May 2011, Nikon Kenkyukai Tokyo, Meeting Report

Tokyo Meeting Program

May 21, 2011

Nikon Kenkyukai

Tokyo Meeting

Grand Vintage NIKKO

Super Deep Saturday

ゲルマニウム・ニッコール

ホワイトボードに5月21日のプログラムが書かれている。
こんかいのミーティングのコンセプトは、スーパー・ディープ。
とにかくマニヤな話をしようということらしい。
濃ければよいというものではないが、薄いとつまらない。
工業用ニッコールレンズ研究家の秋山満夫が紹介する インダストリアル・ニッコールは、ゲルマニウム・ニッコールです。

赤外線カメラ専用のニッコール・レンズなんです

ゲルマニウム・ニッコールと聞いて、「ああ、あれね」とか、「それ持ってる」 という方は、スーパー・ディープの末期症状かもしれません。
じつはこのレンズは寄贈いただいたものなのです。
ニコン研究会の 2009年9月のレポート で、ゲルマニウム・ニッコールレンズの捜索依頼を出していたのです。
そしたら、まさかの連絡が4月の終わりにありました。
東京は葛飾区の長澤鷹行様から 「ゲルマニウム・ニッコールレンズ持っている」との連絡が入り、 話の勢いで寄贈していただけることとなり、5月例会の直前に届いたのが、 ニッコール27mm F1.2。
レンズには、妖しい可視光線を透過しない月の破片のようなコーティング。
サーマルビジョンLAIRD(レアード)3シリーズ用の交換レンズの1本。
カメラの使用ディテクタは、41万画素Pt Siショットキー型ID CCD。 検出波長は3〜5マイクロメートル。 観測温度範囲はマイナス20度から2000度。1996年の製品。

各種焦点距離のレンズを揃えていたとはエライ

ただものではない妖気を放つのはゲルマニウム温泉効果なのだろうか

龍さんのプレスコーナー

小秋元龍プロのプレゼンは、 まずは古い映画に見る地震の表現映像の検証から始まりました。
スクリーンに投影されたのは、米国映画に登場する地震のシーン。
東北大震災からわずかな時間しか経過していませんが、 タイムリーなニュースソースを中心に興味深い解説が続々と出てきます。

東北大震災におけるプレスの活動から映画に見る地震の映像表現

英国ウィリアム王子の結婚式を取材するプレスの作法を検証する小秋元プロ
ニコン黒レンズとライバルキヤノン白レンズの分布定数を計算してみました

取り出されたのはプレスカメラの定番だったスピグラ(クラウン・グラフィック4×5)

昭和のプレスはスピグラなのだ(左のイケメンは小秋元プロ)

”縦位置”のこの構え方閃光電球のグリップは右手で保持(1957年)

上の写真を見てください。
写真機は横位置ではないかと思う方もいるでしょう。
この点を小秋元プロに解説していただきました。

「昭和32年秋、 小生がスピグラ(正確にはスピードグラフィックから フォーカルプレーン・シャッターを省いた クラウン・グラフィック4×5インチ) を構えている写真は「横位置」ではなく「縦位置」の構えです。
上になっている右手の親指で フラッシュガン背面に付いているレリーズボタンを押すのです。
歩いてくる被写体の人物を 縦位置全身で撮影するプレスカメラマン独特の構え方です。
距離を目測で8フィートに固定して、 枠型ファインダーで人物がいっぱいに収まるところで シャッターを切ればピントは合っています。」

とのことです。
なるほど、写真機の構え方にも合理的な理由があるのですね。

プレスの男たちを見よ(昭和29年12月10日第一次鳩山一郎内閣成立)
毎日新聞社の中山浩記者だけがバッテリーを肩に電気ストロボに注目

日航スチュワーデスとソニートランジスタラジオTR-63(1957年)

航空マニヤの方だったら、尾翼に鶴丸マークがまだない時代を語るでしょう。
この写真には物語があります。
語ると2時間はかかりますので、 簡潔に知りたい方は、ソニーの歴史物語(タイムカプセル)のサイトをご覧ください。
検索ワード:Sony タイムカプセル vol.7  トランジスタラジオTR-63

そう、この歴史的写真を当時撮影したのが小秋元プロなのです。
機材はスピグラ。場所は羽田空港。
平和な大空の象徴である尾翼を背景に、光る閃光電球。
一発勝負の写真のキレは、いまでも新鮮に時代の空気を再現しています。

