歴史的オリジナルネガから引伸ばした零戦のヴィンテージプリント
Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting NIKKOREX Collection Old Nikkor Lenses Mitsubishi Zero Legendary Flying Ace Saburo Sakai ● ニコレックスコレクション・パート 2 2010年 4月のニコン研究会の例会。 メインテーマは、ニコレックスコレクションのパート 2。 それに、若いシリアル番号のレンズなどを集めてみました。 最初に、楽しいニコレックスを見てみましょう。 先月の 3月のニコン研究会では、ニコレックスが会員に好評でした。 なかなか見る機会のないニコレックスのコレクションを 俯瞰してみようと、今月はパート 2と称して第 2ラウンドに進んだのでした。
貴重なニコレックスのカタログ
日本光学が生んだポロミラーシステム一眼レフ
世界のカメラニコンFの姉妹機
トイカメラのようなニコレックスのフォルム
貴重なニコレックスズーム 35 のカタログ
どっしりしたフォルムのニコレックスズーム 35
貴重なニコンオート 35 のカタログ
ゆったりとしたフォルムのニコンオート 35 ニコレックスは、見た目はトイカメラのような雰囲気がありますが、 実際に手に取るとズシリと重い質感に驚かされます。 このダイナミックで豪快、 そしてどこかニコレックスに侘びとかなしみの風情をかんじるのであれば、 ニコンマニヤの資格じゅうぶんです。 ニコレックスあってのニコンなのです。 ニコンはニコレックスで持っているようなものなのです。
元気なニコレックスと精緻なオリンパス
ニッコール 35mm F1.4付きニコン研究会女子部仕様 ● 若いシリアル番号のニッコールレンズ 数字をテーマにしたシリーズ。 今回は若いシリアル番号のニッコールレンズということで、 テーブルの上にニコンSマウントレンズを中心に何本か並びました。 見る人が見れば分かりますが、上位 3桁の捨て番をみると、 なるほどというレンズなのです。 製造番号1番というと分かりやすいレンズもありますが、 なかなか集めようとすると難しいものです。 気が付いたら来ていた、というのが平和のようです。
金属製の鏡胴が美しいオールドニッコール
この冷たいメタル感
ニッコール 5cm F2
ニッコール 13.5cm F4
シリアル番号 1番の COMニッコール 37mm F1.4
COMニッコールにニコレックスのコンバージョンレンズ ● 龍さんのプレス・コーナー 世界の戦闘地域から航空宇宙開発分野、さらに芸能界まで、 きわめてダイナミックレンジの広い報道シーンに現在も身を置き、 戦後の日本写真機工業史を俯瞰できるポジションをキープしている 現役のフォトジャーナリスト小秋元龍プロ。 龍さんのプレス・コーナーは、いきなりとんでもない写真が並べられて始まりました。 まず最初に見ていただきたいのが、雑誌「世界の艦船」の2010年 3月号と2010年 4月号です。 3月号は、フォトアーカイブス「昭和36年大改編直後の自衛艦隊」との特集で、 小秋元プロが昭和36年に撮影した歴史的写真が多数掲載されています。 記事によると、小秋元プロは厚木から海上自衛隊の P2V-7対潜哨戒機に搭乗して演習海域に向かったという。 P2V-7の垂直尾翼のマーキングから、2機とも鹿屋の第1航空群の所属とのこと。 撮影機材については、ニコン研究会2009年 11月のレポートをご覧ください。 4月号は、フォトアーカイブス「昭和36年の潜水艦くろしお」との特集で、 小秋元プロが昭和36年に撮影した貴重な写真が多数掲載されています。 記事によると、小秋元プロが昭和36年10月22日、大阪から海上自衛隊の潜水艦「くろしお」に搭乗し、 呉までの航海を取材した時に撮影したものという。 海上自衛隊潜水艦第1号の「くろしお」は、 旧米ガトー Gato級艦隊潜水艦ミンゴ Mingo SS-261(昭和18年竣工)の後身で、 昭和30年 8月15日にアメリカから貸与されたものとのこと。 ぜひ「世界の艦船」を書店で購入し、確かめてください。
世界の艦船 2010年 3月号
