June 2009, Nikon Kenkyukai

ニコンF生誕 50周年記念

June 20, 2009
Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting
Happy Birthday Nikon F
The 50th Anniversary
Grand Nikon F System

銀座は夏六月のニコン研究会

汐留駅から銀座八丁目に入り、中央通りを銀座一丁目まで歩いてみました。 六月のニコン研究会の会場までの道行です。

銀座六丁目

松坂屋

銀座四丁目

銀座四丁目のカメラマン

銀座四丁目の日産ビルの前に大判写真機を発見。 ハスキー三脚の上にデアドルフがセットされていました。 レンズはコマーシャルエクターでしょうか、 前玉は服部時計店の方を眺めているようでした。

ミスターデアドルフ 8 x 10

服部時計店

銀座和光

銀座松屋

松島眼鏡店

老舗の松島眼鏡店の前を通ります。 名鉄メルサ、その先にはハリー・ウィンストン宝石店。 銀座の柳が夏六月。ペーブメントの白い石畳がまぶしい。

名鉄メルサ

ハリー・ウィンストン

六月のニコン研究会の会場は銀座一丁目のすぐ近くです。

ニコンF生誕50周年記念

ことし2009年は、1959年にニコンFが誕生して 50年となります。 では1959年の何月が誕生日なのでしょうか。 ここで情報を整理して定義してみました。 ニコンF研究家である鈴木昭彦氏の調査によると、 新聞発表が1959年の3月。 3月下旬にはフィラデルフィアのショーに出品されている。 さらに4月に入ると、東京・名古屋・福岡・札幌で発表会が開催されています。 5月にはアメリカ向けに輸出を開始。 そして6月に、日本橋三越で伝説の展示即売会が開催され、 同時に国内での出荷が開始されています。 やはり、6月をニコンFの誕生日とするのがなじむと考えられます。

テーブルセッテイング

2009年6月、ニコン研究会は「ニコンF生誕50周年」を記念し、 最初期型ニコンFの固体を揃えて特別研究会を開催しました。 会場のセットアップがすごい。 コレクションテーブルの上には、濃いみどり色のカーペットが敷かれました。 初期型のウエストレベルファインダーにはごく小さい濃いみどり色のシリコンクロスが入っています。 そのシリコンクロスと同じ色で、サイズはごらんの通り。 このグリーンカーペットは、国内の発表会で使われたかどうかは未確認ですが、 なんと1959年に開催されたニコンF発表会で使われたものなのです。 ホンモノのオリジナルです。

伝説のニコンFグリーンカーペット 1959年

1959年のニコンF発表会で使われた本物のグリーンカーペット

まずは、紙モノからスタートです。 紙といっても、登場したのはプラチナペーパー。 テーブルの上には大型サイズのパンフレットが 2冊並んでいます。

非常に希少な発表当時のニコンF紹介資料

「一眼レフの決定版!遂に完成」の白いゴチック体のコピーが、 当時としては斬新な黒い表紙に鮮明に印刷されています。 表紙を見ると 2冊とも同じようにみえます。 しかし中を見ると、右のパンフレットは製品に定価が入っていません。 左のパンフレットには製品に定価が印刷されています。 右のパンフレットが1959年のニコンF発表会で配布された資料です。 左のパンフレットは、ニコンFの始めてのカタログと定義できると考えられます。

最初のニコンF取説(赤いFのロゴが細い)

白い表紙のニコンF取扱い説明書ですが、 最初期のものは、赤いFのロゴが細い線で描かれています。 その後は、デザインの微妙な変更が行なわれ、 赤いFのロゴが力強い太い線で描かれるようになります。

研究成果プレゼンセクション

第 1セッションは、会員による研究成果の発表プレゼンです。 鈴木昭彦氏の解説による、ニコンF最初期型の構造的解析が始まりました。

鈴木昭彦氏の解説による最初期型の構造的解析

最初期の取説の改版遷移(赤いFのロゴに注目)

続いて、小秋元龍プロによるプレスの歴史的解説です。 プレスの世界で、いかにニコンFが活躍していたか。 カンヌ映画祭ではブラックタイをした正装のプレスカメラマンが有名ですが、 1960年代のプレスの様子、そして2009年の様子が解説されました。

1960年代のカンヌ映画祭でプレスが使うニコンを解説する小秋元龍プロ

ニコンF最初期型マスターピース

第 2セッションでは、実物コレクションによりニコンF最初期型を検証しました。 今回は、マスターピースとなる固体と見比べることが出来、さらに確実な検証が出来ました。 検証の対象とした固体は以下の通りです。

1   マスターピース 最初期カットオフモデル
2   ボディナンバー 4
3   ボディナンバー 43
4   ボディナンバー 106
5   ボディナンバー 565
6   ボディナンバー 1347

ここで、マスターピースについて説明をしておきます。 最初期のニコンFは一般には市販されておらず、 例外なくほとんどの機体がニコン社内、 報道機関、職業写真家に渡されています。 よって、絶えずニコンサービスにおいてメンテナンスされているので、 オリジナリティが保たれていないのが現状なのです。 それゆえ、今回マスターピースとなる固体を得たことは、 最初期のニコンFがどのようなものであったか、 正確な判断が出来る原器となるのです。