ニコン工作機械関連の話

ニコンF研究家の鈴木昭彦氏が紹介するのは、 ニコンの工作機械関連製品の話題です。
カメラ店の店頭など、 めったに見る機会のない現物を揃えてみました。

ユニークな機器類を説明する鈴木昭彦氏

手前の石定盤に組み込んであるのは1/1000mmを測定できるニコンシックネスゲージ
測定しているものはニコンF用スクリーン調整用シム

1/1000シックネスゲージの表示部分、現在測定中のシム寸法9/100mmを表示

ニコンF用スクリーン調整用シムセット(1/100mm違いで用意してある)
ここまでやるのか日本光学工業!!

フライス用芯だし顕微鏡(希少なストレートシャンク32mm仕様)

藤井レンズ製造所のモノビクトル

藤井レンズ製造所のモノビクトルほか、 珍しい小型ヴィンテージものを見てみましょう。
猫洞さんのディープな解説が聞き物です。

希少な藤井レンズ製造所のモノビクトルを説明する猫洞さん

コレクションとしても楽しく美しい小型ヴィンテージもの

左のオリオン型と比べるとさらに小さい藤井のモノビクトル

日光オリオン型モノキュラー Orion 6X24
貼り革でなくパウダーコーク塗装であることから戦時中のものらしい

美しい藤井レンズ製造所時代のモノビクトル "VICTOR" No.6 X6

長崎チョーコー醤油の研究

さて、プログラムはさらなるスーパー・ディープの世界に突入します。
ニコン研究会望遠鏡専門部会の寺田茂樹研究部長の研究報告が始まりました。
「長崎チョーコー醤油の研究」、はて、なんというタイトルでしょうか。
以下は、寺田茂樹研究部長の解説でまとめたいと思います。

九州には独自の醤油文化があります。
あの甘い醤油は、九州の海の魚や豚に大変よく合います。
その中で長崎県のチョーコー醤油は、長崎っ子なら知らない人がいない有名ブランドです。
チョーコー醤油株式会社(販売担当)とその製造会社である長工醤油味噌協同組合は、 古くから小さな工場が独自に育んできた長崎の醤油味噌製造を統合し、 昭和16年に長崎醤油味噌醸造工業組合として長崎市内に設立されました。
この双眼望遠鏡は、 長崎市西坂町にあったその工場に戦後すぐから伝わり、 現在は大村工場にて展示されていたものです。

ニコン研究会の寺田が、1年ほど前にこの双眼望遠鏡の姿を 「なぜ?この双眼鏡がここに?」という記事で発見し、 チョーコー醤油様にレストアと研究のための借用を依頼したところ、 二つ返事で快諾され、東京支社まで届けて下さいました。
検索ワード:出会ってビックリした双眼鏡です なぜ?この双眼鏡がここに?

その後半年を掛けて分解が完了、現在ほぼ塗装が仕上がりました。
この組み立て前のまたとない機会に ニコン研究会一同で研究しようというのが今回の趣向です。 そんな経緯でここにチョーコー醤油様所蔵の双眼望遠鏡があるのです。

さてどこから説明しましようかと頭に手をやる寺田茂樹氏

徹底的に分解された各部

Nikko製架台(再塗装済み) 後ろに水平方位目盛環

従来の塗装を剥離して調べたところ、双眼鏡の銘板が出てきました。
榎本光学精機製作所製 15倍4度 10糎70度 高角双眼望遠鏡 製造番号2011です。 多分昭和17年(1942年)製です。
ですが、架台の方は何と、日本光学工業株式会社製 No.3925です。 多分昭和14年(1939年)製です。
もとの基本設計が日本光学の手になるもので、 かつ、それなりに互換性が確保されていたため、 こういう入れ替えや融通は当時よくあったようです。

オリジナル状態の銘板(榎本光学精機製作所製)

銘板は榎本光学だが架台は日本光学製

対物レンズまわりの主要パーツ

写真左から対物鏡押さえねじリング、エキセンリング、 対物鏡とエキセン付対物鏡セル、引出し式フード、対物鏡部外筒です。

精巧な設計による目幅調整機構まわり

本体、目幅調整機構カバー、70度Roofプリズムケース、目幅調整軸受けリング、 Rhomboidプリズムケース、接眼鏡ケース、接眼鏡セルです。
本体奥に少し見えているのが目幅調整機構に使う、八の字に掛ける鋼製ベルトです。

