさま三木淳氏と日本光学大井製作所へ乱入した話は物語になっています。

三木淳氏ご本人の著作や、対談の中で、 ニッコール8.5cm F2レンズをライカに着けて撮影したことが語られています。 しかしながら、三木淳氏はライカIIIfで撮影したと言う。
朝鮮戦争が勃発する直前、昭和25年(1950年)は6月18日頃の話です。
この有名な出来事の1週間後に、朝鮮戦争が勃発します。 昭和25年(1950年)6月25日のことです。 三木淳氏の説明では、ダンカンはライカIIIfを持って朝鮮に出発したと言う。

歴史的にも、本人が言うことが一番あてにならないのは定説。
であるならば、三木淳氏がニッコール8.5cm F2でダンカンを撮影したのは、 ライカ何型か?
このあたりを調べた会員の話では、 当時のカメラ雑誌の関連記事、当時のライカの流通状況からみて、 ライカIIIfであることには無理があると言う。
そして、ライカのシャッターダイアルとシンクロセレクター盤に詳しい会員の、 写真画像解析からニコン研究会は、 三木淳氏がダンカンを撮影したのはライカIIIc型であると断言しました。

問題の文書「ダンカンをスナップしたライカは何型か?」

ダンカンの手には明らかにライカIIIc

ニコンを使ったスター写真家たち

ニコンカメラの黎明期。 ニコンを積極的に使った有名写真家たちが浮かび上がってきました。 ニコン研究会では、 ニッコールレンズ付きのニコンカメラで時代を創った花形写真家を、 当時の文献や写真記録から探ってみました。 やはり報道の現場にはニコン。 プレス・フォトグラファーの手には、ニコンがあることが確認できました。

大御所中の大御所は木村伊兵衛

ニコンの古文書を読み解くニコ研会員

ニコンの取説に掲載されたサロンふう写真はニッコールクラブ誌から

朝鮮戦争を取材したあのマーガレット・バークホワイト女史もニコン

アイゼンハワー大統領と差しで語るライフのハンク・ウオーカー

ニコンを愛したクールなロバート・キャパ

ベリー・ヴィンテージカメラを鑑賞する

さて今月も、テーブルの上には、 めったに目にすることができない銘品が並びました。
古いニコンカメラの革ケースも、なにかあやしい雰囲気です。
国内で出土したキヤノンII-Sの新品デッドストックには、 オリジナルの化粧箱に加えて、 非常に珍しいきわめて状態のよい化粧箱保護用ダンボールが揃ったものです。

古いニコンM型カメラの革ケースですが何か

おお、そういうことですか、タイムライフのカメラマンの名が刻まれた革ケース

美しいニコンM型のコレクション

化粧箱に化粧箱保護用ダンボールまで揃ったキヤノンII-Sの新品デッドストック

新品の輝くキヤノンカメラとプライスタグ

美しいニッカカメラにはニッコールレンズが似合う

珍しいマイクロニッコール150mm F5.6と凛々しいマイクロニッコール5cm F3.5

各界の有名人が網羅されたニッコールクラブ会員名簿(昭和28年)

龍さんのプレスコーナー

人類が初めて月に向かう巨大サターンロケットの打上げを、 ケープカナベラル空軍基地からテレビ実況し、 トンキン湾で戦闘行動中の航空母艦「オリスカニー」のカタパルトから、 防音ヘッドギアにニコンSPで緊迫する戦闘機の出撃記録を爆音取材。
豊かな繁栄と希望の象徴、 空飛ぶ豪華ホテル時代のパンナムを愛し、 航空機から映画スターの撮影まで、 きわめてダイナミックレンジの広い報道シーンに現在も身を置き、 戦後の日本写真機工業史を俯瞰できるポジションをキープしている 現役のフォトジャーナリスト小秋元龍プロ。

今回の龍さんのプレスコーナー。
「いつも戦争の写真になっちゃうからね」
「きょうはひとつ、映画に出てくるカメラとかニコンの話でも」 と言いながら、ブリーフケースから写真資料が出て来る出て来る。
映画評論家が話すカメラの話題は大人が聞くにはもの足りない。 でもここは、報道写真家が話す映画に出てくるカメラの話題だから、 それはもう、マニヤパワー炸裂の爆弾談義となりました。

小秋元龍プロの話題に注目のニコ研会員

「笑って」と言われなくても笑ってしまう映画のシーン

映画やテレビドラマを見ていると、 カメラをまるで知らない人が演出したシーンに遭遇するけれど、 このシーンは極めつけ。 フラッシュバルブをどういうわけかカメラの下に装着している女性カメラマン。
ローライ35ふうですが、 ローライ35でもストロボ着けたらストロボを上にして、 下からシャッターをレリーズするのはお約束。 カメラを三脚に乗せているならともかくも、 手持ちカメラにレリーズとはその筋のマニヤか?突っ込みどころ満載!!

