Fantastic Trip to SENDAI NIKON
Nikon Historical Society Nikon Kenkyukai Tokyo Meets the SENDAI NIKON ● 新幹線で仙台に行く 2007年2月22日。木曜日。大安。 ニコン・ヒストリカル・ソサエティ(NHS)のメンバーと、 アテンド役のニコン研究会の代表メンバーは、 ニコン一眼レフカメラの製造拠点である「仙台ニコン」を表敬訪問しました。 一行 9名は東京駅から新幹線に乗り、大人の修学旅行の気分です。
東京駅から楽しい旅がスタート
新幹線の中で NHSミニミーティング
名取駅で普通電車に乗り換えです
仙台ニコンの来賓者記念撮影コーナーにて 仙台ニコンに到着すると、なんと大見川幹生仙台ニコン社長直々のお出迎えを受け、 まずは来賓者記念撮影コーナーで写真撮影となりました。 ● 工場見学 工場見学は、三浦康晶マネージャー(写真中央)のご案内で、 まずはバヨネット加工場から見学させていただきました。 三浦マネージャーが、ニコン F5の設計者と知り、 NHSのメンバーは大いに盛り上がりました。
工場見学
かぶりつきの NHSメンバー なにか仕事のじゃまをしているようにしか見えませんが、 興味のあるところに張り付く姿は大人も子供もありません。 ニコン機を片手に密着取材しているのは、ベルギーのクリス・サップさん。
見学者は白衣を着てテンション最高潮 クリーンルーム用の白衣に白い帽子。 電装部品を製造している部署を見学しました。 カメラや何かの装置の電子回路基板を製造していました。
白衣姿で嬉しそうなハンスさんとハンスさん プレジデント・ミーティング 恐縮ながら来賓室へ通していただけました。 大見川 幹生株式会社仙台ニコン取締役社長と三浦康晶マネージャーから、 仙台ニコンの概要、生産されている主なニコン製品の現状、 そしてニコンの将来に向けた前向きな質疑応答がなされました。
説明を拝聴するNHSとニコン研究会のメンバー
配布資料を見ながら
数々の表彰
グッドデザイン賞
フル装備のニコン F3
仙台ニコン一眼レフカメラ出荷台数 11,111,111台達成記念 さらには、ここだけの話ですが、貴重なカメラを見せていただきました。 三浦マネージャーの手には、ニコン F5のなんと最終生産機。 その製造シリアル番号は、No. 3235612 でした。
Four-Eleven Nikon F5!!!
ニコン F6 製造シリアル番号 No. 0000002
NHSの機関紙ニコンジャーナルを社長にお見せするハンスさん ニコンジャーナル誌を広げるハンスさんを中央に、 左が大見川 幹生仙台ニコン社長。右が三浦 康晶マネージャー。
最後にクリスさんからお礼にベルギービールを贈呈 ● 新幹線新型車両と遭遇 帰路につきました。 仙台駅で新幹線の新型試作車両「FASTECH 360」が停車しているのに遭遇。 車内には各種測定用機器が並び、ケーブルに接続された多数のモニター画面が見えました。 臨時の鉄道車両撮影会となりました。 この後、仙台ニコンツアーのメンバーを乗せた新幹線特急はやて号は、東京に向かいました。
新幹線新型車両 FASTECH 360
Great Visit それは、一生に一度の体験でした。 素晴らしい旅となりました。 関係各位のみなさま、まことにありがとうございました。 参加者一同。
謝辞 以下のみなさまには、格別のご高配を賜りました。 ここにあつく御礼申し上げます。
株式会社仙台ニコン 取締役社長 大見川 幹生 様 Nikon Historical Society (NHS) からの参加者
ビル・クラウス(米国) ニコン研究会からの参加者
タッド 佐藤 この記事の執筆者
写真:鈴木 周策(ニコン研究会) ● 2022年のあとがき この記事のオリジナルは、2007年3月に公開しました。 参加者をはじめ、海外のファン向けに早く見せたく最初から英語版で公開しました。 後から日本語版を作るつもりでいましたが、着手できず長くそのままとなっていました。 2022年12月。日本語版を製作しました。実に15年ぶりの日本語版公開となります。 2007年3月。ビル・クラウスさんに「仙台ニコン訪問記」を書いていただき、 英語版の記事はそのまま文章を掲載しました。より詳しい内容をご覧になりたい方は、 英語版のオリジナル記事を参照してください。日本語版は、英語版の雰囲気をもとに、 編集者の文章で簡潔にまとめたものです。 写真画像はすべて鈴木周策さんの撮影によるものです。 名前が出ることとか、あまり表に出ることを望まない方でした。 でしたと過去形になっています。氏は2012年11月にご逝去されました。 それから10年。2022年の記事作り直しにあたり、 2007年2月当時に写真画像とともに氏からいただいた道中記の文章を再確認しました。 文章の最後は 「予定通り無事東京に着いて最後は八重洲の天ぷら屋で乾杯!」。 ここにお名前を残します。鈴木周策。 ちょっと強面、でもシャイなナイスガイ。 帝國光学研究家。目黒二郎のペンネームでズノーレンズに関する著作多数。R. I. P. 。
Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2007, 2022 |