接眼部まわりの重要パーツ

続いて接眼鏡目側レンズ、視度調整環、目当てゴムホルダです。 接眼鏡は日本光学 砂山角野氏特許の60度広角接眼鏡です。

美しい70度RoofプリズムとRhomboidプリズム

よく見ると、Roofプリズムには2011左と2011右との鉛筆書きが見えます。

フルレストアの進行状況を説明する寺田茂樹氏 部品点数は約100点

塗装とそれについて類推できることについてひと言。
本当のオリジナル色は、 当日、 林由己和氏が持参されたNikkoの同型機と同じ陸軍指定の灰色でした。 それは視度調整環に隠れた接眼鏡ケースに残っていました。
また、本体やプリズムケースには得意のコルク粉入り塗装が部分的に残っていました。
(実はコルク粉ではなかったことが判明!)
ただ、本機は丁寧にその塗装を剥離してから陸軍国防色(濃い茶緑色) にエアガン塗装されていました。
このことより、この双眼望遠鏡は終戦間際まで長崎市を防衛していた 高射砲第134連隊または防空第24連隊所管の 金比羅山や稲佐山高射砲陣地か近くの見張り所や、 当時、統制物資であった味噌醤油工場の防衛のために工場に設置されていた、 または陸軍が管理していた艦船に搭載されていたのではと考えられます。
(ただ金比羅山や稲佐山などでは爆心地から2kmなので、 こんなきれいに残ってはいないと思います。)

この国防色は錆びて引き出せなくなっていた対物フードの下、 外筒の上にきれいに残っていました。 今回はそのような経過に敬意を表し、 それにできるだけ丁寧に色合わせ、つや合わせをして塗装しました。
近いうちに組み上がりましたら再度お披露目と詳細研究発表予定です。

ずらり並んだ精密パーツの全貌

英国で蘇ったNIKKO対空高角望遠鏡

古式大型双眼望遠鏡の世界で、 スーパー・ディープの先頭にいる林由己和氏。
商社マンの林氏は、長く英国に駐在していましたが、 日本から海を渡り海外で余生を送るオールド・ニッコーなど、 古式双眼鏡の収集を行っていました。
帰国後は、 大型双眼望遠鏡の愛好家ほかそのすじでは有名な 双望会に参加され、 オールド・ヴィンテージ大型双眼望遠鏡マニヤにはご存知のことだと思います。

ニコン研究会は、この世界で有名な林由己和氏においでいただき、 英国でフルレストアを敢行された NIKKO対空高角望遠鏡の現物などを見せていただきながらお話を伺いました。
以下に続くコレクションの説明については、 林由己和氏の解説でまとめたいと思います。

林由己和氏を取り囲むニコン研究会メンバー

最初はベリー・オールド・ヴィンテージ小型双眼鏡の紹介です

Carl Zeiss Jena D.R.P. Feldstecher Vergr.=12 明治三十年(1897年)製

プリズム双眼鏡が製造(1893-4)されてから数年目の製品で、 カーブ型の美しいプリズムカバーに花文字が刻まれているのが特徴。

Carl Zeiss Jena 6x24 TELEX 大正十一年(1922年)製

現在のポロ型双眼鏡の原形となった機種の一つではないかと思います。

Carl Zeiss Jena 8x24 DELTURIS FOV:8.75°昭和元年(1925年)製

ZeissのDr. Heinrich Erfleが開発した エルフレ接眼部が採用され広角視野が得られている。

有名な日本海海戦における東城鉦太郎作画の「三笠艦橋の図」を示す林氏

「三笠艦橋の図」はネットで検索して原図を見ていただくとして、 中央に長官の東郷平八郎大将(後に元帥海軍大将)、 その後ろに測距儀(レンジファインダー)を覗く 測的係長谷川清少尉候補生(後に海軍大将)が描かれています。
その長谷川清少尉候補生が覗いていた測距儀 (ほぼ同じ時代のモデル)が次の写真です。

