January 2008, Nikon Kenkyukai

Ryu Koakimoto's Lecture

January 19, 2008
Nikon Kenkyukai Tokyo Meeting
Nikkor 8.5cm F2
DAVE DUNCAN 1950
Historical Lecture

東京都中央区八丁堀

2008年1月のニコン研究会

ニッコール 8.5センチ F2レンズの研究

ニッコールレンズが、 そしてニコンカメラが世界に認められるきっかけとなったレンズとして、 あまりにも有名なのがニッコール 8.5センチ F2レンズです。 米国ライフ誌の専属カメラマンだったデビッド・ダグラス・ダンカン。 昭和25年(1950年)の日本光学大井工場では、どんな会話があったのでしょうか。 そんなニッコールレンズ神話を検証するために、 きわめて最初期のニッコール 8.5センチ F2レンズが勢揃いしました。

極めて最初期のニッコール 8.5センチ F2レンズが勢揃い

ニッコール 8.5センチ F2レンズ

貴重なレンズフードと専用のフロントおよびリアキャップ

NIKKOR 刻印のレンズキャップ

Nippon Kogaku Tokyo 刻印

8.5センチ外付けファインダー 3種

Nippon Kogaku TOKYO と Nippon Kogaku JAPAN

8.5センチ外付けファインダーと専用革ケース

美しいフィルターコレクション

ニコンのカブセ式フィルター

フィルターのガラス面に鮮鋭な刻印が刻まれている

コーヒーブレイクコーナー

コンパクトデジカメのクールピクス P5100用に特注したチューブ。 エルニッコール 63mm F3.5がピタリと装着できます。

エルニッコール 63mm F3.5にクールピクス P5100用特注アダプター

エルニッコール 63mm F3.5とアダプター

珍しいオリオンの単眼鏡

単眼鏡という用途ではなく、 光学兵器のファインダー(照準用の小望遠鏡)として使われたものかもしれません。 珍しいオリオンの単眼鏡。

デイブ・ダンカンと彼の戦争

小秋元龍プロからプレスストーリーを聞くコーナーです。 デビッド・ダグラス・ダンカン。米国ライフ誌の専属報道写真家。 戦争写真家と言った方が正確かもしれません。 デビッド・ダグラス・ダンカンの朝鮮戦争を取材した写真集。 ニコンファンにはあまりにも有名ですが、この写真集の実物を目にすることは少ないでしょう。 発売当時のオリジナル写真集を手に取ることができました。

写真集「THIS IS WAR」

DAVID DOUGLAS DUNCAN

あまりにも有名な朝鮮戦争を取材した場面

デイブ・ダンカンを語る小秋元龍プロ

沖縄戦ではロッキード P-38による決死の戦闘写真撮影

デイブ・ダンカンの根性というか覚悟を示す1枚の写真があります。 太平洋戦争末期の沖縄で、 ロッキード P-38ライトニング戦闘機の翼の下にタンク(カプセル)を取り付け、 タンクの中に自らカメラを持ってもぐり込み密閉し、 戦闘シーンの写真取材を敢行しているのです。 ここまでやるかの世界があります。

デイブ・ダンカンの報道写真を研究している小秋元プロは、 1950年当時のライフ誌を中心とした情報をプレス・ジャーナリストの観点から収集・分析し、 その偉業を掘り起こし検証しています。 カメラ雑誌やウエブサイトに出てこないエピソードを見い出し、 光をあてることは、エキサイティングなものです。

P38戦闘機に取付けたカプセルに入って写真取材したデイブ

デイブ・ダンカンの太平洋戦争中の仕事について、小秋元プロが語り出すと話は止まりません。 小秋元プロの解説をまとめてみましょう。

デイブ・ダンカンは、沖縄戦当時は、米海兵隊第2航空団偵察隊の中尉でした。 ダンカンは、2回にわたりロッキード P-38のタンクの中から戦闘を空中撮影しています。 昭和20年6月13日、 ロッキード P-38で米海兵隊のヴォート・シコルスキー F4Uコルセア戦闘機 60機による 日本陸軍司令部に対するナパーム弾・ロケット弾攻撃を空中撮影。 同年6月15日、 中部沖縄のクシタケに対する海兵隊航空隊のロケット弾・ナパーム弾攻撃を ロッキード P-38から空中撮影。 このミッションの壮絶な戦闘写真は、 ダンカンの名著「Yankee Nomad」中に掲載されています。

ダンカンは、この 2回のほかに、海兵隊のアヴェンジャー雷撃機、 海軍の哨戒機などに乗って空中撮影もやってのけています。 その戦闘記録の正確さ、叙述の簡潔さは、従軍記者の模範とすべきものでした。 この数日後、沖縄における日本軍の組織的抵抗が公式に終結したことになっており、 6月23日はいまも沖縄ではこの日を記念日(慰霊の日)として記憶しています。 沖縄での戦闘が終結するとダンカンはフィリピンのサンボアンガに飛び、ここで終戦を迎え、 東京に飛んで東京湾上の戦艦ミズーリ号での降伏調印式を取材しています。 まさに太平洋を駆け回った写真家でした。

なお、 「Yankee Nomad」は、正確な日本語訳の別冊をつけて、 1967年3月、ニッコールクラブから発売されました。 これは当時のニッコールクラブの快挙でした。

黒板を使い朝鮮戦争の地理的背景とニコンを解説する小秋元プロ

38度線にはイムジン河とチョークを引く小秋元プロ

U.S. GETS INTO FIGHT FOR KOREA

米国から見た報道写真ではあるが圧倒される記録写真がそこにはある

なお、小秋元プロはデイブ・ダンカンと実際に会っているのです。 三木淳氏がニッコールクラブ会長だった頃、 丸の内のニコン本社のニッコールクラブ応接室で、 小秋元プロは三木淳氏の紹介でデイブ・ダンカンと会っています。 その思い出を語りながら、 デイブ・ダンカンの名作「Yankee Nomad」について言及されました。 最近あらためてその内容を検討してみると、写真の素晴らしさ、 緻密な構成、多彩な取材範囲に感服したとのことです。

1950年朝鮮戦争38度線厳寒期ニコン

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