貴重なマスターピース(ニコンF最初期型カットオフモデル)

このマスターピースは、 ニコンF発売時1959年のカタログに用いられたカットオフモデルで、 各部品の形状を見ても明らかに最初期であることが確認されます。 精細に見ていくと、ボディナンバー 10番以内の特徴が見受けられます。

よってこの固体は、ニコンFの最初期ボディナンバー 10番以内をカットして 作られたと判断できます。 また、実写の出来ないカットモデルになったことで、 実際に使用されることなく現在に至っています。 いわば、琥珀に封入された古代の小昆虫、 タイムカプセルに入っていた試料と同じで、 この固体が今現在考えられる最もオリジナリティを残しているニコンFと思われます。

今回の例会参加者の中に、金型製造関係者も参加しており、 これらの固体が同一金型より製作されたことが確認できて、 とても興味深い考察が得られました。 やはり、同時に現物を見比べるという、単純かつ初歩的な検証が重要なのです。

美しい最初期形ニコンF #6400027 布幕機

美しい最初期形ニコンF #6400027 布幕機

ニコンF #6400027 布幕機

ニコンF #6400027 布幕機で撮影する小秋元龍プロ

ボディナンバー43機(ニコンF #6400027 布幕機)にフィルムを装填し、 実際に撮影して最初期のFの操作感触を例会参加者全員で体験しました。

貴重なヴィンテージニコンF

第 3セッションでは、 貴重なヴィンテージ 64000ニコンF、6400ニコンF、 640ニコンFがコレクションテーブルの上に多数集結しました。 当時のオリジナル元箱や、ブラック 640Fなど、 貴重なヴィンテージニコンFを見ることができました。 初期型ブラックボデイは、後期型ボデイと比べても美しい塗装に変わりありません。

元箱入りの 6400ニコン

ニコンF #6400960

ニコンFコレクション

初期型と後期型のブラックニコン

初期型と後期型のブラックニコン

美しい 640Fブラック

特別なミクロンの物語

ニコンF50周年。時は経過します。 研究会プログラムも終盤となりました。 濃密な時間のエピローグにふさわしい、特別な物語を持つ双眼鏡が紹介されました。 手にあるのは、現在市販されている、ごく普通の 2台の小形双眼鏡です。 しかし、普通の双眼鏡ですが、紹介せずにはいられません。 ニコン研究会のメンバーが、時の経過にかかわるある記念として、 一生持てる双眼鏡を入手すべく奮闘しました。

スペシアル番号連番のミクロン

双眼鏡といえば原点は大正10年(1921年)のミクロン。 記念に残る双眼鏡というのでしたら、このミクロン以外には考えられません。 ボディ番号がスペシアルの、#121110と#121111の連番。

限定特装ミクロンハードケース

そして驚く事にニコン限定特装のミクロンハードケースが付いています。 このハードケースは、なんとあのソメスサドル製。 こういう上質の革製ハードケースはぜひ市販してほしいものです。 双眼鏡が 2万円で専用ケースが 4万円。そういうものなのです。 ミクロンを使うと分かるのですが、旅行カバンにポンと入れたいなど、 ハードケースでないとダメなのです。 それも旧ミクロンの革ケースと同じパカっとフルオープンになるものが絶対です。 オプションで、ミクロン高級ハードケースの販売をお願いします。

限定特装ミクロンハードケース(ソメスサドル謹製)

さて、このミクロンをどのような経緯で入手されたかは、ここでは語れません。 語らないことで伝説となるのが男のフレンドシップなのです。 しかしながら、ニコンの真髄を垣間見た思いです。

ミクロンのケースはフルオープンでないと

ニコンF生誕50周年を祝うニコン研究会

35ミリレンジファインダー機はドイツのライカM3。 35ミリ一眼レフレックス機は日本のニコンF。 プロフェッショナルユースに耐えるカメラ機械として、どちらもあまりにも有名です。 ニコンF生誕50周年を記念して、ニコン研究会独自の視点で、 35ミリ一眼レフレックス機の世界的銘機であるニコンFを検証してみました。

ニコンF生誕 50周年を祝うニコン研究会

2023年のあとがき

この記事のオリジナルは、2009年 6月に公開しました。 月例会のレポートという性質上、誤記訂正以外は手を加えずに長くそのままとなっていました。

2023年 5月。14年の年月を経て、記事を大幅に改訂しました。 当時の撮影画像を見直したところ、街の記録が残っていました。 ずっと変わらないように思えた都市の風景が、大きく変わっていくのを実感しました。 記事の冒頭に銀座中央通りのストリートビューを盛り込んでみました。 すべて撮影原板から再度画像を切り出し直し、画像品質を高めてあります。

Return to the top page of Nikon Kenkyukai


Copyright Michio Akiyama, Tokyo Japan 2009, 2023