英国バーアンドストラウド社の測距儀 大正七年(1918年)製

英国バーアンドストラウド(Barr & Stroud)社の測距儀は 日本海海戦(1905年)で バルチック艦隊に勝利した戦艦三笠の艦橋に搭載されていました。
文献によるとその後日本光学で修理をしていたとのことで、 バーアンドストラウド社(現在のタレス社)の光学技術分野では、 100年を越えた今でも日本と緊密な関係にあります。
写真は10数年後の製品ですが、 WWIで英国海軍の艦船にも搭載されていたものです。

Nikko対空双眼鏡 15x 4度 105mm 俯視角60度

第二次世界大戦の大日本帝国海軍艦船対空監視用として使用されていた製品。
戦後米国で保管されていたが、 クラックが入り鋳造本体の右側マウント軸付根が割れ分離してしまった。
英国で50年間双眼鏡の修理を手掛けているOptRep社のトニー・ケイ氏の手により修復に成功し、 レストアされ蘇った(クラックの修理部以外は全てオリジナルのまま)。
塗装も当時のままで、 湿度の低い米国西海岸地域で保管されていたことが幸いしたのかもしれない。
この大型双眼鏡の技術分析については ニコン研究会の寺田茂樹氏が研究発表をされている、 2010年10月例会の資料(注)を参照されたい。

(注)2010年10月例会の資料は、ニコン研究会の 2010年10月レポート から参照可能です。

圧倒的な存在感を示すNikko対空双眼鏡

威風堂々として存在感があります。 レーダーなどの探知装置が普及するまでは双眼鏡の性能が勝敗に大きく影響したと考えますので、 性能を上げる技術に全力を注いでいたのでしょうね。

Nikko対空双眼鏡について解説する林由己和氏 対物レンズの美しさに注目

トニー・ケイ氏は英国を代表する オールド・ヴィンテージ双眼鏡の修復家ですが、 ヨーロッパ圏ではもう彼しか残っていない状況です。
大戦中の日本光学製大型双眼望遠鏡をポリッシュかけて、 ピカピカの装飾品にする専門家や、 ガンダムロボットのようなコテコテのオブジェにする業者もいます。
しかしながら、原型は出来るだけ維持して光学性能を本来の姿に戻すという、 本物の修復家は世界でもトニー・ケイ氏しか見当たりません。
トニーから、日本の修復家について問われても、 なかなか名前が思い浮かばないのが実情です。

英国で私が撮影したトニー・ケイ氏の写真をみていただきましょう。
後ろの建物が彼の作業場ですが、 世界中から古い双眼鏡の修理依頼がきていました。
また彼は戦時中の航空機”橘花(きっか)”で実用化した ターボジェトエンジン”ネ20”の調査を戦後行うなどして、 以下の本にも原稿を書いている研究家でもあります。

The two volumes are called 'Turbojet' by Antony L. Kay, published by Crowood Publications, being the early world-wide history of the turbojet. Volume 2 has a section on the Japanese history.
Other of his books are called 'German Jet Engine and Gas Turbine Development -1930/45', 'Junkers' and 'German Aircraft of the Second World War'.

世界的なオールド・ヴィンテージ双眼鏡の修復家トニー・ケイ氏

オールドNikko対空双眼鏡を鑑定する寺田茂樹氏

英国のプロ修復家トニー・ケイ氏の手によるオールド・ニッコーの風格

この世界のスーパー・ディープな専門家が四名揃い踏み

スーパー・ディープ・ミーティングを終えて

ゲルマニウム・ニッコールから始まり、 ニコン工作機械関連の話、 小秋元龍プロによるスピグラの時代の考察、 藤井レンズ製造所のモノビクトルから 長崎チョーコー醤油の研究のレポート、 そして、 英国で蘇ったNIKKO対空高角望遠鏡の貴重な報告で終わる スーパー・ディープなミーティングでした。
3日間かけて行うような内容を、 土曜日の午後半日でまとめましたので、 非常に中身が詰まった濃い時間となりました。 これをディープというのでしょうか。
最後にスピグラ(クラウン・グラフィック4×5) による参加者全員での記念写真撮影です。 オリジナルプリントを添えてみました。
同じ角度からコンパクトデジによる画像も付けてみましょう。

スピグラをセットアップする小秋元プロ


参加者全員での記念写真


特別ご協力企業様:
チョーコー醤油株式会社様
特別ご協力個人様:
トニー・ケイ様 (OptRep社 英国の古式大型双眼望遠鏡修復家)

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