ジョーン・レスリー扮する女性フォトグラファーが構えているカメラは、 コンタックスIII型で、 電気露出計が組み込まれた最高級機です。 太平洋戦争中の娯楽映画「青空に踊る」 (The Sky's the Limit、戦後日本でも公開)の画面です。

ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、グレース・ケリー主演の ミュージカル映画「上流社会」(High Society、1955年作品)では、 セレステ・ホーム扮する雑誌社の女性フォトグラファーが、 当時発売されたばかりのニコンS2を持って登場。 故意に落とされたニコンの裏ぶたが外れ、 フィルムが飛び出すというシーンがありました。

テーブルから落としただけでフィルムが飛び出したニコンカメラ
しかもフィルムがビローンと引き出されているとは「それはないでしょ」

第二次大戦中のスパイを扱った映画「五本の指」から
機密文書をライカで撮影するシーン

ライカIIIfにニッコール3.5cm F1.8が装着されてアップで登場
ルネ・クレマン監督のフランス映画から

シリアル番号まで読み取れるサービスショット ニッコール3.5cm F1.8 No. 181720

「父親たちの星条旗」から、硫黄島に掲揚される星条旗の撮影シーン

クリント・イーストウッドの有名なニコンFパンダ
米国映画「マジソン郡の橋」1995年より

時代のスクープ写真

小秋元龍プロのブリーフケースから、とっておきのスクープ写真が飛び出しました。
まずは本の紹介から。
「パン・アメリカン航空物語」
−栄光の航空王国を支えた日本人たちの記録−
帆足幸治著 2010年10月1日発行 イカロス出版 1980円

この10月にイカロス出版から刊行されたばかりの「パン・アメリカン航空物語」。
サブタイトルに「栄光の航空王国を支えた日本人たちの記録」とあるように、 消滅してから19年になる パン・アメリカン航空に勤務した日本人たちに焦点を当てた著作です。
航空ジャーナリストでもある小秋元プロは、この本の監修を行なっています。
本の中では、小秋元プロが撮影した、 当時のパンナム機やスチュワーデスの写真も数枚使用されています。

愛するパンナムの話題となると話が止まらない小秋元プロ

パンナムの超豪華旅客機ボーイング377ストラトクルーザー
ベッドまで装備された空飛ぶ豪華ホテル

さて、世界的にも貴重なスクープ写真が、どかんと出ました。
昭和29年(1954年)2月1日、 新婚旅行と朝鮮戦争で出征していた米軍の慰問をかねて来日した マリリン・モンロー、ジョー・ディマジオ夫妻のパンナム機に、 到着手続きのため乗り込んだパンナムの日本人社員青木甲子男氏が、 携行していたカメラで撮影した 「日本人が初めて撮影したモンローのクローズアップ写真」なのです。

この顛末は同書の157ページに、 「マリリン・モンローの機内写真」として詳しく掲載されています。 小秋元プロが今回ニコン研究会のために持ち込んだ写真は、 そのオリジナル写真から引き伸ばしたものです。
青木甲子男氏は、その当時、すぐさま写真をプリントし、 モンローが日本を出発する時に、 写真に直筆のサインをもらったとのこと。
ことし(2010年)の6月には、 モンローのレントゲン写真がラスベガスで 4万5千ドル(約400万円)で落札された話題がありましたが、 この直筆サイン入り写真はすごいプラチナ・プリントなのであります。
右手の親指は、突き指でもしたのでしょうか、 バンソウコウで固定されているこの姿は、 世界的大女優の珍しい姿といえるでしょう。

昭和29年(1954年) 2月1日羽田空港ストラトクルーザーの機内にて
パン・アメリカン航空の日本人社員青木甲子男氏撮影

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