世界の艦船 2010年 4月号 次の写真解説では、小秋元プロの語りはターボチャージャーがブチ切れて、 いきなり時速 564.9kmとなりました。 大日本帝國海軍坂井三郎中尉と零(レイ)式艦上戦闘機の、 壮絶な歴史的物語の検証が始まりました。 小秋元プロが手にする写真は、坂井三郎中尉が零戦に搭乗しライカで当時撮影した 「本物のオリジナルネガ」から引き伸ばしたプリントなのです。
歴史的写真が登場
貴重な写真の登場に思わず立ち上がってしまったニコン研究会メンバー
小秋元プロの熱い解説を聞く 坂井三郎海軍中尉がライカで撮影した飛行中の零戦の美しい姿 小秋元龍プロが、なぜ、 坂井三郎海軍中尉が零戦に搭乗してライカで撮影した写真のネガ、 それも本物のオリジナルネガを持っているのでしょうか。 小秋元プロが語る零戦物語です。 零戦の歴史的写真のこと 私がニコン研究会の会員諸兄に見ていただいた 「零戦」の写真の由来についてお話したいと思います。 そもそもこの貴重な写真が私の手許に来たのは、 F氏という傑出した出版人のご好意によるものです。 氏は終戦直後から出版界に入り、 出版社の編集長として活躍されました。 そして旧日本陸海軍の研究書を多数世に出し、 そのころブームだった戦記ものブームとは 一線を画する良心的な姿勢が高く評価されました。 その時期に、日中戦争から太平洋戦争まで、 日本海軍の名パイロットとして奮戦した坂井三郎氏(終戦時は中尉)に着目し、 「坂井三郎空戦記録」を執筆させました。 この書は「大空のサムライ」として外国語に訳され、 海外でも知られました。 坂井パイロットは、ライカを首から下げて零戦に搭乗し、 空戦の記録をフィルムに収めました。 この貴重な記録のネガは、坂井氏の著書の冒頭のはしがきに示すように(下に一部抜粋して転載) 全部行方不明になり、わずか数カットしか残りませんでした。 その「零戦に乗って戦った」ネガをその本に使用するため、F氏のもとに集められました。 その後坂井氏はお亡くなりになったため、F氏が長年保管していたというわけです。 今年(平成22年)春のことです。 F氏を交えての会合の時に、 F氏から「これをぜひプリントしてください」とフィルムのネガを手渡されました。 ネガを見て驚きました。 時代の中をくぐり抜けてきたその痛みの激しいネガは、 坂井パイロットがライカで撮影した零戦の姿そのものだったのです。 もちろん直ちにプリントして差し上げ喜ばれました。 以上のような経緯で、 ニコン研究会の皆さんに この貴重な写真を見ていただけることができたのは大いなる喜びです。 小秋元 龍
「坂井三郎空戦記録」とオリジナルネガ
坂井氏のオリジナルネガはライカ判を一枚一枚切り離されていたので、
引き伸ばしのことを考え、つないであります。
ブローニー判のネガが1枚ありますが、これも坂井氏がツァイスのセミ・イコンタで撮影したものです。
(画像提供とコメントは小秋元龍プロ) ● 美しき零戦 堀越二郎技師、曽根嘉年技師ら三菱重工業の技術者が、 限界の軽量化に挑み戦闘性能を高めた零(レイ)式艦上戦闘機。 その巡航する姿は美しい。 電気モータードライブなどない時代のシンプルなライカを首から下げた 坂井三郎海軍中尉は、じつは相当なカメラマニヤだったのではないだろうか。 あのノブを廻すフィルム巻き上げは、どうやったのだろう。 グローブを外さないと無理だろう。 セミ・イコンタで撮影したネガも残っています。 坂井中尉の写真の腕は、小秋元龍プロも指摘の通り言うまでもなく大変優れています。 一度このあたりご本人と、カメラ談義そしてライカ談義をしたかったところです。
雲海の上空コックピットから僚機を撮影
湧き上る雲を行く零戦の姿
安定した構図のダイナミックで優美な零戦の飛行中の姿 ● 大和 ラストを飾る 1枚の歴史的写真。 小秋元プロがオリジナルの写真原板よりプリントした貴重なバトルシップ・ヤマトが全速力で爆走する姿。 この写真原板は、国立公文書館「アジア歴史資料センター」に収蔵されている写真と同じものとのこと。 昭和十六年(1941年)に撮影された豊後水道の宿毛湾沖にて公試航行中の戦艦大和の姿。 大日本帝國海軍の一番艦。 公試航行中の戦艦大和の姿は、昭和十六年(1941年)10月20日に撮影されたバージョンと 10月30日に撮影されたバージョンが存在していますが、 この写真は10月30日に撮影されたもの。 すごい歴史的写真が続々と出てくるので驚きました。
豊後水道の宿毛湾沖にて公試航行中の戦艦大和
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